水波の如く

明後日の大行事の為に、塔婆を書いている。ご主人を亡くした奥さまが自分の名前ではなく、成人した子供の名前で塔婆をあげるケースは少なくない。ご自分は別の機会にご自身の名前であげているのだが、この法要の塔婆は子供の名前であげるのだ。「忙しくてお墓参りにもなかなか来られない子供に功徳をつませておこう」という親心でもあり、陰徳でもある。「成人したら自分の名前で塔婆をあげるべきだ」という論があるのは知っているが、「しかし、これはこれでホンワカとしていい」と思いつつ、筆を進める。ある日、お参りに来た子供が、知らぬ間に自分の名前で塔婆があがっているのを知った時、親の積んだ功徳が水波のように広がっていくはずである。

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創業400年以上はザラの業界(?)

今日はお世話になっているお寺の創建400年祭のお祝いに参上。世界最古の会社は西暦578年に創立されて、創業以来1438年もたっている寺社建築会社の金剛組だが、一般の法人で、400年続いている法人は少ないだろう。密蔵院は330年だが、近所のお寺は創建500年はザラである。多くが檀家さんたちが守ってきたお寺だし、これからも守っていくお寺だ。仏道を志す一介の坊主として、その教えを継承し、広める拠点として寺院を存続してくださって、ありがたいと思った。

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「ベストセラーよりロングセラー」なのだそうだ。

『1日5分 朝の「般若心経」写経手帖』(ナツメ社¥1000+税)は、初版が2012年だった。一昨日13刷が届いた。6年たっても増刷され続けるのは、この本を作ってくれた編集者が言っていた「ベストセラーより、ロングセラーを出したいんです」の願いが叶っていることになる。携わった筆者として、嬉しく、ありがたいことだ(私の似顔絵のイラストはいまだに恥かしい)。1日5分、「今日の解説」と「今日の法話」を読みながら、一カ月で「般若心経」一巻を写経してみようという企画は面白いと思う。

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これからは買うものの多くが遺品になる年齢。

御詠歌バッグの肩紐がほつれてボロボロになっていた。愛着かあるから使っていたが、家内が「御詠歌の先生がそんなものを使っていたらおかしいでしょ」と言う。「お疲れさま。ありがとう」と心で言って処分した。新しく買う御詠歌バッグも15年くらい使うだろうから、次が私にとって最後の御詠歌バッグになる。つまり、遺品になる。ぐはは。死ぬまで使うとは、そういうことだ。

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わがままを受けてたつ。

ひょんなことから、「7年前に没になった企画が復活することになりました」と言う。企画段階で五分の一くらいまで進んでいたのだが、さて、本決まりになったら「夏に出したい」との仰せ。がはは。二カ月弱でできるのか?急ぎの仕事は忙しい人にやらせるに限るらしい。なんとか時間をヤリクリする習性があるからだ。「無茶な話だけど、やってみるか!」と安請け合いした。一杯飲みながら打ち合わせなんぞするから、こういうことになるのだ・・・。自業自得である。

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あわてる坊主

午前中の御詠歌を終えて、さて写仏のお手本を描こうととレッシングペーパーに向かったら電話。「名取さん今どこにいますか」「どこって、お寺にいるけど」「あと5分で養成所の授業開始時間ですけど・・・」「ゲーッ!」私の予定表には書いていない。といより、私が転記しなかったのだ。家内におにぎりを作ってもらって車の中で食べて、どうにか、30分の遅刻ですんだ。久しぶりのど゛忘れだが、毎度のことながら、心臓に悪いことこのうえない。今宵仕上げた一葉観音のように、心静かでいたいものである。

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「はちみつを・・・」

食卓の上に載っていたデパートのお中元カタログの表紙の言葉を見て笑った。「はちみつを なめてはいけません」だって!あはは。これを許可した責任者はそうとう腹をくくっている人だろう。会ってみたいと思った。

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ヤリクリ

今週は出版3社と打ち合わせをした。得意になっている場合ではない。これから一週間がエライことになった。やることの優先順位を考えて思案に暮れた。気づくと、「どこかにヤリクリという栗は落ちていないか」とあたりを見回していた。落ちていない。当たり前である。私の心の中に実っている栗だからだ。まずは、今日の名古屋行きの新幹線の中で、一つ目を片づける所存。

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一日を三つに分けて暮らす

空海(弘法大師)が生まれたのは774年6月15日。それから321年後の二日違いの17日生まれたのが覚鎫(かくばん・興教大師)。興教大師というお方は、私たちには「高野豆腐」の考案者としておなじみのお坊さん。誕生日が近いということもあって、この二人の誕生を祝う法要がある。日程の都合で、今日行われた法要に参加した。続いて行われた御詠歌の講習会を聴講して、大学の御詠歌の授業へ。終わってブラブラしている学生に声をかけて一杯が二杯・・・。あはは。明日も似たような、三つのことをする一日になる。

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「ちゃんとやってるか?」

今日の密蔵院の午前中の御詠歌は私が担当だった。夜の部は副住職が担当である。住職室で原稿と格闘しながら練習の声を聞いている。みなさん上手に唱えているので、ちょうどいいBGMであるが、彼が話を始めると、気になって耳を傾ける。あはは。いつまでたっても、親は親か・・・。

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