花山の思い 31番長命寺と結婚式

 その昔、武内(かけのうち)宿禰(すくね)という者がいた。
 ある時、琵琶湖のほとりにあった大層長命な柳の木に「寿命長遠所願成就」の八文字を刻んだ。

 この柳が霊木だったのだろう。宿禰は300年長生きしたという。

 その後になって、聖徳太子がこの柳の木で仏さまを彫った。
 これが西国33観音霊場の31番長命寺の秘仏とされる本尊、観音さまである。

 一般に観音さまは髪飾りをつけていて、その飾りがピラピラと揺れる。まるで柳の枝葉のようだ。――これがわからないと、花山法王が奉納した御詠歌もわからない。

「八千歳(やちとせ)や 柳に長き いのちでら(命寺) 運ぶ歩みの かざしなるらん」

 8千年というくらいくにかく長い時を保ってくれる、柳で掘られた観音さまがお祭りされている長命寺である。その本尊さまの御利益をこうして巡礼する私たちの髪飾りのように頂戴して、足を進めていくのだなあ。

☆    ☆    ☆    ☆

  夜の10時になると、そろそろ寝ないと次の日がもたない……そんな日程がここ一カ月ほど続いております(つまり普通というこですな。ぎゃはは)。

 今日は東京の明治大学、死生学研究室主催のシンポジューム『生と死を巡る私たちの未来』の最後に、仲間9人と声明を30分唱えさせていただきました。

「名取さん、お金がない研究室だから、お布施も出ないけど、懇親会ではお酒はいくらでも飲んでいいからさ」――そんな上手な誘い文句を言う人がいるんです。どはは。
 声明が終わったのは17時30分。20時まで大学のパーティー会場で、お言葉通りに、しこたまいただいて帰宅。
 
 なぜ、こんなに早く帰ってきたかって言うと……明日はエンディングプランナーをしているK君とYさんの結婚式が密蔵院であるからです。超宗派のお坊さんなどがよってたかって二人の結婚式をやります。

 参列者55人の結婚式。全員がそのままディズニーランドそばの披露宴に参加します。
 私は結婚式の戒師(キリスト教で言えば牧師さん、神道で言えば神主さんというところ)。そして披露宴の司会。否、それよりもまず、会場となるお寺の住職ですから、まず迎える準備があるのでございます。

 忙しすぎて、その準備もままならぬ……わははは。まあ、おめでたいことに免じてお許しいただこうかと思います。
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花山の思い 30番竹生島と十三夜

 竹生島(ちくぶじま)宝厳寺(ほんうごんじ)

 西国33観音霊場も、琵琶湖の中へ舟を出してしかお参りできないこの霊場まで来ると、もう少しだなあと思います。

 ここから先のエピソードは、私の「ちょっといい話セカンド」でご紹介したので、よろしかったらhttp://www.jtvan.co.jp/howa/Natori2/houwa129.htmlに飛んでくださいませ。

 さてこのお寺で花山法王が奉納した御詠歌は、

   月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 舟に宝を 積む心地して

 竹生島を舟と見て、宝を観音さまと見てもよし。自分という舟に観音さまを積み込むとしてもよし。

 この句は、是非とも琵琶湖湖畔で一泊して、「月も日も」を実感していただきたいと思います。

☆    ☆    ☆    ☆

 さて、今宵は月一回の“♪声明ライブ♪in CHIPPY”。一緒にやってくれるのは、優しい声で歌うモモさんと、ディジュリドゥ担当のトモアキさんのデュオ、プアンのお二人。
 
 このお二人の時は、最後の最後で、声明とディジュとシンギングベルなどと3分ほどコラボします。ぐははは。だから11時近くまでお店にいないと、聞けない……。
 
 仏教のお経を「音楽」として聞いてみてください……という企画でスタートした声明ライブ、今月から8年目に突入です。

 そしてまた、今日は旧暦の13夜。また風流な秋の月であります。  
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花山の思い29番と名月赤城山・・

29番松尾寺(まつおでら)

 いったいどのくらい昔からこの場所は聖域とされ、観音さまがまつられて、人々が祈りを捧げてきたことだろう。この松尾寺はそういうとろだ。

 そんな思いで歌ったかどうかはさだかではありませんが、京都舞鶴にある松尾寺の御詠歌は……

  その昔(かみ)は 幾世経ぬらん 頼りをば 千歳もここに 松の尾の寺

 こういう場所は日本にたくさんあるでしょうね。都市化の開発の波やそこに住んだり、働いたりしている人たちの悪しき心がけのために、聖域が俗化してしまったところもたくさんあるでしょう。

 そっとしておきたい場所……。静かにしておきたい場所……。

 秋の夜長の“我が家”はそんなところ、という印象があります。

  ○   ○    ○    ○    ○

 昨晩は100名の大宴会。立場上、上座に座って勧められるままにお酒をいただいていたのは20分ほど。あとは、首を伸ばして「つまらなそうにしている人はいねぇか?」と探し、お銚子をぶらさげてどっかとその前に座り、「今日はご無礼しました。まあ一杯」とやったら、気がついたら、返り討ち状態……とほほほ。

 そんで今朝は車で、群馬県伊香保から、榛名湖まで登り、紅葉をめでて、山の裾をぐるりと回って、国貞忠治終焉の地、大戸の関跡へ。

 そのまま榛名山を一周して、次は赤城山へ。1400メートルのところにある大沼のみやげ物屋で昼食をしたら、お店に「国貞忠治の家にはえていた欅で彫った忠治の像」の写真がありました。よく見ると、像の周囲には昔のグッズらしいものも写っています。
 
 お店の人に「この像の実物を見るにはどこへ行ったらいいですか?」と尋ねると「このすぐそばに旅館がありましてね、そこで国貞忠治の資料館をやっていたんですよ。でも20年くらい前に無くなってしまって、この像もその跡どこへ行ったのかはわかりません」

 ぐやじいぃ……。
 
 浪曲好きの私にとっては、まあ、いいドライブでした。12月には静岡と浜松での講習のついでに次郎長を訪ねる予定でゴザンス。

 ※写真は忠治の像の写真からおこしたと思える石のレリーフ。
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掃くほどに・・

掃くほどに 風が持て来る 落ち葉かな

こういう光景は、北風の季節の話でございまして、

今日の密蔵院は、昨日の台風の影響で、数分で風の向きが変化しまして、

よって、

掃くほどに 風が持ち去る 落ち葉かな・・・・ぎゃははは。約60分の葉っぱとの格闘でございました。

近所の方に「大変ですね」との言葉に、

「でも、春から夏の間、緑を楽しませてもらった葉っぱですからね」と(心から思わずに)無理やり言う自分が、情けなや。とほほほ。

今日も気づきが沢山の江戸川区鹿骨近辺です。

今日は午後に幕張、夜に野田でご詠歌。

その野田から少し前に帰宅して、まだなんの話の準備もしていない、明日の伊香保での講演。ワーーーッ!ってな具合で、これより話の内容を考えてレジメ作りをしますので、西国33観音ご詠歌巡礼は今日はお休みでゴザイマス。

※昨日メールをくださった「みな子」さん、返信メールをだしたのですが返ってきてしまいます。再度みな子さんのメアドをご確認の上お送りいただけませんでしょうか。

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花山の思い 28番成相寺(なりあいじ)

成相寺は、天の橋立を南の眼下に見下ろす山にあります。
 
ここで花山法皇が詠んだ御詠歌が

「波の音 松の響きも 成相の 風吹き渡る 天の橋立」

 波の音も松の風も、すでにご紹介のように、昔から「仏の声」にたとえられる音です。その両方が「鳴り合っている」とお寺の名前「成相(なりあい)」にかけてあります。
 
 今日の東京は強めの冷たい雨が朝から降り続いています。誕生日を一週間近くも過ぎてしまっているのに、運転免許の更新をすっかり忘れてしまっていて、あわてて出かけました。
 
 車の天井を打ち雨の音も、これまた「あわてずに、安全運転でね」という観音様の音のようでした。

○    ○    ○    ○

 「密音」ライブは無事に終了。60名を上回る方々にお越しいただて、充実した2時間でした。ほとんど即興演奏のナダディライトの5人のユニット。

 ディジュリドゥ・シタール・タブラ・カリンバ・ホーメイのプロが、全神経を集中しながら、本堂内の空気を感じながらの演奏は、実に見事でした。

 その後の打ち上げは、いつものように「ただの酔っぱらい製造工場」と化して愉快な時間でした。わはははは。
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花山の思い 27番 書写山(しょしゃざん)

西国33観音霊場の27番のお寺は、
書写山(しょしゃざん)円教寺(えんきょうじ)

 俗に早口言葉と言われるものは、調声(ちょうせい)というのだそうで、早口で言うことがすごいのではなく、はっきり言えることが目標なのだそうです。
アナウンサーや役者の人たちが、毎日きっちりやるのがこの調声。

その「さ行」の中に出てくるのが、「上方僧書写山、社僧の総名代、今日の奏者は書写じゃぞ、書写じゃぞ」といをナンブツ。

この中の「書写山」が、今回のお寺。

 花山法皇が奉納した御詠歌は、
はるばると 登れば書写の 山おろし 松の響きも み法(のり) なるらん

いまではロープウェイで、4分ほどでスーッと上まで行けますが、歩いたらもう大変。「はるばると」の句がうなずけます。

「やまおろし」は漢字で書くと「山颪」。山の頂上から吹きおろす風のこと。
 その風が細い松の葉を抜ける時の音は、まったく、えも言われぬ不思議な音。
 ほんとうに観音さまの説法のように聞こえます。

 ここはまた、紅葉の名所。まだお参りしていない関西の方々は是非どうぞ。
住所 兵庫県姫路市書写2968です。

○       ○       ○       ○
 今週は一度も夕飯を家で食べていません。今日もどうなるか、わかりません。
これから地元の小学校10校合同のPTA研修会の講師。100名ちょっとの方々の参加だそうです。
単純計算で、一校につき10名の参加ですから、PTAの役員さんたちは大変です。
せめて、「ああ来てよかった」と思っていただける60分にしたいと思います。
親が陽気に、余裕をもって、まっとうに暮らしていれば、子供はちゃんと育つ……これが私の持論でございまして、だから今日の話も、親である私たちがどう明るく生きていくかというメッセージになります。

もうすぐ檀家さんのお嫁さんが会場まで送ってくれます。お寺を出てから会場につくまでに、見るもの、聞くものに私は何を感じるのでしょう。まずそれを話の冒頭でお話できればと思うんです。
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花山の思い 26番法華山一乗寺(いちじょうじ)


 春は花 夏は橘(たちばな) 秋は菊 
いつも妙(たえ)なる 法の華山(はなやま)

きれいな歌ですね。「春は花」というのは、日本では「花」と言えば……そう、“桜゛のことです。

 つまり一年中、この法華山一乗寺は、花々がさいていて、まるで観音の浄土のようです。浄土にいる者は、幸せですね。
 逆に地獄にいる人は不幸ですね。

 この世は、仏の蓮の花の上にあるようなもの、つまり私たちの周囲のあらゆるものが、そのまま仏の世界の姿であることに気づくというのも仏教だし、
まわりの景色がそう見えれば、仏教的世界観の中に浸っていると言えるでしょう。

 私はそのように景色を意識するのは、一日で数時間かもしれません。
 数時間でも、一日がとても素敵になります。

 ほら、風も、鳥の声も、光も、人間関係も……
大肯定されて、今を彩っています。

  ○ ○ ○ ○ ○

 今日から月に一回の、読売文化センター(京葉)の講座がスタート。
 お葬式があっても、お通夜があっても対応できるように、13時から14時30分という時間帯にセットしてもらいました。

 この15年の間に、恵比寿や荻窪の同センターでお世話になりましたが、今回が最も近くてとても助かります。車で20分ですから。
 荻窪で好評だった「腕輪念珠作り」をやってくださいというリクエストが企画の当初にあったので、そんなら第一回にやるかなと思い、準備万端整えまして、出発であります。
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コーヒーブレイク

 早朝に江戸川をバスで出発して、群馬県は伊勢崎で行われるご詠歌の全国大会へ。

 帰りのバスの中で、休憩してたら、後ろの方で、手拍子でご詠歌がはじまったので、「そんじゃ、やりますか」ってな具合で、90分にわたってご詠歌を唱え続けました。

 密蔵院につくころになったら、やはり後ろの方で「食事をしていこう」の話。
 私も着替えて、お疲れ居酒屋部隊に合流。
 アラウンド70才の女性の方々との会話は、きわどいシモネタが飛び交って、相変わらず楽しいことでございますことよ。

明日から月に一回の読売文化センター(京葉)の講座の準備が何もできていないので、今日はさすがに、21時まえに帰宅。

 かなり酩酊状態で、全6回の「楽に生きる仏教」(勝手に副題は「お坊さんと遊んじゃおう」)の構成を思案橋・・・・。--思案につまったので、こうしてブログを更新中です--ぐははは。

毎日全開で過ごしているものの、こうした綱渡り的生活はあと2週間ほど続きそうです。

なに、私が綱渡りでもいいのです。 出会った方々を、心が楽なところへ綱渡しでる一助になれば、私が「生きている」意味になっていきますから。

やはり人生に最初から決まった意味なんかないと思います。意味をつけるのは自分なんです。

本当は、意味なんか考えないで生きていくのが理想ですけどね・・・。まだまだな私です。うははは。

それにしても、ネットで見つけた写真の猫。何を考えているのでしょうか。
にゃんだか、全然わかんないです。
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花山の思い 25番札所 播磨の国、清水寺、たくさんだ門!


 清水寺と言っても、24番札所があるのは、兵庫県加東郡社町のお山の上。

ここで花山法皇が詠んだ御詠歌が
「あわれみや 普(あまねほ)き門(かど)の 品々(しなじな)に
       何をか波の ここに清水」

「普」「門」「品」と言葉がなれば、たいていの観音さま信者は「ああ、普門品(ふもんぼん)」のことだなとわかります。
俗に「観音経」と呼ばれるお経の正式名称が「妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五」だからです。
観音さまが、さまざまな姿をして、救ってくれる門はあちこちになるので、普門と考えていただければいいでしょう。
 救いへの門は、たくさんあるんだモン!
 ぎゃはははは。

大意:観音さまが私たちを哀れんでくれているのだな。どんな門であってもあちこちからさまざまな手段で私たちを救ってくださることだ。だから、人生でつらい波が立っても、この清水寺へお参りすれば、きっと救いの手を差し伸べてくださるのだ。

○     ○     ○     ○
 今日は、今月唯一のオフの日。つまり何も予定が入っていない日。ということで、塔婆を書いて過ごしの介……。
 おかげさまで今日51歳になったので、これから両親に「赤毛さまで」と、墓参りにいってきます。

 写真は、昨日のご詠歌コンサートのワンカット。全員登場の場。
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花山の思い 24番中山寺


  野をも過ぎ 里をも行きて 中山の 寺へ参るは 後の世のため

 お寺の名前が「中山寺(なかやまでら)」ですから、最初の二句に「山」関係の言葉はいれることができません。
 
 そこで「野」と「里」を上の二句に入れて、三句目でお寺の名前をかけて「山」をいれてあります。粋な配置ですね。

 お寺にお参りすると、それまでの人生を走馬灯のように思い出すことがあります。

 平坦なこともあれば、人里離れたように寂しい時もあった、里の中で人間関係の中で情を紡いだこともあれば、その情にがんじがらめになって息詰まるような思いをしたこともあったなあ……。それが「野をも過ぎ、里をも行きて」ということでしょう。

 天皇の位から引退した時に付けられる「法皇(ほうおう)」という名称。
 花山法皇は、この歌を歌った時、すでに現世の欲は捨て、来世へと、我が身をゆだねていたのかもしれません。

 でも、現代に生きる私たちがこんな心境になるのはまだ早いですね。

    「生きてるんだ、陽気にいきましょう!」

○    ○    ○     ○    ○

 お忙しいこところを60人ほどの方々にお集まりいただいて、お聞きいただいた「御詠歌コンサート」――ありがとうございました。
 
 なかなか実現できる企画ではありませんが、私自身、とてもいい勉強になりました。
 全国からの先生方も、遠いところ、お忙しいところをありがとうございました。
 
 御詠歌は、もやは「伝統芸能」的な世界ですが、習得するには大変な努力が必要です。
 皆さんもどこかのお寺で、誰かが一人で仏様に唱えている時に遭遇したら、じっと耳を傾けてみてください。しみじみと伝わってくるものがきっとあります。
 合掌
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