敗戦後、衣食住そのすべが不足し国民はその日暮らしの有様だったが
地方行政も混乱の極みで、岡山県知事は数か月で交代していった。
いっぽう県議や市町村長も自らの公職追放問題を抱えていた。
以下「岡山県史」より転記する。
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終戦時における本県知事は、小泉吾郎であったが、一か月後に更迭され安積徳也が就任した。
しかし公職追放令該当者となり翌21年1月退職した。
内務部長西岡広吉が昇格就任した。同年10月福岡県知事に転任し、豊島章太郎が就任した。官選の最後の知事であった。
昭和22年4月西岡広吉が公選初代の就任した。
県会は、昭和14年以来任期延長のため改選がなかった。
昭和22年1月追放令に該当する議員24人が辞職した。残存議員は9名となった。
同年4月戦後初めての選挙では、議員53人のうち新人47人が進出し、経験者は元5人・前1人となった。
地方行政も混乱の極みで、岡山県知事は数か月で交代していった。
いっぽう県議や市町村長も自らの公職追放問題を抱えていた。
以下「岡山県史」より転記する。
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終戦時における本県知事は、小泉吾郎であったが、一か月後に更迭され安積徳也が就任した。
しかし公職追放令該当者となり翌21年1月退職した。
内務部長西岡広吉が昇格就任した。同年10月福岡県知事に転任し、豊島章太郎が就任した。官選の最後の知事であった。
昭和22年4月西岡広吉が公選初代の就任した。
県会は、昭和14年以来任期延長のため改選がなかった。
昭和22年1月追放令に該当する議員24人が辞職した。残存議員は9名となった。
同年4月戦後初めての選挙では、議員53人のうち新人47人が進出し、経験者は元5人・前1人となった。