心配性

玄関を出ると、境内の掲示板に貼ってある言葉をスマホで撮っている人がいた。そう言えば、しばらく言葉を換えていないナ・・・と思った。新型コロナ騒動の渦中ゆえ、お寺から何か発信しないと、せっかくの仏教がもったいない。というわけで、ポスターの裏を使って4種類書いた。この言葉は『現代語裏辞典』(筒井康隆著 文藝春秋)からの引用である。ユーモアを含んだ、けだし名言だと思う。ぐはは。

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ロイター板にする

[時々名言]--モチベーションを維持するために日々見える所に置いておくような名言ではなく、時々目にしてゆるむ心に打ちこむクサビのような役割を果たす名言のこと(名取造語)。で、シーズン1の最後は先月9日に段ボール地蔵版でアップした言葉。この二カ月くらいの講演会で「後悔の本質」の話の中でこの言葉を紹介すると、ほぼ参加者全員が私の顔をまじまじとご覧になります。この状態を演芸の世界では「客が背離(ばな)れする」(ちゃんと聞こうとして前のめりになること)と言います。それほど、何か思い当たることがあるのでしょう。過去をふり返るのなら、惨めになるため、悲しむためではなく、「あんなことがあったのだから、こうしよう」など、前に踏みだすためのロイター板にしたいものです。私の作った「しゃがみ込んだら、ジャップのチャンス」も、これと同様の言葉です。

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刃と把手

新型ウィイルス感染防止の外出自粛の自己規制が緩んでしまうほど、今日の雲は、まるで夏のそれ。シリーズでご紹介している「時々名言」もあと2つで自己目標の14個。イベントの延期、中止でガッカリしている人がいる一方で「楽しみにが先に伸びたと思うことにした」とトコトン楽観的な人もいる。ナイフの刃をにつかんで手を切ってからでもいいから、把手をにぎりなおして役にたてたいと思う。

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読み方の注意点

昨日新刊について書いたのだが、今日、針治療から帰宅したら、何のことはない。来週発売の本の筆者分の見本が届いていた。書店の店頭に平積みされていたらインパクトがある表紙(カバー)だと思う。各項目は見開き2ページ完結。きっと、トイレに置いて読み進める方が多いでしょう。お尻が冷えないようにご注意ください。ぐはは。

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新刊『空海 人生お遍路』のご案内

まだ各種ページにアップされていないけど、3月4日発売だからもういいだろうと、幻冬舎からの新刊のカバーデザインを勝手に編集してお届けします。空海ファンやお遍路ファン、そして、私ファンの方々にお届けするステキな一冊になりました(どはは)。1200円+税。お楽しみに!

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前途に灯る明かり

仏教伝道協会主催の「一から学ぶ日本の仏教~2020~」、7回に渡って各宗のお坊さんが自分の宗派の教えと祖師についてお話しするシリーズ。5月26日(火曜)18時30分~20時30分が私の担当とあいなりまして、ありがたいやら、もったいないやら。感染症拡大防止のため各種催しが中止・延期になる中で、3カ月先に一つ火が灯ったような・・・。詳細、お申し込みは、http://www.bdk.or.jp/event/japanese_buddhism.htmlからどうぞ。

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楽に説明する方法

「あなたの話は、かなり正確さに欠けるね」とよく言われる。たくさん話したいことがあるから、急いで話したくなる。そのために正確さはある程度犠牲にしなければならないのだ。私がよく言う「悟りというのは、いつでもどんなことがあっても心おだやかでいられる状態です」な~んて~のは、その典型である。私の話し方と生き方の師匠の村上アナ(故人)がご自身の番組の中で、「ご主人はどんなお仕事をしていらっしゃるんですか」とご婦人にインタビューしたことがあったそうだ。「主人は船舶関係の仕事で」「それでは、何カ月も海の上で生活していらっしゃって、おうちで待っている奥さまはお寂しいでしょう」「いえ、毎日家に帰ってきます」「船舶関係のお仕事なのに?」「ええ、貸しボート屋をやっているんです」「あ、あー、そうですか。確かに船舶関係ですね」---なるほど、正確さを犠牲にすれば、説明は楽になる。あはは。

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心の庭に植わっているもの

「そんなつもりでやった(言った)んじゃないんです」--は、よく言うし、時々聞く言葉だ。「そんなつもりじゃない」--これが今回ご紹介する名言の中の「植えたつもりのないもの」だろう(スペインの諺だそうだ)。自己嫌悪、傲慢さ、無関心などは、努力や謙虚などと違って、意識して心に植えたものではなく、勝手に生えてきたものだろうが、心に占める割合はかなり多いと思う。そのままにしておいてもそればそれで自然の造形だが、庭をきれいにしたければ、不要なものをよく吟味して引っこ抜くにこしたことはニャイ。うはは。

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待つしかない時

新型ウィルス感染防止のために、多くのイベントが中止や延期になっている。私が公演する予定だった3月2日の「人をきずつけない話し方」(江戸川区ボランティアセンター主催)も取りやめになった(すぐに責任を追求される行政の決断は早い)。今しばらく、鎮静化するのを待つしかないだろう。今日も昨日も宗派の事務所で、ご詠歌の試験や面接が始まるまでの待機時間で、ハガキにお地蔵さまを37枚描いた。待っている間にやれることは山とあるものだ。ぐはは。

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広き門

今日は宗派のご詠歌研修所の入所面接の面接委員。入所動機などをお聞きしながら「来るもの拒まず」という言葉を切実に感じた。6名全員の動機を聞きながら「甘い!」と思ったが、第一期生だった私は当時、彼らの動機にも及ばない「入(い)れられちゃった」というテキトウな思いしかなかったした。それがどうだ、今では「ご詠歌の先生」で通っているのだから、世の中は面白いと思う。ぐはは。

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