しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

小三の春⑫井笠のバスガール”発車っ!オ~ラ~ィ”

2019年01月27日 | 城見小・他校
用之江を走るバスは当時流行っていた、歌の通りのバスだった。
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♪田舎のバスはおんぼろ車 タイヤはつぎだらけ 窓はしまらない
それでも お客さん ガマンをしてるよ それは私が美人だから
田舎のバスはおんぼろ車 デコボコ道を ガタゴト走る
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それでも用之江はよかった。バスがあるから。
用之江と大冝は笠岡~福山のバスが通っていた。

茂平の人は、バスを利用することはほとんどなかった。
町に行くには、大門駅まで出て、汽車で福山か笠岡に行っていた。


茂平にもバス路線が出来た。
笠岡~茂平で、日に3~4便往復していた気がする。
茂平園芸(農協)が終始バス停。
バスの時間前になると、番屋のおばさんが切符と小銭(釣銭用)の入った木箱を持ってバス停に出て来た。
冬は運転手さんように一斗缶の焚火を用意していた。客もそれで手を温めてからバスに乗っていた。

茂平でバスに乗る客は①用之江の茂平入口で降りて、福山行のバスに乗り換える人。②大冝または吉浜の医院に通院する人。③笠岡へ買い物に行く人。のどれかだった。

茂平にバス路線が出来た頃、時代は「田舎のバス」から「東京のバスガール」に変化しつつあった。
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  ♪若い希望も恋もある ビルの街から山の手へ
  紺の制服身につけて 私は東京のバスガール
  発車オーライ 明るく明るく走るのよ
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あるバスに乗った時、茂平を出て、用之江の踏切になった。
踏切前で、バスは一時停車し、若い女性の車掌さんが笛を口にして
”ぴっぴぴー”
手を挙げながら小走りしてバスを誘導した。
乗客のほぼ全員から、
「汽車がきょうるがーーーっ!!!!」
結局、車掌さんだけが踏切を渡り、
汽車が通り過ぎていからバスは踏切を渡った。
うつむいて、再びバスに乗る、車掌さんの姿が忘れられない。



コメント
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