胎内回帰

 長野の善光寺をはじめとして、大きなお寺には、本堂の下の真っ暗な通路を歩く「戒壇めぐり」と称するお参りがあります。
 最も奥には鉄の輪が取り付けられていてそれに触れれば吉だとか、あるいは本尊さまの分身がおまつりされていたり、不思議な体験ができます。
 心理学者はこれを一種の疑似「胎内回帰」と言います。一度お母さんの胎内に戻って生まれ変わるということなのだそうです。

 10年ほど前に密蔵院の本堂の下にこれを作れないだろうかと、工務店に聞いたら
「密蔵院の本堂は、一階部分に土を入れて支えている構造なのでかなり難しいです」とのこと。
 しかし、私の諦めは悪く、戒壇巡りをしているお寺に勤めたことのある仲間に話したら
「あれは、管理が大変なんですよ。入った人と出た人の数をしっかり確認しないといけないんです。真っ暗な中で何かあったら大変でしょ」という危機管理の解説をしてくれました。
 仕方がないので、とりあえず諦めました。

 この戒壇巡りではありませんが、日本には巨大な仏さまが何カ所に建てられていて、ニューヨークの自由の女神よろしく、階段やエスカレーターで登って外が見られる……。

 さて、千葉にある観音さまで閉門時間ギリギリで巨大な観音さまに入った所、知らぬ間に時間がきた。タイマーセットとは思えないが体内の電気がパッと切れる。外へ出ようとするとロックがかかっている……そんな体験をした人がいます。
 幸い先に外に出ていた家族に助けを求め、無事に「生まれ変わり」を果たせたそうです。
 やはり、入った人と出た人の数は確認しないとこういうラッキー(?)なことがおこるんです。わははは。
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当たって砕ける心持ち…

 20代後半から30代後半の、何かやらないとマズイと思っているお坊さんたちの講習会、全6回のうち4回目が終了。私は通回の講師の一人である。
 必ず懇親会がビアホールで付属するようにしている。
 で、今日、感じたのは、若さとは何ぞやということだった。

 殆どが副住職だが、親の実子である。つまり、親子だ。
 にもかかわらず、「これをやって、こんなことになったら困るのではないか」「こうして、こんなことになったらどうするのか」という言葉……。

 あははは。そんなことはやってみなければ分からんではないか。
 やって、問題が起きたら、そこで考えればよろしい。

 若いからなのか、若いくせになのか……

 私には「若いくせに」と思えてならない。もしも問題が起きたら、親(住職)にかぶせればよろしい。ぐははは。
 それが若さである。やってみなけりゃ分からねぇじゃねぇか。若い坊主は、特に、そのくらいでちょうどいいのだ。
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「俗」と「聖」を行ったり来たり

巡礼というのは、お寺を巡ることだが、普通の旅とぜんぜん違うのは「観光」の「か」の字もないこと。
 ひらすら、回るのだ。
 せっかく旅に出ているのに有名な観光地へ行かないのは勿体ないではないかと思われるかもしれない。
 しかし、巡礼の間は観光などない方がいいのだ。「俗」から離脱している不思議な感覚を味わえるからだ。
 この三日、曜日も日にちも全く意識しなかった。よって、今日が何日で、何曜日だか寺に帰って来てもスケジュールを書き込んだカレンダーを見ないとと分からないというボケぶりである。

 時間があったら是非やられてみるといい。きっとあなたの住んでいる地域にも「○○個所霊場」というのがある筈である。その時には、せめて「般若心経」の一巻も読んでいただければ有り難い。
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交差

小豆島の銀波浦に日が登って、その光が波の上に光の道を作った。
1日に二回しか渡れないという島をつなぐエンジェルロードと交差している。
光と天使の交差点…。
私の人生もまた多くの方々との交差点があるとも言えるのだと思う。
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天使の道に南無大師

銀波浦とは奇麗なネーミングである。
きっと朝日が登るとこの名が体を表すのだろうが、逆光になるのでその時には写真が撮れない。ぐはははは。
小豆島は今日も良い天気になりそうだ。江戸川区ではかなり気合いを入れないと充電出来ない自然のパワーを、この島では普通に満タンに出来そうである。
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オリーブで遍路

お坊さん仲間17人で小豆島88箇所のお参り&調査。
受け入れ側の視点も持って手を合わせます。
携帯電車からの書きこみなので、短文にて失礼します。
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触発させる

 触発は、最近ではインスパイアーと言うのだろう。心の花火の導火線に火をつけると言っていいかもしれない。

 「ずう~っとボーッとしているから『坊主』というのです」などと冗談に言っている場合ではない。一昨日あたりは本当にただ日を暮らしているだけで、こりゃマズイと思っていたのだ。
 そこで、自分の心を無理やりに触発させるために買ってみた、三段型のフォトスタンド。

 どんな『言いたい放題地蔵』になるだろうと、額をじっと見つめること1分。
 できたのが、写真の作品。
 どうということはない。普通のインスパイアーである。

 
 三段額はとりあえず9個用意した。作品に仕上げる作業を中断すると、住職室が作業場のままになってしまうので、結局全部作品に仕立てあげた。--こんなことをしているから、他のやらねばならぬことに手がつけられないのだ。

 明日から三日間、小豆島の88カ所の調査巡礼である。どんなことにインスパイアーされるか、どんな心の花火が打ち上がるか楽しみだ。前述の「やらねばならぬこと」というのは、その旅の準備のことである。
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滅多に○○ない。

【滅多に○○無い】--これを英語は、seldomとかrarelyとかhardlyとか言ったりする。

 で、昨日と今日でseldomなことが二つあった。
 一つは写真の朱印である。密蔵院の御朱印依頼は、平均して年に二回程度だが、今月初めに団体で来寺された方々から35枚の朱印を頼まれた。
 元来、お寺のご朱印は「お経を納めました」という納経の証として発行されるものである。お経の納めかたは、写経でもいいし、読誦でもOKである。

 実家の朱印の書き方を真似して、尊の寸のハネをお不動さまのバックの火焔風にしてある。こうなると、字というより「絵」である。象形文字だから、これでも別に構わないのだ。がははは。

 もう一つの「滅多に○○無い」は、健康診断である。
 お寺は社会一般の団体の中では「宗教法人」という肩書きである。
 よって、密蔵院も法人会に加入していてるから、法人会主催の健康診断を受診できるということだ。
 代表役員である私と、従業員である家内と二人でバリウムまで飲む「総合コース」である。
 これが実に面白かった。あれはつまり、ゲームセンターである。
 身長体重の基礎パワーを測定した後に、
 どこまで見えるかの「視力測定ゲーム」。
 続いて、どこまで聞こえるかの「聴力ゲーム」。
 そして、度胸試しの採血で、自分の腕に針を刺されて血を抜き取られる間、自分の腕を直視できるかゲーム(私は負けた)。
 風を瞬(まばた)きしないでいられるかの眼圧ゲーム。
 加えて、緑の四角を凝視できるかの眼底写真撮影会。
 お腹を膨らませたり息を止めたりの超音波測定ゲーム。
 極め付きは、バリウムを飲んで行なう「一人ジェットコースター」!

 ああ、面白かった。
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とりスタ

 名古屋在住の若き友人の通称「しば」…。
 一昨年の春から一年かけて、「マイ箸」を広めようと自転車で日本一週をした女の子である。今年の春、無事にゴール。
 彼女が加わっているのが「ハッピーまるけ」(まるけは名古屋弁で「だらけ」の意]http://comi.in/happymaruke/top/。
 
 マイ箸については賛否両論渦巻く中で、一役買おうと、名古屋のおばあちゃんかちが作っている箸袋を購入しては、趣味の押しつけよろしく、配っている。

 先週手元の在庫が無くなりそうなので、再注文。渋い柄の生地の袋が送られてきた。
 しばが自転車で日本一週の旅に出たように、やれることから軽いノリでやり始める……
 悟りを目指す、その行程もまた然(しか)り。

 「とりあえずビール」を略した「トリビー」はもやは死語かもしれない(私はまだ使いたいと思っている)が、悟りを目指すのもまた、「とりあえずスタート」、つまり「とりスタ」である。
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歌菩薩

リハーサルも終えて、準備万端整って13時の開演を待つばかり。
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