地蔵を探せ。

ということで、たくさん描いたお地蔵さまのヨダレカケに着色を終えた。すると、写仏の参加者の中に、昨年10月に自宅でカウンターだけの喫茶店を開店した方がいるのがわかった。そんじゃ、開店祝いでゴザンス!と差し上げた。ちなみに、この中に、ピースサインをしているお地蔵さま、メガネをかけたお地蔵さま、大笑いしているお地蔵さま、ヨダレカケが白のお地蔵さまが一人ずついらっしゃる・・・。「地蔵版ウォーリーを探せ」を兼ねている軸である。うははははは。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


佃煮地蔵

昨日の「写仏の庭」で、皆さんが「笑う仏さま」を写している間、私は単なる思いつきで、ひたすら、お地蔵さまを表装済みの軸に描きつづけた。その数は240体は越えているはず。こんなことに打ち込める時間があるのは、とても気分が楽(これを称して気楽と言います)。お地蔵さまのヨダレカケに色が入って、もらわれていった話はまた明日。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


楽天KOBO ベストライスセールにエントリーしました。

昨日から始まった、楽天KOBOのBEST PRICE セールのエントリーは総数500冊。その中に拙著【お坊さんも悩んでます。自分の「ご都合」と上手に付き合う43のヒント】もエントリーされました。(紙の)本にはなっていない、いわゆる電子書籍です。通常は500円前後のところ、今回楽天のセールでは299円!--紙の書籍では定価が木まっていますが、電子書籍ではまるで通用しない世界。わはははは。よろしかったらお求めください。http://kobo.rakuten.co.jp/event/camp-bestprice/?scid=wi_kb_event_include_contents_campinfo_kobo.rakuten.co.jp

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


仏が笑っている理由

今年最初の「写仏の庭」のお手本は”笑菩薩”。歯を見せて笑っている仏さまだ。お経によると、この仏さまは、見返りを求めずに施すこと(布施の行)を見事になし終えたがゆえに、心が晴々したと書いてある。さらに「人々に喜捨(喜んで捨てる)の功徳を説く」と続いている。お金や名誉への欲や「しなければならない」的自己規制の想いも「捨てちゃえ!楽になるよ!わははははははは」と笑っているのだ。ニヤニヤ笑っているうちはまだまだだ。自分を縛っているものを思い切って捨てちゃって、大口あけて「わははははは」といきたいと思う。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


幸せかどうかは自分が決める

相手が迷惑か、面倒かは相手が思うことであって、ことさらにあふれるほどの自責の念を抱くことはないと思う。それとは逆に、幸せかどうかは自分が判断するもので、他人が「あなたは幸せだよ」と決められることではない。もちろん、「自分は幸せである」ことに気づくことはとても良いことだ。本人がそれに気づこうとせず、自己憐憫や自己嫌悪で落ち込んでいる場合には、気づかせてあげるという意味で「あなたは幸せではないですか?」と呼び水的に伝えることは大切だと思う。「迷惑かどはうかは相手が判断し、幸せかどうかは自分が判断するもの」ことを分かるようにしておかいないと、愚痴っぽい人(心が穏やかでいられない人)になってしまうのかもしれない。今日、原稿に手を入れることができる私は(実際に打ち直ししてくれる人はどうかわからないが)、まあまあ幸せである。わははは。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


迷惑かどうかは相手が決めること

昨日の「法話の辻」には、新しい方が四人いらっしゃって、楽しい時間でした。明後日は「写仏の庭」であります。

さて、昨日の続きである。「迷惑」ならばわかるのだ。「(人を)迷い、惑わせる」と書くのだから。しかし、「面倒」がわからない。家内が言ったように「面(つら)をはり倒されるくらい嫌なこと」ではしっくり来ない。わはははは。で、調べてみなら、やはり「面倒」は当て字で、もとは漢字を使わない昔からの言葉が変化したもののようだ。最近この「面倒だ」を「面倒臭い」と「クサイ」をつけて言う人が多くなったと聞いた。この場合の「クサイ」は、「アホ臭い」「バカ臭い」と同じように、その語の意味を強調する言葉だ。なるべくなら「くさい」はつけないで、普通に話したいと思う。ちなみに「人に面倒をかける」「迷惑をかける」ことをとても気にする方がいる。しかし、「面倒」であり「迷惑」かを判断するのは、相手であって本人が決められる問題ではない。お年寄りから「迷惑をかけてすみませんね」と言われたら、「迷惑かどうかは私が決める問題ですからね。私はちっとも迷惑じゃないし、面倒をかけられてるなんて思ってませんよ」と答えることにしている。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


メンドウはどうして「面倒」と書くか。

今日は「法話の辻」という名の法話の会。その中で「面倒」についてお話をした。昨日聞いた94歳になるおばあちゃんの「子供たちに面倒をかけて申し訳ない」という老女の話からの展開だった。そんでもって、話の資料として紙に「面倒」と書いていて、どうして「面倒」という漢字なのだろうと思った。たまたま横にいた家内に「どうしてだと思う?」と聞いた。すると、その答えが面白かった。「そうね。ツラ(面)をはりタオ(倒)すって、面白いわね」と言ったのだ。思わず、「俺のことか?」と思って、頬を押さえた。わはははは。それからどういう話の展開になるのか・・。明日のブログ(フェイスブックの方は明日のフェイスブック)をお楽しみに!ぎゃははははは。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


誰かのために真剣になると元気になる(ことがよくある)

昨日の夕方から何やら体調がおかしくなった。節々にも違和感があるから、家内は寝しなに「葛根湯を飲みなさい」と一本出してくれた。「そんなんで、明日のおお葬式大丈夫なの?法事をあなたがやって、副住職にお葬式をたのんだら?」と心配もしてくれる。しかし、経験上、このくらいの初期症状は、気が張っている時間が6時間くらいあると治ってしまうもの。亡き人を仏の弟子に、遺族の悲しみのケアという二つを誠心誠意つとめて帰宅したら、どうにか元へ戻っていた。わはははは。脳からどんなホルモンが出て、自然治癒力を高めるのかわからないが、誰かのために何かを真剣にやれば、私の場合、その物質が分泌される。何も人のために何かしなくても、本堂で精神統一して、そのホルモンを意図的に出せるようにしておきたいと追う。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


小さな楽しみ

何だか机の周囲が雑然としているなと思ったら、原因は机横のプリンターの上においてある、今年いただいた年賀状だった。「お年玉付き年賀状」は、当選番号をチェックしてからでないと仕舞えないのだ。わはははは。で、ネットで当選番号を検索した。一等は現金一万円で、二等はふるさと小包、三等が切手シート。かつては娘が全部調べてくれたけれど、今では家族のだーれも調べようともしない・・・。わははは。小さな楽しみとして、時間ができた時に、炬燵に入りながらチェックしようと思う。「あなたからいただいた年賀状、当たってました」とご本人に会った時にお伝えするのも、昔から私の密かな小さな楽しみなのだ。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


ぎゅーぎゅー詰めの鳥そぼろ弁当

1月2日の新年会の福引で家内が当てた腰回り付きアッタカクッション。その暖かさに驚いて、私も手に入れた。中にアルミシートが入っていて、腰回りがとにかく温かく落ち着くことこの上ない。椅子から立ってお客さんの対応をしたり、昨日大人買いしたノラ・ジョーンズのCDをi-Podに落とし込む(音仕込む)作業で席を離れると、早く再着席したくなる一日だった。とにかく一日寺にいて、沢山のことをやった一日だった。「ぎゅーぎゅー詰めの鳥そぼろ弁当」みたいな一日と言っても、誰も分かってくれないだろうな。わはははは。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ