しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

いの一番・・・とは?

2019年01月16日 | 暮らし
「いの一番」は辞書によれば、イロハの最初の文字なので、「まっ先」「第一番」の意味と書かれている。

民俗学では異説がある。

「動物民族」長澤武著 2005年・法政大学出版局発行より転記。

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耕作栽培する技術を持たない縄文人は、狩猟や漁撈により食用になる動物を得たほか、食用となる木の実や草木類を採集して暮らしていたようだ。
雑穀や稲の栽培が始まり、主食の確保はできても、タンパク質は狩猟や漁撈により、動物性タンパクを主として摂ってきた。
動物性タンパクは主として肉を食用とすることによって得られた。

縄文遺跡から出土する骨などから、
シカ、イノシシ、ノウサギ、クマ、アナグマ、サル、リス、モグラ、イタチ、オオカミ、キツネ、タヌキ、カワウソ、ムササビ、カモシカなどがある。
これを見ると、
うまいまずいは関係なく手あたり次第に、捕らえられるものは何でも口にしていた感じがする。
しかし古墳時代になると、出土する骨もシカ、イノシシが一番多くなり、ノウサギ、サル、クマがこれに次いで、タヌキ、キツネの骨は次第に減ってくる。
焼畑の普及でシカやイノシシが多くなったこと、食糧も豊かになり、より美味なものを摂る時代へと変わってきて、味のよいイノシシやシカ肉を多く摂り、まずいタヌキやキツネの肉は次第に敬遠されるようになった、と考えられる。

次に、獣肉類が衰徴する時代が、京の都を中心に、仏教の渡来・普及にともなう殺生禁断によってやってくる。
一部に「薬喰い」という名で、民衆に食べられていた。

長野県の諏訪神社では、古くから動物の生贄(いきにえ)を神社にたくさん捧げる神社として有名で、特別殺生が上様から許されていた。
そこでこの神社からシカなどの獣肉を食ってもよろしいとう「免許状」のごときお札が発行されていた。
文化文政の頃になると、江戸の町中にも獣肉を売る店が現れ、食べる人も増えていった。

肉の味のよい順序では、一番がイノシシ、二番がカモシカ、三番がシカで、
そんなところから猪は「いの一番」だと言われ、「ししの肉を喰わぬうちは、うまいものを喰ったというな」という諺もあるくらいおいしい肉だった。
クマの肉は四番だといわれた。


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