花山の思い 21番 穴太寺(あなおじ) と憂い

--このような世の中に生まれて我が身が大変に憂(う)いことだなあ……とよく思うかもしれない。しかし、そう思わないで仏さまの御名やご真言を心を込めて、一回でもいい十回でもいいから唱えてみれば、それほど嘆く身の上でも、それほど嫌がる世の中でもないことがわかるさ―――

 花山法皇は、京都亀岡にある穴太寺(あなのじ)の観音さまにお参りして詠んだ。

 かかる世に 生まれ合う身の あなう(憂)やと 思わで頼め 十声(とこえ)一声(ひとこえ)
※ 「あな憂」とお寺の名前「穴太(あのお)」をかけています。

 ここまで、西国33観音に花山奉納したご詠歌には、すべてお寺の名前がなにかしらひっかけて読み込まれています。今で言えばダジャレです、駄洒落。
 私も大好きな駄洒落です。「そんなことはあるまい。これはれっきとした文章表現の一つだ」なんて、往生際の悪いことを言っているのは、誰じゃれ? 
 わはははは。

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 読売文化センター京葉での単発講座「声明ライブと法話」。10人の方々の参加を受けて、90分。ああ、楽しかった、面白かった。
 坊さんが前向きに、楽しく生きていなくて、いったい誰が仏教に興味を持ってくれるのだ・・そんなことを年に何回もなく思う。一種の自己肯定のためであることは百も承知である。

 明日はPTA会長をしていた地元の鹿骨小学校の「ワクワクフェスタ」。
 私は残念ながら檀家さんの49日の法事と後席があるので、私の『言いたい放題』全種類を副住職に託して、ブース参加。副住職である長男もこの小学校の卒業生だから、きっと面白い出会いがあるだろう。
 これから作品の補充のために一筆十筆・・・である。
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