花山の思い 25番札所 播磨の国、清水寺、たくさんだ門!
清水寺と言っても、24番札所があるのは、兵庫県加東郡社町のお山の上。
ここで花山法皇が詠んだ御詠歌が
「あわれみや 普(あまねほ)き門(かど)の 品々(しなじな)に
何をか波の ここに清水」
「普」「門」「品」と言葉がなれば、たいていの観音さま信者は「ああ、普門品(ふもんぼん)」のことだなとわかります。
俗に「観音経」と呼ばれるお経の正式名称が「妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五」だからです。
観音さまが、さまざまな姿をして、救ってくれる門はあちこちになるので、普門と考えていただければいいでしょう。
救いへの門は、たくさんあるんだモン!
ぎゃはははは。
大意:観音さまが私たちを哀れんでくれているのだな。どんな門であってもあちこちからさまざまな手段で私たちを救ってくださることだ。だから、人生でつらい波が立っても、この清水寺へお参りすれば、きっと救いの手を差し伸べてくださるのだ。
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今日は、今月唯一のオフの日。つまり何も予定が入っていない日。ということで、塔婆を書いて過ごしの介……。
おかげさまで今日51歳になったので、これから両親に「赤毛さまで」と、墓参りにいってきます。
写真は、昨日のご詠歌コンサートのワンカット。全員登場の場。
おめでとうございます。
次回は気軽ですか?
ガッツリですか?
おしゃれは必要ですか?
ruriさん>フィリピンの子の「ラッキーだった」は、日本語にすると「おかげさまなのだ」ということになるんでしょうね。絶対の「神」をベースにするのと、日本人的にチャランポランな中に「縁起」を想定しているのとの差でしょう。どうしようもなくなる前に、せめて仏教的考え方を身につけてくれていればと思います。そうすれば「死んでも大した違いはない」ということに気づいて「ならば笑顔で生きていってみようか」と思ってもらえると思うのです。
密蔵院のお檀家さんの中での自死者の方の訃報を受けると、ひしひしとそう思います。だから、坊主としてやることが沢山あるとも思うんです。
「赤毛さま」は「おかげさまたち」が崇拝している「神」の名前です。ぎゃははは。ウソです。単なるミスタッチでございます。うははは。
ごんべいどうさま>いつだって気軽でどうぞ。生きていくものね!うはははは。