開幕前日

 明日から始まる「怪し会4」。
 チケットはすでにソールドアウト。
 今日は「お清め」という休憩時間用のお酒(一合ビンが700本くらい)が届くので、スタッフの方が運送屋さんから受け取り、保管場所の部屋まで運んでくれた。

 なかなかお酒がとどかないので、その間に、明日やることになっていた会場設営をしてくれた。

 椅子が足りないので実家のお寺から借りてきて詰め込んだので、本堂にこれほどギッチリ椅子が並んだことはない状態になった。明日は最前列にさらに座布団が並べられる。とりあえず壮観なので、一枚パチリ。
 明日は夜の公演に向けて、さらに細かい準備がおこなわれる。
 総勢600名にものぼる方々と、密蔵院というお寺が縁を結べて、ありがたいと思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


鯉料理とナトリの吸い物

昨日の「聲明ライブ」、16名のお客さま方、きゅうくつな思いをさせましてすみませんでした。
本来は12人で一杯のお店ですのに、すし詰め状態でした。あんなに混雑するのは、滅多にないのでございます。
懲りずに、また、おでかけください。

さて、ずっと読みかけだった「忠臣蔵心中」(火坂雅志著)、楽しく読み終わり。
この中で、ドッグイヤーをペコリンと折った箇所は二カ所だった。こんな表現はいいなぁと思うところや、うっへぇと思うところだ。

以前読んだ忠臣蔵の本で、当時こんな習慣に感心した覚えがある。

浅野内匠頭が、江戸城で刃傷におよび、当時の決まりで即日切腹となるのだが、この時に、切腹の直前に出される料理があったというのだ。
 それが鯉料理である。「まな板の鯉」の例えのとおり、不思議にも鯉はまな板に載せられるとおとなしくなるという。そのように、これから切腹する者も、取り乱してはならぬという意味だそうだ。

さて江戸城松の廊下の刃傷から、一年九カ月後の師走十四日。集まる同士四十七。
いよいよ吉良邸討ち入りの前夜に全員に出された吸い物があると、「忠臣蔵心中」には書いてある。
「名(菜)を後にまで取(鳥)れ」をもじって、菜と鳥(鴨)の吸い物、つまり菜鳥(ナトリ)の吸い物だったそうだ。


奇しくも私の苗字は「名取」である。読んだとたんに、我が家にとって「菜と鳥の吸い物」は特別な意味があるのだと、アサハカにも思った次第。ぐはははは。

仏者である私には名を取ることに、あまり感心がない。
 しかし、一般の方々にとって、誰かの入学や、就職、あるいは転勤などのお祝いの時には、名を取るという縁起担ぎで「菜と鳥」の料理を一品用意されるといいかもしれぬ。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


いとおしい孤独な時間

 嵐の前の静けさだろうか、一日からの怪談の会の前で、思わぬ三日間の時間が取れた。
 タイミング良く、10月出版予定の本の、筆者校正の原稿を編集者のOさんが朝、持ってきてくれた。九月一日に返却である。

 聲明ライブ出発までの間、ガッツリと見直す。時折爽やかな風が部屋を吹き抜ける。
 孤独な作業時間がとてもいとおしく感じられる。
 
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )


明日は「聲明ライブ」。

 今日は父の17回忌(丸16年)だった。月日はめぐる。
 今日しか日程が取れなかったので、二件法事をすませてからの16時からにしてもらった。
 父の話に花が咲いたといいたいところだが、話題が次から次に広がって、収拾がつかぬ。わはははは。

 あの世で父も苦笑いしていることだろう。

 法事の主催者の準備は、大変だと思う。美味しいお料理、お酒、お引物など、次男で末っ子の私は、相変わらず、お客さん気分である。けれど、こうして集うことで、一族のつながりが消えないで済むのだとも思う。

 さて、明日は聲明ライブ、♪かのんぷの二人がご一緒してくれる。いい宵になることだろう。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


痩せすぎの若い男性諸君よ!

紀州の美味しいお魚料理と地酒を大堪能して、まだ身体の五分の一にお酒が残っている中で、午前中楽しくお話させていただいた。
大満足の和歌山一泊二日だった。
午後一時発のくろしおに乗って、新大阪から東京へついたのは午後5時。
山手線から総武線に乗り換えると、沢山の浴衣姿の若い人たち。

震災でいったんは中止になった隅田川花火大会へ向う面々である

それにしても、若い男性諸君!
もうちったぁ、粋な浴衣の着方をしてくだせぇ。帯をきつく締めすぎです。
下腹から背中へは、斜めに上がるくらいの締め方してぐでぃ!

普段からだらしのない洋服の着方してるから、ほれ見ろ、浴衣だってちゃんと着られねぇじゃねぇの。
だいだいね、痩せすぎです。ぐははははは。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


「みどりの窓口」追体験・・・。

立川志の輔さんの新作落語の傑作、「みどりの窓口」。

緑の窓口に訪れるキッカイなお客さんたちと、担当職員の物語だが、この中で、最初のお客さんが行きたいというのが和歌山。宿に16時には着きたいのだが、何時の電車に乗ればいいのか、そこから始まる。

いざ指定席を取ろうとするのが、スーパーくろしお、私が今日、新大阪経由で乗る電車である。

落語の「みどりの窓口」を何度も聞いていたので、とても馴染があるが、今まで乗ったことがない。
なぜかと言えば、和歌山県には私の宗派のお寺がないから、研修会に出向くことがないのだ。

縁があって、明日は浄土宗のお寺おご住職の研修会で、話をさせてもらうことになった。
東京の下町の隅っこの小さなお寺の住職のハチャハチャなの布教活動物語・・・。
この28年、やってきたことを思い返せば、熊さん八つぁんのような、珍事ばかりの日々でもある。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「怪し会4」満員御礼。

密蔵院で、九月一日から四日までおこなわれる、全五公演の怪談話の会「怪し会4」。

さすが、声優さんたちの人気は凄いと思う。全公演チケットソールドアウト。キャンセル待ちだそうだ。
今日は、一人でも多くお客さんを入れられたら、とスタップの方々(ほとんど声優さんらいし)が本堂と客殿に、再び当日と同じ席を作って「あーでもない、こうならどはうだ」とやりくりをされていた。

普通に顔を見て話しているとわからないが、声だけ聞いていると、なるほどアニメなどで聞きそうな声だと思う。

全公演で550人の方々がお寺に来てくれる。普段なかなかお寺に入らない若い方々ばかりだろう。
お寺側で、塗るお香を入場前に手にぬってもらおうと企画している。たのしみである。

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )


「秋の雲」

「雲が秋だよ」と今朝、家内が言った。
仰ぎ見れば、確かに空が高い。入道雲と高い空・・・。

蝉も、ゆく夏を惜しんでいるかのように、精一杯ないている。

震災後初めての、夏が過ぎようとしている。あつい夏だった。
そして、不安な日々と、復興の日々がまだまだ続くのだと思う。

その時間の中で、やれることをやっていこうと思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


甘え上手

今日はとてもお世話になっている方のお寺の施餓鬼という行事の法話担当。

したたかに酔って帰ってくる年に一度の8月23日です。

その中で、打ち上げの席で、お世話になっている住職の言葉は印象的でした。
「お手伝いに来てくれる方々が、ここは自分が手伝ってあげないと駄目だ、と思っている人だけが来てきくれるだけでいいんだ。『来てやってる』と思っている人を大切にしたんだよ」
---普通なら「来てやってる」じゃなく「こさせてもらう」と謙虚に思っている人こそ大切にすべきだろうと思うが、ここのお寺の住職は違う。甘え上手である。

 うはははは。これもまた良しある。

 考えてれば、私も今日のお寺は「この寺は、私がしゃべらないと、駄目になる」と思っているフシがある。
 しかし、手伝いの人間に「自分がやってあげないと」と思わせるだけのことを、普段からしている人はいるものだ。
 外では偉そうなことを言っていながらも、自分の弱さをさらけ出すことができる人である。さらに、基本的に人が良くって、面倒みがいい人だ。
 仏教とは直接的な関係はないかもしれないが、これもまた間接的に、仏教だと思う。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )


警備する場所

浪曲の会とその暑気払いをして、少々酩酊気味で、家内と犬の散歩、町内半周コース。

途中で27歳になる長男の中学の同級生とすれ違った。
家内はしっかり「こんばんは」と言う。
私もあわてて「こんばんは」と言った。

数秒話してお別れ。
別れてから「彼はいま何をしてるんだ?」と鹿骨CIA局長の家内に聞いた。
すると、こう言った。
「キヨちゃん(長男)の話だと、自宅警備員してるんですって」
「自宅警備員?」
「うん」
「それって、ずっと家にいるっていう意味だろ?」
「うん」

ぐはははは。自宅警備員たぁ、おもしろい言葉だ。
「そう言われれば、俺たちも自宅警備員だわな」と言ったら、
「そうね」と答えた。いよいよ八月の終わりも秒読みの、秋の気配濃厚な夏の宵である。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ