琵琶湖の南、つまり北に琵琶湖を望む場所にある13番札所の石山寺(いしやまでら)。
清少納言が「源氏物語」の構想を練ったことでもしられ、その部屋もあるお寺。
「寺は石山」と言われるように、昔から風光明媚で、かつ信仰を集めた山ですから、さまざまな場所でこのお寺の名前が登場します。
私が真っ先に思い浮かぶのは……浪曲の一節。
「固い約束、石山寺の 鐘の響きは変わっても 変わらないのが、お前との約束だ」――そんな名文句があります。
このお寺で花山法皇が詠んだご詠歌は
後の世を 願う心は軽(かろ)くとも 仏の誓い 重き石山
(あの世での安楽を願う気持ちはそれほど強くなくても、観音さまの“人々を救う”という誓願は岩のように重いものです。ですから、しっかり石山寺の如意輪観音さまにお参りなさいませ)
今年の春にお参りして山門をくぐって錫杖をつきながら駐車場へ向かう道すがらのこと。
マイクを片手にした女性が「NHKの者ですが、音をとらせていただいていいですか」
聞けば「音の散歩道」の関西版だという。
「どうぞ」と言ったけど、意識したとたんに、ギクシャクしたヘンテコリンな歩き方になって、自分でも笑いだしそうになった覚えがあります。
さて、琵琶湖近辺がもう一つ、三井寺(みいでら)
「いづいるや 波間の月を三井寺の 鐘の響きに 歩くみづうみ」
うーん、夜の風景ですねぇ。いいなあ。
これについては、また次回。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
昨日は「空海 黄金の言葉」の完成打ち上げで、関係者4人で寄り合い。久しぶりにカラオケに流れて、今日は声がガラガラでございます。
そんで、今日は今日とて昼間は、宗派の事務所で、宗派のご詠歌関連のホームページ検討会議。みなノリノリでよく意見がでました。言いたい放題というのは楽しいものですね。
早めに終わったので、こうしてブログが書けます。
今宵は新宿で、懐かしい人と再会。15年ほど前に、日本武道館で1000人のお坊さんで声明をやったのですが、その制作をしてくださった方。その後の私が事務局長をつとめたヨーロッパ公演でもご一緒してくれた方。丸二年間苦楽を共にした仲間です。このおかげで私はたいがいのイベント主催は怖くなくなりました。
大学3年生の娘の専攻が「アートマネージメント」。就職のこともあるので、現場のプロの話が聞きたいと言っていて2年越しで実現の運びとなりました。
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都に都があったころ、都に近い海のように大きな琵琶湖がある地域を「近江」といい、遠くにあった静岡県の浜名湖のある地域を「遠州」と言った。
西国観音霊場で、琵琶湖のそばにある12番札所は岩間寺(いわまでら)。
お寺というのは、修行の地でもあり、僧侶が生活をする場でもありますから、当然近くに水がないとアウト。
岩の隙間から湧き出る水が池に流れ込みまんまんと水をたたえる。そこに松の葉をシャーッと音を立てて吹き抜けた風が波をたてる……
花山法皇は、満々と湛えた豊かな水を観音さまの豊かな慈悲と見ただろうか。
その慈悲の源はどこにあるのかと思いを馳せただろうか。
松風の音の中に仏の説法を聞き、
岸打つ波に、観音さまの慈悲のが絶え間なく打ち寄せる幻影を見たか。
水上(みなかみ)は いづこなるらん 岩間寺 岸打つ波は 松風の音
「松風談般若」(しょうふうだんはんにゃ)という言葉がある。細く密集した松の葉を通る時にしか聞こえない不思議な風の音は、仏が般若(智恵)を説法しているのだと聞くのである。
赤ちゃんの泣き声を命の雄叫びと聞くのと似ている。
仏の慈悲の源は、じつはあなたの心の中にあるということでもある。じっくりと、そして確実に流れて出し、徐々に豊満なやさしさが湛えられていく。西国観音巡拝も行程の三分の一を過ぎて、花山法皇にそんな思いがあったのだろうか。
琵琶湖の水にも思いを馳せたことだろう。
水上はどこか、言ってごらんの「言う」を「岩間」にかけてあるご詠歌だ。
さて、次回は13番石山寺、私も大好きなお寺である。
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おかげさまで三笠書房の『般若心経 心の大そうじ』の第二弾『実践版 般若心経 こだわらない生き方』もボツボツ書店に並んでいる様子。いくらかでもお役にたてば幸いです。
さて、西国11番札所は、上醍醐(かみだいご)。醍醐(だいご)というのは仏教語。醍醐味なんかはもう日本語としても使われますね。
醍醐味はどんな味かというと、「精製した乳酪」とありますから、バターやチーズの味のこと。ほう……。味の王様ですね。
そこから、一番素晴らしいものという意味で、仏の教えのことを指します。
さて、この醍醐寺の山の上にあるのか上醍醐。祭られている観音さまは准羝(じゅんてい。テイは月偏です)観音という聞き慣れぬ仏さま。ジュンテイはサンスクリット語の音写ですが、古来語源についてはたくさんありますが、一般的には「清浄」という意味のチュンデイだろうとされています。
人間の三つの煩悩(むさぼり、いかり、おろかさ)を打ち砕き、特に驕慢(きょうまん)という「驕り高ぶり」を静める力が尋常でないとされています。
さて、このお堂の前で花山法皇が詠んだご詠歌は……
逆縁も 漏らさず救う 願(がん)なれば じゅんてい堂は 頼もしきかな
「逆縁」は普通は、親より子供が先に亡くなることをいいますが、
仏教語では「仏の教えに背くこと」という意味で使われます。
「別に観音さまなんて信じてないよ」ということも含まれます。
このご詠歌で使われる逆縁も元々の仏教語の意味のほうです。
>>>信仰ある人はもちろんだが、そうでない人々さえしっかりと救ってくださる観音さま。なんと頼もしいことだろ。<<<――そういうことを花山法法皇は感じたわけです。
私は三度お参りしていますが、毎回たどり着くのにクタクタ。同行の仲間もフーフー言って、呼吸の整えるまもなく勤行をするものですから、ご詠歌の意味をじっくり味わって唱えることは、まだまだ、難しいのが正直なところです。
ちなみに、手元にある資料では「頼もしい」を「頼母しい」と書いてあります。
母の頼もしさをこう書くんですね。昔の人はいい書き方をしますねぇ。
さて、山城の国を後にして、次に向かう12番札所は近江(おうみ)の国の岩間寺(いわまでら)でございます。
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☆ ☆ ☆ ☆ ☆
法事やお葬式で、お清めのお酒をいただいている間に、やらねばならぬことが山積してしまった私・・・ぎゃはは。
まずは、新潟のお坊さんが作った和讃の譜面制作と清書作業。
そして、 来週からお参りにいく小豆島88カ所霊場のご詠歌、88首を譜面に合わせて文字を切り貼りする作業も同時スタート。4日間くらいはかかる量です。
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えーと今日もけっこう酔っている和尚です。
95歳のおばあちゃんのお葬式で、繰り上げ初七日の後の席で、孫さんや曾孫さんから「まあ一杯」攻撃(?わはは)で、すっかり撃沈の体(てい)ですが、昨日の約束ですからしっかり(しっかかりしすぎ?どゃははは)書きます。わははは。
「宇治は茶でもつ、茶は宇治でもつ」――そんな歌があったような、ないような。
でも、今回は西国10番の札所、宇治の三室戸寺(みむろとじ)で、千年以上前に花山法皇が唱えたご詠歌のご紹介。
その歌は……
夜もすがら 月を三室戸 分け行けば 宇治の川瀬に 立つは白波
○夜もすがら*日の暮れから暁までのこと。終夜のことであって、夜不尽(よもすがら)の意。
○月を三室戸*月を見ろと「三室戸寺」をかけある言葉。こういうのはつまり駄洒落であって、たとえば密蔵院の密を「三つ」とか「見つ」とか「光」にひっかけるわけですね。
「子供の魂 密(三つ)蔵院」とか「無くしものはここで密(見つ)蔵院」とか「ピカピカ輝く密(光)蔵院」とか、ひっかけていくわけです。
たかがオヤジギャグと侮(あなど)るなかれ、奥ゆかしい和の世界なのです。
○月*仏教で月と言えば、闇の中で欠けることのない丸く輝く智恵のことを象徴しています。
○白波*昭和11年発行の「ご詠歌新釈」には次のように解説してあります。あんまり難解で、笑っちゃうのでそのまま引用しますね。こんな解説を当時の(たかが70年前の方々はわかっていたのだと思うと、我が身のいたらなさを痛感します)一般の人々がわかったのだと思うと……うははは。穴を探さないといけない。
〔白波〕これは隨縁真如の浪の意を含めたのであります。万有の本体をさして真如といいますが、この真如には湛然寂静(たんねんじゃくじょう)なる不変の相(すがた)であると共に、諸々の縁に応じて、如何様(いかよう)なる差別(しゃべつ)をも変現する義があります。
即ち無明の染縁に触れれば、染の諸法を現し、真如の浄縁に触れれば、浄の諸法を縁起するのであります。そして、前の寂静不変の相を不変真如というのに対し、後の諸縁に応じて変現するを隨縁真如と名付けるのであります。
この平等一味、湛然寂静の真如が、縁に応じて差別の相を起こすことが、ちょうど平穏な大海が、風が吹き来ることによって、大波小波(たいはしょうは)を発現るするがごときを称して、隨縁真如の波というのであります。十訓抄にも「実相無辺の大海に、五塵六欲の風は吹かねども、隨縁真如の波の立たぬ日はなし」とあります。―――
正直、私にはこの三分の一もわかりません。ぎゃははは。
酔った頭で考えるに……私たちの心に立つ煩悩という白波は、外からの影響である風によって波が立つ場合もあるし、自分の心が同様して自分でたてている心の波もあるんですよ、ってことだろうかと思います。
さて、そこで、上記『ご詠歌新釈』の筆者の堤達也先生の素晴らしい解釈に芳彦流の味を少し加味してお伝えしましょう。10月3日の中秋の名月を前にして、もってこいの深い味わいです。
〔通 釈〕
夜一晩、良い月を眺めようと思って、宇治川のそばの三室戸寺のあたりの道を分けて行くと、これまた意外にも、私の足元の宇治川の瀬に白波が立ち騒いでいるのを見ました。
これはこれで、よい景色で、案外儲けものでしたが、でも、この白波こそは、実に油断ならないもので、良い良いと思っていると、なかなかそうではなく、せっかくの真如の月影も、この大小の波の為に漂わされ、弄ばれて、ついには仏の本体をつかむことができなるなります。
良い景色だと思っているのがもともと間違いですから、深く注意して、こういう俗縁の起こるのを祓い清めて、真如の本体をつかみ、仏の慈光に接することにつとめなくてはなりませぬ。
わあ、勉強になりますねぇ。
白波を見るのではなく、目的はその川面にうつる満月の本体をつかむことなのだぞ、とという戒めであります。
もとより仏教には、その白波もまた仏の本体であるという考え方があります。しかし、それは川面に映る月影の本体を我が身のものとしてからの話。
表面でおこっていることにこだわらずに、ものごとの本質を見極めよ、そして後、表面で起こっていることを笑顔で認めていけ……そういうことでしょう。
私の好きな言葉「清濁、あわせのむ」と同じようなことでしょう。
清いものだけを受けて、濁ったものを受け取らないような度量じゃいけません。いつかは両方を、笑って受け入れる広い心を持ちましょう。
長くなってスイマセン。
さて、次回は11番札所、上醍醐。いまでは一番の難所。ほとんど登山です。一昨年落雷で燃えちゃったお堂であります。
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☆ ☆ ☆ ☆
今日は鹿骨から車で10分ほどの亀戸のショッピングセンター内の広場で「風人(カジピト)の祭り」がありました。
私はお葬式で行けなかったのですが、そのイベントにミュージシャンとして参加していたのは10月25日に密蔵院でライブをやってくれることになっているKNOBさん。そして、何度も密蔵院でライブをやったり、泊まったり、飲んだりしている森源太。
お葬式から帰ってきたら、案の定、源ちゃんが家族で顔見せに来るとことに。おお、楽しかねぇ。おくさんのエミポンとも、愛娘の瑞穂ちゃんとも、一年ぶりくらいかな。
本当は打ち上げ終了後に来るはずが、打ち上げに出ないで密蔵院へ来ると、今電話が。何か食べるものあるかね?という電話。わははは。
家内が娘とあわててカレー作りスタートです。ぎゃはははは。
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昔、昔。平安時代のこととて、1200年以上も昔のことでございます。
花山法皇という天皇を引退した方が、一人でも多くの人に善根功徳(ぜんごんくどく)を積んでもらおうとて、復興した西国33観音霊場。
お参りの時の心情を31文字の和歌に込めて奉納し、今に伝わるご詠歌33首。
古(いにしえ)の、その心情に触れんと企画せし、このシリーズも、はや京都は宇治の寺、10番札所の三室戸寺(みむろとじ)・・・
つづりたまいし御歌(おんうた)に
夜もすがら 月を三室戸 分けゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波
この歌、そうとう仏教の素養がないと解読できませんし、相当の文章量がないと、説明もでときません。
よって、詳しい内容は次回にお預かり・・・ゴメンナサイ。
今日は法事の後座で飲み、午睡して酔いをさましてからまたお通夜で飲み・・・(本当は飲まされといいたいところですが、それは酔っぱらいの戯言(たわごと)にしかなりませぬから、これ以上いいません。書きません。わははは)
夜もすがら、、秋の夜長にふさわしい言葉ですね。、
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18時からのお通夜で、読経と法話を終えて控室に戻ったのは19時。
そして誘われるままに席について、飲んで、飲まれて、飲まれて、飲んで・・・
お寺に送っていただいたのは21時を15分ほどまわったころ。
95歳おオバアチャンのお通夜。
明日の葬儀の後では、孫と曾孫だけでバス2台で火葬場に行くそうです。だから火葬場まで行ってお骨を拾う方はゆうに100人を超えるでしょう。
95年生きるということはこういうことです。
家族の絆を保つというのはこういうことです。
95年生きるもの、家族、親戚の絆を保つもの、(今の時代で言えば)並たいていの煩わしさではありません。
でもね、面倒くさいからやらない、大変だからやめた--それは生きてる人の魂にも、決していいことではないと思うのです。
「嫌でもやらなきゃならないことはあります」と言うより「嫌だと思っている自分の心をもう一度、大丈夫かどうかチェックしてみる」勇気はほしいですね。
昼間のご法事も、とてもいい法事と後座でした(私が飲めたから言うわけではありませんので、悪しからず)。
帰宅して、娘に「おーい、お父さんにMOW(もー)買ってきてくれ」というヘベのレケの酔っぱらいオヤジと化した私です。(※MOWはエスキモーからでているアイスクリームの商品名です)
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春日大社、東大寺、そして興福寺、その横にこんもりきれいな姿を見せる三笠山(若草山)。
ここへお参りに来た花山法皇は、多くの思いを31文字の中に盛り込みました。
春の日は 南円堂に 輝きて 三笠の山に 晴るる薄雲
「春の日」は春日大社にもかかる言葉。実際の春の光に照らされるお堂も見たことでしょう。そしてまた、この光は、観音さまの慈悲の光もかけてある言葉。三つの意味を最初の句にかけるとは、すごいですね。
「三笠の山」も、実際の三笠山と、私たちの心を笠のように覆う三つの煩悩(むさぼり、いかり、おろかさ)を表しています。
意味は、
「観音さまの慈悲の光は、春の日にも似て、ここ南円堂の観音さまから発せられていることだ。その御利益によって、私たちの心をおおう煩悩さえも、薄雲が晴れ渡るように消えていくことだなぁ」
というところだろうか。
この南円堂の観音さまは、33カ所中唯一の不空羂索(ふくうけんじゃく)観音さま。羂は獣や魚を採る網のこと。索は釣り糸のこと――網や糸を使って(つまり慈悲のことです)人々をすくい取るということ。不空は「むなしくない」ということから、失敗しないの意。
がっつりと人々を救いますぞ、という誓いを身に帯している観音さまです。
だだっぴろい興福寺の境内から、バーッと慈悲の光を全方向に発する、神々(こうごう)しいお姿が目に浮かびますね。そして、その光の包まれ、自分の中にある同じ慈悲の光が反応して、自分の体からもドバーッと慈悲オーラが出てくるイメージをしてみたいものです。
そのイメージのまま、「おはよう」「こんちは」「こんばんは」「ありがとう」「いただきます」「ごちそうさま」が言えたら、その時、あなたは観音さまです。
さて、奈良盆地を後にして、目指すは北、山城の国。宇治近くの三室戸寺(みむろとじ)の千手観音(せんじゅかんのん)さまのみもと。
いざ。10番札所へ。
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テレビ版初代「ルパン三世」のビブラホン(鉄琴?)で奏でられるテーマを覚えておいでの方も多いだろう。
演奏は松石さんというプレーヤー。私が「声明ライブ」をやっているお店(新小岩チピー)で、月に一回出演している。何度も聞きにうかがっているが、にこやな笑顔で軽快に演奏する姿に、こちらの心も軽くなる。
昨日チピーのマスターから「松石さんの演奏、聞きにおいでよ」とお誘いをいただいた。
秋の夜長、今晩はたいした用事もないので、珍しく出かけて、まったりと松石さんの打ち出す生のジャズを堪能しようと思う。
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さて、このシリーズの発端になった、徳道(とくどう)上人がいらっしゃったお山、豊山(ぶざん)神楽院(かぐらいん)長谷寺は、現在では第八番の札所。
密蔵院の属する真言宗豊山派(ぶざんは)の総本山。
ご本尊は、今も昔も大きな大きな11面観世音菩薩。
あまりの大きさ(身の丈12メートル)のために、昔の人はこんな戯(ざ)れ歌を…
長谷(はせ)の観音 振り袖着せて 奈良の大仏 婿(むこ)に取る
あははは。天晴(あっぱ)れな歌でありますな。
このお寺で花山法皇が詠んだご詠歌が
幾度(いくたび)も 参る心は 初瀬寺(はつせでら) 山も誓いも 深き谷川
この歌は、なんの資料も見ないで私が解説できますので、やってみましょう。
なんどお参りしても、初めてお参りした時のような敬虔な思いがする初瀬寺(長谷寺をこう書くこともあります)であることだなぁ。
このお寺の前を流れる初瀬川の渓谷も、観音さまの人々を救うという誓いも、深いことだなあ。ありてぇなぁ
……と江戸っ子言葉になったとは思えませんが、まあ意味はそういうこと。
全国の名字の中に、長谷と書いて(はせ)と読む人あらば、この地がルーツですから、一度はお参りしたほうがいい。
ちょうど普段は入れない足元まで入ってお参りして、有り難い結縁(けちえん)のブレスレットのような「五色線(ごしきせん)」をお坊さんじきじきに手首につけてもらえます(1000円の燈明料が必要ですが、お灯明を代わりにあげてくれるのですから、ホント有り難いことであります)。
さて、万葉の昔には隠口(こもりく)の初瀬(はつせ)と言われていた聖地を後にして、足を向けるのは奈良盆地。東大寺の横にある興福寺にある9番札所南円堂(なんえんどう)でありまする。
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お彼岸のお参りも一段落。普段の落ち着きをとりもどしつつある密蔵院であります。
落ち着きをとりもどしたのをいいことに、今日は実家のお寺のご詠歌。
お葬式や戒名の話に花が咲きまして、お金とお寺や坊さんを結びつけて考えたいという心理が働くのだな、とよくわかる話の流れでした。わははは。
そういう流れは、子育てにも流用されて「お前を育てるのに、いったいいくらかかっていると思ってるんだ」などという--親子関係を、情ではなく、経済にしてしまう損得人間へとつながっていきます。同じ「ソントク」なら「尊徳」にしたいものですね。
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では前回のお約束。昭和11年のご詠歌の解説書の、7番のご詠歌の名解説をどうぞ。
『御詠歌新釋』(東京大学講師 堤達也/仏教年鑑社)より
さけ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり
○今朝:無明の闇から冷めたことで、煩悩の夢がさめたことにたとへたのであります。
○露岡寺:露をおくといふに、岡寺の岡をかけたのであります。――中略――露岡寺は、露を置かんそのやうな美しいといふ意にかけて、一方には露ははかないものにいふので、つまらない煩悩の良くにたとへたのであります。
○さながら:そのまま、まるでなどの意であります。
○瑠璃:梵語であります。玉の類で、七寶の一種であります。色は色々あるが、特に紺色(こんじき)を稱するしてゐます。
○なりけり:なりは指定の助動詞、かうだと指し定める个場、けりは過去(くわこ)の助動詞だか、詠嘆の意をふくんでゐます。
〔解釈〕
今朝来てみますと、朝日がきらきらと輝いて、夜露の一ぱい置いてある此の岡寺の庭は、庭石などについてゐる苔草のやうなものまでも、丸で瑠璃そのままの光を放ってゐますわい(ママ)。今、煩悩の夢がさめて、真如の暁となった心で見れば、何もかも皆極楽浄土のやうに美しく見える。これも順禮してここに来たお蔭で此の有りがたい姿を眺めることが出来たのであります。
わははは。解釈の中の「光を放ってゐますわい」という感動を示す唐突な語尾……。
いいなあ。
「ゐます」の「ゐ」の使ひ方も、自然で素晴らしいなあ。
「であります」というのも、私は滅多に使わない表現で、もし使うとしたら、かなりオチャメチックに使うだけなのであります。わははは。
さて、岡寺の露おく庭を後にして、花山法皇は、第八番の豊山(ぶざん)長谷寺へと参りますが、それは次回にお取り次ぎ。よぉ~~~、ポン!
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☆ ☆ ☆ ☆
お彼岸の中日。密蔵院の境内にあるお墓には、ぜーんぶ、きれいにお花があがって、本堂から見渡すと、まるでお花畑のようです。
無事に「写仏展」も終えまして、たくさんの方々にご覧いただきまして、ありがとうございました。
この4日間で、子供たちもたぶん100人くらいはお参りに来たでしょう。用意しておいた「オットット」と「カッパえびせん」がそのくらいは無くなっていますから(我が家の子供が食べていなければの話ですけどね。ぐははは)。
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西国33観音の第7番は(ああ、ちなみに、第七番目というのは重複表現だそうで、電球のタマ、馬から落馬と同じでございまして、第七番か、七番目のどちらかだということであります。わははは。つい使ってしまいますけどね)――大和の国(奈良県)は明日香村にある、岡寺(おかでら)。
万葉の昔は「飛鳥(とぶとり)の明日香」と言われた場所。やがて「アスカ」が「飛鳥」の読みに変化するのは、次の八番札所長谷寺の地名と同じ。かつては「長谷(ながたに)の初瀬(はせ)」と呼ばれていた場所が、やがて「長谷」に「はせ」という読み変化したという……ベ、ベンベンベンベン。
実はこのシリーズを書き進めるのに、手元に置いてあるのは基本的に三冊。一番古い資料が『ご詠歌真釋』。著者は東京大学講師 堤達也。昭和11年9月発行、定価一圓と奥付に書いてあります。発行の翌月には三版が出ていて、私の持っているものはその三版ですから、まあよく売れた本なんですしょうね。
この本の筆者、堤先生についてまだ調べていないのですが、その文章が昭和11年という時代を感じさせる、とてもいい感じなのです。
そこで、次回は、この岡寺のご詠歌
けさ見れば つゆ岡寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり
の解説をそのまま、写してみます。
なるほど、筆者の人柄があらわれるというのは、こういう書き方なのだなと思わせる文章で、思わずニンマリしてしまいます。お楽しみに!
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☆ ☆ ☆ ☆ ☆
お父さんとお母さんと一緒にお墓参りにきた女の子3人。2才、4才、7才。
夏休みに入って最初の土曜日の「親子写真教室」にもきてくれたN家。
写仏展を見に客殿に入ったら「わたしも描きたい」という小さな声が聞こえました。
さっそく私のお地蔵さまをちょっお大きめに描いて下絵にして、筆ペンを渡して「どうそ、やってごらん」。
大人には決して書くことのできない、力強く、素直な線で、お地蔵さまを描きだします。
その集中力といい、ほんと、勉強になります。
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西国33観音6番札所は、壺坂寺(奈良県)。
山の断崖の下に建てられているお寺。
その切り立った岩から落ちる水は、池に溜まります。
仏教では、水の汚れを洗い流す力を象徴して、煩悩を流す智恵にたとえられます。
その水を池に湛えているお寺は、清流とあいまって、まるで観音の浄土のように思えて、境内の砂さえも、浄土に敷きつめられている七宝のように思えます。
そんな思いが、花山法皇にあったかどうかは、知らねども……ベ、ベンベンベンベン。法皇が奉納したご詠歌は、
岩を立て 水を湛えて 壺坂の 庭のいさごも 浄土なるらん
ちなみに浄土は、「清浄国土」の略。その国土の水には八つの功徳があると言われています。
①甘い、②冷たい、③柔らかい、④軽い、⑤きれい、⑥臭くない、⑦喉を痛めない、⑧お腹をこわさない
(異説もありますが)焼酎の水割りにはもってこいだ。ガハハハハハ。
なみさんが、どこかへ行って、「ここはまるで浄土みたいだな」と思ったら、ちょっと隣の人に聞こえるように、この歌を引用して見ると面白いかもしれませんね。
「おお、ここはいいところだねぇ。足元の砂を見てごらんよ。“庭のいさごも浄土なるらん”って感じだね」
昔の人々はこんなことを言われると「ほんとはだねぇ」と答えたことでしょう。それくらいの仏教に対する共通知識(認識)があったのだと思います。
さて、壺坂寺(つぼさかでら)を後にして、次の7番札所は、龍蓋時(りゅうがいじ)、通称、岡寺(おかでら)。
6番で、足元の砂さえ浄土を飾る七宝と見た花山法皇は、岡寺では何をどう見るか・・・お楽しみに。
西国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/
☆ ☆ ☆ ☆
お彼岸の中日まで開催している「写仏展覧会」の体験コーナー。体験するのは、子供ばかり。今のところ、唯一の大人はコメントをくれている「ごんべいどうさん」だけ。
大人は「やってみようかな」というチャレンジ精神が枯渇しているのじゃなかろうか・・と、展覧会のお手伝いをしてくださっている写仏の庭に参加しているお二方と、ぎゃはははと話しました。
--加えて「こういう状態をみていると、勉強になりますねぇ」とも。お二人とも70才をゆうに超えている方です。
掲示している「言いたい放題地蔵」の中の
「行動より理屈が多くなることを おいぼれ といいます」の言葉が、妙に輝いて見える写仏展の一コマです。どはははは。
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