少年少女雑誌は多かった。
その頃、日本中に子どもが多かった。
町も村も、どこに行っても、どこを向いても、子どもがいた。
お金をだしてお遊ぶことは限られ、
漫画雑誌の場合、年に何冊か買ってもらうのが大方だった。
買った本は、何度も何度も繰り返して読む。1年間でも2年間でも。
近所の子の家に行けば、そこに漫画雑誌がころがっている。それを読む、何回も読む。
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漫画の本は大門駅前の小さな雑貨店まで買いに行っていた。
その時というか、買いに行く道中は、嬉しかったし楽しかった。
買って帰ると近所の子達が待っていて、皆で読んだ。
「皆で読む」というのは、
本誌が一冊あり、
付録が5~6冊あった。
だから同時に数人が買って帰ったばかりの新しい本を順番に回し読みをすることができた。
たぶん、どこの村でも同じようにしたと思う。
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小学生当時は↓の漫画雑誌があった。資料(Wikipedia)
(太字はよく読んだ本、細字はあまり縁がないまたは記憶にない本)
「少年クラブ」 昭和21年 講談社 月光仮面、
「少女クラブ」 昭和21年 講談社
「ぼくら」 昭和29年 講談社 少年ジェット
「少年」 昭和21年 光文社 少年探偵団、矢車剣之助、鉄腕アトム、鉄人28号、
「少女」 昭和24年 光文社 表紙が松島トモ子
「野球少年」 昭和22年 芳文社 川上や青田の写真が多かった
「痛快ブック」 昭和28年 芳文社 植木金也の絵が多かった
「漫画少年」 昭和23年 学堂社
「東光少年」 昭和24年
「冒険王」 昭和24年 秋田書店 沙漠の魔王、イガグリくん
「漫画王」 昭和24年 秋田書店 ぼくの孫悟空
「譚海」 昭和24
「日の丸」 昭和33年 集英社
「少年ブック」 昭和24年 集英社 のちに「おもしろブック」 猿飛佐助
「少年画報」 昭和25年 少年画報社 赤胴鈴之助、イナズマ君、ビリーパック、まぼろし探偵
「なかよし」
「こども家の光」
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漫画雑誌の全盛期は、映画産業の全盛期とも重なり、少年たちは時代劇や冒険劇を好んだ。
管理人の場合も、チャンバラ漫画を好んだ。
そのうちでも、『赤胴鈴之助』は別格だった。
漫画史上唯一の、
「漫画」「ラジオ」「テレビ」「映画」「レコード」と、当時の全主要娯楽産業に登場した。
今になっても、少年時代の想い出といえば『赤胴鈴之助』を抜きに語れない。
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子どもの時、漫画雑誌を読み過ぎるぐらい読んだので、
中学校になると、ほとんど読まないようになった。
高校以後も、漫画を読むのは(別にきらいではないが)年間数時間程度を保った状態でつづいている。
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