花山の思い 18番札所 六角堂(ろっかくどう)

 華道に諸流ありと聞きますが、その一つに「池坊(いけのぼう)」があります。
「坊」とつくくらいだから、お寺に関係がある。

 そう。あるどころじゃない、聖徳太子が沐浴したという池のそば、室町時代の専慶和尚が元祖といわれ、以来、家元がこの地に立てられているお寺の住職を兼ねるという……。

 それが、京都中京区にある、紫雲山頂法寺。通称六角堂(ろっかくどう)。

 親鸞上人も比叡山からおりてこの寺に100日いて、以後の念仏の道を決定づけたといわれます。

 ここで花山法皇が詠んだご詠歌が

「我が思う 心のうちは 六(む)つの角(かど) ただ円(まど)かれと 祈るなりけり」

 花山法皇は上の句で、「自分の心の中にはこのお堂のように六つの角(かど)がある」と詠みました。
 六個のかどは
「目で見るものを自分の都合で(きれいだとか、きたないとか)見ている」
「耳で聞くものを自分の都合で(いい音だとか、嫌な音だとか)聞いている」
「鼻で嗅ぐものを自分の都合で(いい臭いだとか、嫌な臭いだとか)嗅いでいる」
「舌で味わうものを自分の都合で(美味しいとか、まずいとか)味わっている」
「体で触るものを自分の都合で(気持ちいいとか、悪いとか)触っている」
「心で思うことを自分の都合で(いいとか、わるいとか)考えている」

 般若心経では「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つの感覚器官の対象とする「色・声・香・味・触・法」と、そこから私たちが何を思うかという六つの意識世界の「眼識界・耳識界・鼻識界・舌識界・身識界」のこと(ぐはははは。もうこうなると、一回読んだだけじゃ全然わかんないですよね。すみません)。

――そんな私たちが日常行っている精神活動をトゲトゲしくすることなく、観音さまにお参りして、丸くしたいものだ――そう花山法皇は詠んでいます。

 京都へお越しの節は、是非お参りを。

国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/

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 4泊5日の小豆島から東京へ帰ってきたら、まあなんと寒いことでしょう。
 室内では、とても半袖じゃいられません。

 そういえば、小豆島でお参りをしていた時に思ったのですが、お坊さんはやはり着物姿がいいなぁということ。
 私は拝む時しか着ませんのよ。あとは、洋服。といってもネクタイしているわけじゃない。
 もっぱらジーパンにTシャツか、ポロシャツ・・・つまり普通のおじさん。
 たまに作務衣の上だけをきている程度・・・つまり、どこまでいっても作業用なんです。

 お寺という空間には似合わないなあと思いました。

 ということで、昨日家内にそのことを話して、今日からやろうと思ったけど、気がついたらヤッパ、ジーパンにポロシャツ姿。「住職これからどこへ遊びにいくの?」と檀家さんに聞かれそうな格好であります。
 
 皆さんとお会いする時、果たして着物姿でいるかどうか・・・ははは。お楽しみに!

 ああ、そういえば、六角堂と今日の写真の鉛筆。共通点、わかりますよね?
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