しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

昭和の学校史③高島小学校

2017年01月08日 | 城見小・他校
「高島小学校・学校誌」昭和55年3月発行より転記する。
大正以降、分校の歴史はない。
神武天皇の「吉備の高島宮」の論争時代が、いちばん島も学校も賑やかだった事がうかがえる。



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明治45年度・外神島尋常小学校高島分教場を廃し、高島尋常小学校として独立した。
大正4年度・ご大典記念奉祝式、記念植樹。
大正5年度・麦稈真田をくみ始めた。利益は高島校に寄付した。
大正9年・ラッパ二丁到着。
大正10年度・神武天皇遺跡記念碑建設記念式が行われた。
大正15年度・高島行宮遺跡へ参拝のため犬養木堂先生来島。
昭和9年度・故東郷元帥国葬のため休日。
昭和11年度・電燈が点ぜられた。
昭和11年度・ラジオの設置。
昭和11年度・帝国大学名誉教授黒坂博士、神武天皇聖蹟調査のため来校。
昭和13年度・神武聖蹟調査のため文部省より保安課長外4名来校。
昭和14年度・毎月一日、興亜奉公日と定められた。
昭和14年度・悠久二千六百年の奉祝式を挙行した。
昭和15年度・ご真影を奉戴した。
昭和15年度・二宮金次郎の石像建設、除幕式を挙行した。
昭和16年度・高島尋常小学校を「高島国民学校」と改定した。
昭和19年度・高等科設置。
昭和22年度・学制改革のため国民学校を小学校と改め、高等科1学年を中学校1学年に編入した。
昭和26年度・新校舎上棟式、新校舎落成式。
昭和28年度・学級数をふやすため教室の仕切りをした。(学級編成1年、2・3年、4・5年、6年の4クラス)
昭和31年度・高島公衆電話設置、通話開通。
昭和32年度・テレビ披露式。
昭和37年度・グランドピアノ入荷。
昭和38年度・運動場拡張工事が始まった。
昭和52年度・笠岡市本土より上水道が入る。
昭和53年度・明治乳業牛乳となった(粉ミルク廃止)
昭和54年度・統合問題懇談会(1回~7回)。神島外小学校へ統合が決定。
昭和55年3月31日・笠岡市立高島小学校を閉じる。

(生徒数1年~6年を抜粋すると)
大正時代65名くらい。
昭和一桁、70名くらい。
昭和10年代、72~73名。
昭和20年(最大数となった)104名
昭和20年代80名くらい。
昭和30年代90名前後。
昭和40年代(86名→33名)
昭和50年代(29名→14名)

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昭和の学校史②北木島

2017年01月08日 | 城見小・他校
北木島町には、大浦・楠・豊浦・金風呂に学校があり統廃合をつづけた。
「北木小学校豊浦分校百年史」より転記する。

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大浦
明治6年・北木小創立
明治27年・北木尋常小学校本校と呼ぶ
明治38年・高等科を併置 北木尋常高等学校と改称
昭和16年・北木国民学校と改称
昭和22年・北木小学校と改称

豊浦(金風呂含む)
明治15年・豊金小学校創立
明治23年・(町村制実施で)北木小へ合併、支校となる
明治28年・北木尋常小学校第一分教場と呼ぶ
明治36年・豊浦尋常小学校として独立
明治37年・金風呂に分教場を設置
大正2年・北木尋常高等小学校豊浦分教場と金風呂分教場と改称
昭和22年・北木小学校豊浦分校と金風呂分校と改称
昭和31年・(金風呂分校は)独立し、北木西小学校となる


明治18年・北木小楠分校創立
明治25年・楠分校場と改称
明治36年・楠尋常小学校として独立
大正2年・北木尋常高等小学校楠文教場と改称
昭和7年・楠分教場廃止
昭和12年・楠校舎として1.・2年複式を設ける
昭和16年・北木国民学校楠分教場と改称
昭和22年・北木小学校楠分校と改称
昭和57年・楠分校廃止 本校へ統合
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昭和の学校史①「笠岡小・百年史」

2017年01月08日 | 城見小・他校
学校史を資料から転記する。時代は昭和に限定する。
最初は笠岡小学校。

巻頭挨拶と出来事を抜粋する。


(楠公母子像・女子校)

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私自身は大正7年4月、あの瓦ぶき校門をくぐり、笠岡男子尋常高等学校に入学。
大正13年3月同期生百余名とともに尋常化を終えた。
想い出すのは、校舎、先生方、運動場、金魚池であり、授業開終合図の太鼓の響き。遍照寺の大銀杏とともに思い出の数々はつきません。


(大楠公像・男子校)

昭和3年・男女両校御真影奉戴
昭和5年・男女両校奉安殿竣工
昭和6年・男子校・女子校国旗掲揚台設置
昭和7年・男子校二宮尊徳銅像建立
昭和10年・笠岡青年訓練所は笠岡青年学校と改称
昭和10年・幼稚園遍照寺を仮園舎で幼児収容
昭和11年・笠岡町女子青年学校併置
昭和12年・男子校大楠公銅像建立
昭和15年・女子校楠公母子銅像除幕式
昭和15年・男子校神社建立
昭和16年・笠岡町男子国民学校・笠岡町女子国民学校と改称
昭和16年・女子校校旗新調
昭和17年・男子校二宮尊徳像供出 胸像建立
昭和17年・貫閲講堂落成
昭和18年・男子校大楠公銅像供出
昭和18年・女子校楠公母子像除魂式胸像入魂式
昭和20年・修身、国史、地理の授業停止。教科書回収。
昭和21年・奉安殿。学校神社撤去
昭和22年・笠岡東小学校・笠岡西小学校と改称、男女共学制実施(高等科廃止)
昭和22年・西小、東小PTA設立
昭和22年・ミルク給食開始
昭和23年・東小給食調理室完成
昭和29年・西小校歌制定
昭和30年・幼稚園現在地に移転・独立。笠岡市立幼稚園と改称
昭和31年・東小校歌制定
昭和43年・笠岡東小閉校式、笠岡市立笠岡小学校と改称
昭和46年・校歌制定

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