花山の思い 19番札所(その2) 異様な僧

 身重の鹿を射止めた狩人の某(なにがし)は、その罪の重さにうちひしがれて、殺した鹿革をなめして、お寺へと持参して、住持に言った。

「不殺生を基(もとい)とするご出家にこんなことをお願いするのは、とても申し訳ないのですが、この革にありがたい経文をお書きいただけませんでしょうか」

 僧は、子細を尋ねなかった。よほどのことがあるのだろうことは、狩人の眼が口以上に物語っていたからである。僧がどんな経文を書いたか、残念ながら、今には伝わっていない。

 狩人は、手持ちの金子をすべて布施として僧に差し出すと、その場で、
「重ねてお願いしたいのですが、私を出家にしていただきたいので、得度の儀式をお願いできませんでしょうか」

 僧は、弟子を呼んで剃刀(かみそり)を用意させると、某という狩人の髪を剃って出家させた。今や師僧となった僧は「以後は、行円(ぎょうえん)と名乗りなさい」と戒名(僧名)を授けた。

「ありがとうございます」と深々と頭を下げ、合掌した行円は、鹿革を衣に仕立ててもらった。
 
 数日後、経文の書かれた衣を身にして、寺を離れ、修行の霊地として名高い、京都比叡山の横川(よかわ)を目指した。
 
 もちろん、革の衣をまとった異様な姿の旅の僧侶は、道中いやが上にも人目を引いた。
「見ろ。出家でありながら、革を身にまとっておるぞ」
「なんという破戒僧であろうか」

 ある宿場では、これから山に狩りに出かける狩人とすれ違ったことがあった。
 その狩人は、前からやってくる異様な姿の出家に、自分と同じ獲物を探し、射止める殺気の名残のようなものを微妙おち感じた。名人といわれる者同士だけがもつ嗅覚なのかもしれない。

 しかし、狩人がそんなことを感じていると、革の衣をまとった出家は、すれ違う時に、片手で合掌をして何か口の中で唱えながら彼をやり過ごした。

 数年のち、比叡山の横川で修行をあらかた終えた行円は、京の町に時々下りた。 
 このころにはすっかり革も柔らかくなっていたが、経文は当初のものに細工をしたのか、しっかりと読める。

 人々は横川から時々おりてきては、説法をし、殺生された獣たちの供養を行って、再び横川へと戻って行った。

 やがて人々は、彼のことを「横川の革仙(かわひじり)」と呼ぶようになった。

 寛弘元年に、彼の開創した行願寺(ぎょうがんじ)は、革堂(かわどう)と呼ばれ、発音が変化して、いまでは「こうどう」と呼ばれている。

……と、19番札所が「革堂(こうどう)」と呼ばれる経緯についてお伝えしました。次回はこの寺に花山法皇が奉納されたと伝えられるご詠歌のご紹介でございます。


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