しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

応神山の「航空灯台」

2019年01月09日 | 昭和16年~19年

笠岡を代表する山、応神山に石とコンクリートによる遺構が残っていることは多くの登山・ハイキングなら誰でも知るところ。




(撮影2018年12月30日)

では、それは何であるのか?
何時頃に設けられ、いつまで使用されたのか?
と尋ねられると返答に困る。



「小田郡史・下巻」 昭和16年小田郡教育会編纂
地図が添付され「航空灯台」と記されている。




設置された時期は不明だが、軍事施設でなかったことはハッキリした。
戦後まで利用されていたのかも知れない。
コメント (2)
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招魂社及忠魂碑

2019年01月09日 | 昭和元年~10年

「小田郡史・下巻」 昭和16年小田郡教育会編纂より転記する。

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招魂社及忠魂碑

維新以後国事に斃れたる烈士の霊を慰めん為、日清戦役後本群連合にて、笠岡町威徳寺付近天神社境内に忠魂碑を建設し、北進事変後第二忠魂碑を建設せしが、日露戦役後之を改めて招魂社造営の議を決し、廃棄したる昭忠碑は有志者の奉仕により古城山頭に移転し、其跡に社殿を造営して、日清戦役以後各戦役忠死者の霊を合祀し、茲に本郡招魂社を見るに至れり。然るに昭位置は狭隘にして不便なるを以って、後之を古城山に移転し以って今日に至れり。

各町村多くは忠魂碑を建設し例祭を行ひて忠霊を慰むるの方法を講ぜり。
其建設の年月左の如し。
(城見村はなし)※一部抜粋する
金浦町 大正11年5月10日
陶山村 昭和3年11月
大井村 昭和4年5月
笠岡町 明治29年12月(日進役) 明治34年10月(北清役)

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徴兵人員、在郷軍人会

2019年01月09日 | 昭和11年~15年

「小田郡史・下巻」 昭和16年小田郡教育会編纂  より転記する。

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徴兵人員

兵事に関する最近の統計は、事変関係上之を公表することを許されず。
故を以って比較的古き統計を用ふるの止むなきに至れり。
大正4年度に於いて甲乙合格者が71%なりしも、昭和10年度59%に低下せるは、寒心に堪へざる所にして、国民体位の向上を企画するの急務なるを痛感せしむ。

徴兵人員趨勢
明治41年 徴兵総人員753 陸軍現役151 海軍現役2
大正7年       1.048    206    13


在郷軍人会及軍友会

各町村に在郷軍人分会の設立あり、之を統合して小田郡連合分会を設け、帝国在郷軍人会に属し、国防思想普及の為盛に活動せり。
会員数は事変の関係上調査するは能わず。
別に軍友会なるものあり。
兵役を終わりたる者を会員とし、各町村に設置せり。


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