8月6日、原爆の話を聞く会

明日は8月。すぐに6日。世界で初めて原爆が一般人に対して使用された日。いまだに福岡県に残されている原爆の火を横にして、被爆体験者の話を聞き、また後世に伝えようというプロジェクトが始動。最初の今年は、広島、石巻、そして東京の三カ所で開催。東京会場は、ご縁があって密蔵院で行われることになりました。個人個人の心の平和を、世界の平和につなげるのが仏教だとも言えます。ご参加をお待ちしています。16時スタートで、約一時間です。

 

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待ってました。

写真はネットから引っ張ってきた旅館の朝ご飯のお膳だが、この一年くらい、私は朝食の時間が以前の3倍、30分もかかるようになった。お箸で一度に取るご飯の量が少なくなったのが原因でだが、なぜ少なくなったのかは原因不明である。

家内の説によると、歯が少なくなったのが原因ではないかという。「でも、そのくらい時間をかけて食べるのはいいことよ」とさりげなく言ってくれるのが、ありがてぇ。

一緒に生活していると、お互い相手に「こうしたらいいのに」と思うことがある。十年くらい一緒にいると、そんなことを言っても治らないと思うから言わなくなる。でも、相変わらず思っている。そうこうしている間にある時、相手が自分で自然治してしまうことがある。その時、待ってましたとばかりに、間髪を入れず「それって、いいことだよ」とだけ言う。「私は前からずっと思っていたのだ」と、今更のように言うのは野暮というものだ。家内のさりげない言葉に、以心伝心、阿吽の呼吸を観た心地がした。

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28日(日)16時からは「法話の辻」IN密蔵院です。

 明日28日(日)は、16時から二か月に一度の「法話の辻」。16時から17時が法話。17時から18時までが、茶話会(お酒を含む)でござきいます。来月発売の本を書いて、遅まきながら気づいた赤裸々な小僧の心の階梯についてお話申し上げる所存。お時間のある方はどうぞ。参加費は"勝手にお賽銭方式"です。ぐはははは。

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優しさとシンクロする時

大好きなシンガーソング&ライターの芳晴さん。密蔵院でもライプおやってくれている。その芳晴さんが、初の本格CDを発売。その記念コンサートが芳晴れさんの地元、相模湖に近い藤野芸術の森のホールで行われたので、行ってきた。

どうして、あんなに優しい歌詞と、無理のない美しい曲が書けるのだろうと思う。すでに、来年密蔵院でのミニライブをお願いしてあるが、優しさとシンクロしたい方には、芳晴さんの唄は、絶対にお勧め。ホームページからは、音源もダウンロードできます。http://yoshiharu.net/

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SEASONAL

この夏、四回目の法話を終えて帰宅したら、家内がトウモロコシと枝豆を茹でていた。ゆで上がりをつまみ食いすれば、口中に旬を感じざるを得ない。で、この旬を英語で何と言うのだろうと調べたら単に「SEASON」だった。拍子抜けである。でも、用例を見たら「旬の野菜を料理する」で[cook seasonal vegetables]とあった。あはははは。シーズナル・・・これなら、私としてはOKである。充分、「旬」というニュアンスがある。---というわけで、「旬の」の訳語は「シーズナル」がリーズナブルである。ぐははは。

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8月の密蔵院は「怪し会陸」、チケット発売開始です。

三年目になる密蔵院本堂で行われる実話怪談の朗読劇、「怪し会六」(茶風林さん主催)。木原浩勝さん原作の怖いだけではない、心暖まる怪談の数々。名うての声優さんたちが造り出す世界を、どうぞご堪能ください。もちろん、私もどこかで参加します。わははは。今年も20日から先行発売が開始。詳しくは次のアドレスからどうぞ。※密蔵院でのチケットのお取り扱いはしていません。

http://www.tambourine.co.jp/ayakashikai/

激動の5日間が一区切り。お葬式が続き、若い仲間の婚礼、参列者家族のおじいさん疑似体験など、楽しかった日々。ブログさえかけないほど日々楽しい宴(うたげ)の連続でありました。来月三笠書房の知的生き方文庫から出る予定の新刊を脱稿してから約一か月。ようやく、心のピリピリ感がなくなった気がします。

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呆れかえるの頬被り

「呆れかえるの頬被り」という言葉がある。カエルは目玉が頭部の上についているので、頬被りをしてしまうと何も見えない。そこから、物事が見えていないことを表す。「驚き 桃の木、山椒の木」や「なんだ神田の涙橋」と同類のカケコトバだが、蛙が頬被りしている姿はメージしやすい。

「あの人は、何もものが見えていないで、あんなことを言うのだ。まったくもって、呆れカエルの頬被りだ」という具合に使う。あはははは。この言い回しは、まだ使ったことはない。悪口が悪口に聞こえないようになる洒落た葉だと思う。いつか使おうと思っているが、そう言っている間に、「まったく坊主は世間のことが見えていない。あきれかえるの頬被りだ」と、私が言われてしまそうな予感が・・・。うはははは。

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首の筋を実感する方法。

『華厳経物語』(鎌田茂雄著)。うーん、難解であった。鉛筆片手に読み終えるのに2週間かかった。ここから、どんな世界が私の心の中に熟成していくのだろうと思うと楽しくなる。

昨日階段から足を一段踏み外しただけで、首がむち打ち症状態になった。ぎゃはははは。一日たったら、痛みが具現化してきた。首の筋はこのように背中へと回っているのだなと実感できる。わははは。「あと二日間で治れ」と自己暗示をかけた。

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人は石垣・・・

『定本講談名作全集』を読んでいて、「ははぁ、なるほど」という下りがあった。武田節の中に「人は石垣、人は城、云々」という歌詞がある。もともとは中国の戦術書からの言葉だそうだが、読み物、語り物としての面白さだから私はいっこうにかまわない。その名セリフをご紹介である。

「武田信玄さま一代は、甲州に城を造りません。そこが偉いところだな。俺がいる間は、敵は一足も領分には入れない。してみれば、城を造るには及ばない。家来や領地の百姓町人に目をかけて、慈悲善根を旨とすれば、いざという時に、それが城の代わりをする。さすれば大金を費やし、多くの人の力を用いて、城などを拵(こしら)えることはないと言ったそうですが、偉い方だ」

これも、いつか言ってみたいセリフの一つです。

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東京盆の朝の風景

東京の夏の風物詩に「入谷の朝顔市」がある。密蔵院のある鹿骨(シシボネ)は、その朝顔の一大生産地だ。毎年4月8日のお釈迦さまの誕生日をすぎてから種まきをして、見事に行灯作りと呼ばれる朝顔に仕立てる。この朝顔は、朝顔市が終らないと一般の市場には出さない決まりになっているらしい。で、朝顔市が終ったので、生産者の檀家さんが何鉢も持ってきてくれて、夏の風情を感じさせてくれる。

今年は家内が本堂脇にネットを張った。8月一杯爽やかな花を楽しませてくれることだろう。東京盆の朝の風景である。

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