クソババアと呼ばれたら。

今日の法事の後座で、私の隣に座ったおばあちゃんが、斜め前に座る30歳代の孫息子のことを「この子ったら、この間、私のことを『クソババア』って言ったんですよ」と私は言いつけた。私に孫を叱ってもらいたかったのだろうが、言いつけた相手が悪かった。私は言った。「鹿骨(ししぼね)の婆さんが、そのくらいのことでへこたれちゃだめですよ。『そうよ。私はクソババアよ。でもね、クソはクソでも、私はナニクソのクソババアだからね。覚悟しておきなさい』くらいは言わないとね」と励ました。世に言う「クソ~」は、ナニクソという頑張り根性を表す接頭語なのだ。あはは。※添付した写真にはこんな説明書きがある。「107歳のノクリスチーヌと曾孫のリチャード。4世代離れると、このくらいの相手のことをいぶかしがるのである」。

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愚の骨頂

宗派の養成所の授業(「法話の作り方」)を終えて帰宅すると、台所のテーブルの位置が90度変わっていた。「このほうがテレビを正面で観られる」は家内の弁である。しかし、我が家は今、5人家族が3人家族になった。だから、「これじゃ残った1人がテレビに背を向けることになるではないか」と素朴な疑問を呈すると、「あなたは犬の前に椅子一つ移動させて、斜め右を向いてテレビを観ればいいのよ」と、すでに結論が出ていることをとやかく言うなという雰囲気。大した問題ではなさそうなので「そうだな・・・」と答えた。ご同輩の方々。世の中のできごとは、だいたいこのように大した問題ではない。したがって、大騒ぎするのは愚の骨頂である。

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読み方十色

世間には、びっくりするような本の読み方をしている人がいるらしい。昨日、拙著『気にしない練習』が大学入試の小論文の問題に使われたので今後の過去問配布のために使用許可を求める連絡があった。大学入試に『気にしない練習』?。つまり、国語や小論文の設問に使えないかを意識して私ごときの本を読んでいる人がいるのだ。新たな展開で使ってくださって嬉しいけれど、内容に没頭できないという点で気の毒な読み方だと思った。

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身のほど、身の丈

10年以上お世話になったお寺のご詠歌も今晩が最後。私が教えにいくのが最後なのではない、ご詠歌のクラス自体が今日で終わるのだ。何かを始め、やり続けることには、それなりの力があるが、それに疲れを感じたら潔くオシマイにするのはとても大切。小さくなったポケット(体力や気力)に無理やり大きな蛙を押しこまなくてもいい。小さなポケットに入るものは、他にもまだたくさんあるのだから。

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簡にして瞭

佼成出版のダーナネットの書評のコーナーで、『1分で悟り』をとり上げていただいた。とても好意的に書評いただいて、嬉しい。書評をする人の文章は簡潔にして明瞭。私には書けない文章だ。手前味噌だが、引用させていただく。https://www.dananet.jp/?p=5168

著者は真言宗僧侶である。

難しいと一般に考えられている仏教の教理を、これほどやさしく噛み砕いて伝えられる人も少ないだろう。

空、縁起、無常、無我、四苦八苦といった仏教用語の基礎知識を生活の中におとし入れ、見開き2ページで上手に解説してゆく。仏教の基本的な用語など知らなくてもまったく問題ない。

本書では仏教の立場を、ある時はかけがえのない自分という存在に気付いてゆくことであったり、悟りで言えば、それはすべてを受け入れることだったり、といった魅力的な現代の言葉に置き換えて教えてくれる。

「どっしり」「きっぱり」「すっきり」「さっぱり」「にっこり」と、日常のなかの小さな悟りはそんな形で日々訪れるという。

話のよりどころは、真言宗の経典であったり、「般若心経」であったり、「華厳経」であったりとしっかりしたものだが、そんなことはおくびにも出さない。著者の解説を理解し、1分間、内省の時間をもつだけで、小さな悟り完成へと導かれるように本書はできている。

気になるリード文のところを気軽に読んでみる。解説文はとりあえず読まずに「1分間悟りレシピ」を試してみる。どんな読み方でもできそうだ。

たかが1分、されど1分。この短い時間に包括された真理への道は考えるよりも優しく身近なものだった。(ワニブックス。1600円+税。2018年4月1日発行)

 

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今日(4月15日)は、15時から「浪曲の庭」。楽しいですよ。

さてさて、今年も陽気がいい4月15日、6月10日、10月21日に開催する「浪曲の庭」。三筋の糸(三味線のこと)にのせた義理人情のお話・・・今日は15時からの三席でございます(終演17時予定)。入場無料・予約不要。さぁさぁ、寄ってらっしゃい、観て、聴いてらっしゃい!※写真は出演予定の名人、曲師(三味線担当の人のこと)の伊丹秀敏師匠。

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目につくところ

本屋さんで、とりあえず目について持って帰れる重さ量の伊坂さんの本を買ったのは、1月半ばのことだった。どれも面白かった。すでに次の3冊は手元にある。坊主として読まなければならない本などそっちのけである。このままではマズイので、読まなければならないと思っている昭和二年発行の『心学 道話全集 一巻』は、いつでも目につくところに置いておくことにした。

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空き箱の行方

資源ゴミで厚手の紙(空き箱など)を出してしまうのは勿体ないと以前から思っていた。試しに使ってみた。もう一度命を吹き込もうという魂胆だが、具体的にどう使うは考えていない。うはは。

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始めれば、始まる時、始められれば、始める

今日は密蔵院「写仏の庭」。お手本は釈迦如来立像(りゅうぞう)。初めていらっしゃった方お二人には、お釈迦さまは仏教の元祖だから、なじみやすい仏さまだったと思う。途中から「写仏ってどんなものか見学しにきたんですけど」とご婦人が一人加わった。11人中3人が初めての参加という高い割合になった。4月は、新しく何かを始めたくなる時期なのかもしれないと思った。私も何か始めたいことがあるかしらと思ったが、何も思いつかぬ。ぐはは。ちなみに「始まる」はマ行下一段活用の動詞だそうだ。

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マジックリンマジック

一時帰宅の娘が自宅に帰る前に隣のドラッグストアに買い物に行くと言う。私はちょうどお風呂を洗おうとしていてマジックリンが空だったのを思い出したので、詰め替え用を買ってくるように頼んだ。娘が買って来たのは黄色のバスマジックリンンだった。空になったスプレーはブルー用だ。その前に使っていたのスプレーはグリーン用でグリーンの詰め替え用をしばらく使っていた記憶がある。ブルーのは詰め替えた記憶がないので、もう一回くらいブルーな気分で使いたかった。でも、テーブルの上に置かれたのはイエロー。長年の愛用者としては目がクリンクリンする。ははーん。こうやって、次々に色が変わる魔法(マジック)で、目がクリンクリンすることからの、マジックリンの命名なのだとやっとわかった。わはは。

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