法師

ホウシにもいろいろあって、気象予報士や情報誌の他に「法師」がある。僧侶の異称だが、人間以外にもミズキ科の花の山法師、お日様が作る影法師、そしてツクツツク法師などがある。今日棚経に出かけるために自転車に空気を入れている時に、「オーシン・ツクツク」と初鳴きを聞いた。この蝉が鳴きだすと夏の終わりが近い。「じきに夏が終わるよ」と言われている気がして、空を見上げて秋っぽい雲をさがしたが、一片もなかった。ぐはは。

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一時帰宅

「密蔵院さんは、東京だからお盆は七月でしょ」と良く聞かれる。しかし、密蔵院のある江戸川区鹿骨(ししぼね)は七割の家が八月にお盆を行う。まだまだ農村気質が残っているのだ。今日も大勢の方々がお墓に亡き人のを御霊(みたま)を迎えに来られた。居ますがごとき亡き人への接待の三日間。亡き人が一時帰宅するというお盆の行事は仏教行事とは言えないけれど、私たちの先祖はそれを上手に仏教と絡めた文化にしてきたと思う。※写真はネットから拝借しました。

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たとえば「退っぴきならない」

次の本の項目代わりに編集者から送られてきた悩みの数々。書き終えるたび緑のマーカーで塗った。気づけば明日のお盆を前に全部書けた。しかし、文字数は約五万字。一冊にするにはちと足りぬ。とりあえず、普通に読めるレベルまで推敲してから編集者に送ろうと思う。どんな内容が足りないのか、もれている側面は何かをチェックしてもらってから、書き足そうという魂胆である。今回は、ちょっと古くさい表現だけど、その言葉でしか表せない「退っぴきならない」みたい言葉をたくさん使った気がする。ある意味で、還暦の坊主らしいと思う。ぐはは。

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しのびがたきは如何とも

お菓子の箱に使われている厚紙へのお地蔵さま描きは、しばらく休むはずだった。しかし、ただリサイクルに回されていく箱を見るのはしのびがたく、原稿に疲れた合間に描いていたらどえらい数になっていた(写真はごく一部)。あはは。こうした気分転換があるから昨日は4本、今日は6本も原稿が書けた。書いて描(えが)いて、描いて書いて、明日は日帰りで福島南相馬までお話に。かなり濃い日々だと、我ながら思う。

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新刊『心が晴れる知恵』とキンピラゴボウ

改めまして『心が晴れる知恵』(清流社・1200円+税)は、本日発売です。関東に近づいている台風の雲は晴らせませんが、煩悩や苦悩の雲を払っていただこうと、キンピラゴボウをぶちまけたように私の心に散在していた仏教の知恵をかき集めて書いた一冊でございます。ちなみに「キンピラゴボウをぶちまけたような」的な比喩を随所に入れて書きましたが、それが成功しているか否かの判断は、読者にゆだねます。うはは。

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追いつけ追い越せ

今書いている本は7月~10月までの執筆期間をいただいている。通常百本の原稿を書く場合、一日一本で百日かかる計算である。途中いろいろあるだろうから、ちょっとだけ余裕があると言えばあることになる。しかし、今回書いている原稿は出版社から「この感じてお願いします」と連絡を受けたのが7月24日だった。その時点で24本書いていなければならない計算だが、実際は25日からスタート。大きく出遅れたことになる。そこで、遅れを挽回しようと時間を作って、夜寝る時間を遅らせて書いて、本来予定の38本に、今日、やっと追いついた。ふーっ。ここからは追い抜くつもりでいこうと思う。

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若鮎おどる頃となり~

秋葉路(あきばじ)や 花橘(はなたちばな)の茶の香り 流れも清き太田川 若鮎おどる頃となり 松の緑の色も冴え~~は、浪曲『清水の次郎長伝~石松金比羅代参~』冒頭の名調子(秋葉路は、秋葉神社への道すがらというほどの意味)。栃木県の喜連川(きつれがわ)の簗(やな)見学。河原への石段をおりながらつい口から出た「流れも清き喜連川、若鮎おどる頃となり~」。残念ながら準備中だったが、簗にはちゃんと鮎がかかっていたし、川面にも若鮎がはねていた、ちょっとした夏休み気分を味わえた今日である。

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程度がはなはだしい、普通では考えらないほど。

「馬鹿馬鹿しい」には二つの意味があって、一つは〔非常にくだらない。恐ろしく馬鹿げている〕だが、今日の江戸川花火大会のオープニングは、二つ目の意味の〔程度がはなはだしい、普通では考えられないほど〕のほう。いきなり、最初の5秒間で1000発の花火が打ち上がるのだ。写真はネットから拾ったものだが、この写真の10倍くらいの馬鹿馬鹿しさである。私はどういうわけだか、二番目の意味で「馬鹿馬鹿しいくらい」を使う頻度がかなり高い。それだけ人生が驚きに満ちているということだろう。たかがアリの巣の入り口に掘り出された乾いた土を見ても、「よくもその小さな体で、こんな馬鹿馬鹿しいほどの量の土を掘ったものだ」と思うのだ。

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夏はこれでも

今日、「夏はこれでも、夜があるから助かる」という一文に出合ってハッとした。「暑い、暑い」と昼の猛暑ばかり話題しているが、夜のありがたさを実感できるのは夏ならではだろう。涼しくなるのも、花火が見られるのも、蛍を愛でられるのも、夜のおかげである。今夜はそんなことを話しながら家内と犬の散歩に行こうと思った。

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ダンシング・ボサツ

あちらこちらの町会の盆踊りで、ダンシングヒーローの曲が流れている。あんなにテンポが早くて、熱帯夜の中を踊ったら倒れる人がいるのではないか・・・踊らない私は心配になる。で、今日の「写仏の庭」のお手本は金剛舞(ぶ)菩薩。ダンシング・ボサツである(私の下絵をスキャンしたのだが、設定をまちがっているようで、画像が荒いのはお許しください)。「踊りで大日如来を供養する(もてなす)」という意味合いを含んでいる仏さまだが、流れる雲、風に揺れる葉っぱ、お母さんに手を引かれてヨチヨチ歩きしている子供、キーボードをタイピングしている指先の様子を「踊っているみたい」と感じる人はいる。そんな感性を働かせれば、世界はダンスに満ちているのだ。

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