「流れる おかやま百年」山陽新聞社 昭和42年発刊より転記
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新しい政府は明治元年3月、神仏分離の布告を出し、神社から仏教的なもののすべてを取り除かせた。
”廃仏毀釈”の運動が各地に起こり、仏像や仏具が焼かれた。
寺院内にあった神社で神官にのっとられたところもある。
吉備郡高松町の日蓮宗稲荷山妙教寺(最上稲荷)には正一位稲荷大明神もまつっていた。
いわゆる神仏混合である。
倉敷県当局は「妙教寺と稲荷を分離せよ。稲荷は神官の手に渡せ」と強硬な態度に出た。
当時の住職等は、毎日ひたいを寄せ合っては議論と、方策を練った。
「稲荷大明神といえば、神道とみられがちです」
「このままでは分離はまぬかれない」
ある日、
「そうだ!妙教寺としては法華経の一つの象徴として稲荷の白狐を使ったら」
明治3年の暮れ、県は視察役人派遣を通告してきた。
心配した檀徒は境内にかけつけた。この無言の抵抗に恐れをなしたのか、役人は早々に引きあげた。
こうして妙教寺は分離からまぬかれた。
三大稲荷の一つ愛知県豊川稲荷は仏教の荼枳尼天(ダキニテン)として切り抜けたが、
京都伏見稲成は神道となった。
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新しい政府は明治元年3月、神仏分離の布告を出し、神社から仏教的なもののすべてを取り除かせた。
”廃仏毀釈”の運動が各地に起こり、仏像や仏具が焼かれた。
寺院内にあった神社で神官にのっとられたところもある。
吉備郡高松町の日蓮宗稲荷山妙教寺(最上稲荷)には正一位稲荷大明神もまつっていた。
いわゆる神仏混合である。
倉敷県当局は「妙教寺と稲荷を分離せよ。稲荷は神官の手に渡せ」と強硬な態度に出た。
当時の住職等は、毎日ひたいを寄せ合っては議論と、方策を練った。
「稲荷大明神といえば、神道とみられがちです」
「このままでは分離はまぬかれない」
ある日、
「そうだ!妙教寺としては法華経の一つの象徴として稲荷の白狐を使ったら」
明治3年の暮れ、県は視察役人派遣を通告してきた。
心配した檀徒は境内にかけつけた。この無言の抵抗に恐れをなしたのか、役人は早々に引きあげた。
こうして妙教寺は分離からまぬかれた。
三大稲荷の一つ愛知県豊川稲荷は仏教の荼枳尼天(ダキニテン)として切り抜けたが、
京都伏見稲成は神道となった。