私のこの2年間の宗派の研究テーマは「日本仏教と義理人情」。この3月が期限なんですが……。
まあ、浪曲好きが嵩じてこんなテーマになったわけですが、義理も人情も定義がかなり難しい。難しすぎて、研究にならない。わははは。
広沢虎造の浪曲の冒頭にこんな話が出てきます。
--昔、中国である猟師が虎を射ろうと矢を構えた。今まさに矢を放たんとした時に、猟師と虎の間に羊が割って入り、矢は羊に当たり、虎は逃げることができた。
羊は我を忘れて他のものを守った。これを称して、「羊」の下に「我」と書き、「義」と言う文字ができたと言う~~~。ベ、ベンベンベン。
「義」という文字の、漢和辞典には出ていない由来でございます。粋なことを考えた人がいるもんですねぇ。
義理人情と仏教では、かなり距離があるんですけど、どうも私の考え方ややってることは、義理人情の世界のような気がするんです。どうにかその整合性を取ろうともがいているんでゴザンス。わははは。
写真は羊じゃなくて、カバであります。あははは。
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「堪忍袋を首にかけ 破れては縫い 破っては縫い」のオリジナルは「破れては縫い 破れては縫い」。つまり「破れては」が二回連続するものでした。
昭和4年に大日本講談社から発行された「金言名句」という本がネタです。
つい破れてしまう堪忍袋ですが、それではちょっと自己反省の意識が薄く、「 破っているのはあなた自身でしょうに」という思いがあって、「破っては」にしました。
月曜から新しい言葉に変わります。何になるかは担当の方にお任せしてあります。お楽しみに!
2月3日は16時より、節分。元気バンド『輪』もミニライブをやってくれます。大きめの袋をお持ちの上、本堂へご集合ください。密蔵院の節分は、豆まきというよりお菓子(駄菓子・スナック菓子)まきであります。ぐははは。ハチャハチャ豆まきです。
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今日は五カ月ぶりのお葬式。夕べ、お通夜にでかけようとカバンの中身をチェックしたら、まだ夏の衣が……。「そっか、随分久しぶりなのだな」……まあ、こんな調子です。
訃報が入ってからお葬式まで、いくら仕事の一つとはいえ、かなり精神的なプレッシャーです。故人をしっかり送ることと、遺族のケアー。なので、お葬式がない日が続くと、楽です。
お通夜では、飲ませ上手な方がいて、飲みすぎて夕べはブログを書けませんでした。
そして、今日。埋骨を終えて忌中払い。親族十人ほどが残ったので、
「このさいにお坊さんに聞きたいことありませんか?」
そこで手が上がって出た質問が今日のタイトルです。
「亡くなったことがないのでわかりません」と正直に申し上げました。
「わからないとしておく勇気をもって、楽に生きていこうというのが仏教なんです」と加えました。
この半年で、「お坊さんは死後の専門家」だと思っている人が、世の中には随分いることに気づきました。そんなこたぁないんです。どちらかといえば、「生き方」の専門家でしょう。
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今宵は千葉県野田にあるお寺でのご詠歌の講習。
譜面はあるものの、一曲を覚えるのは大変です。
「何度唱えても、音がアヤフヤな所をいかに見つけるか。そして、そこをどうして間違ってしまうのかをなるべく早く見極めるのがご詠歌を唱える最初のコツです」と話した。
話をしていて、作るのが苦手な料理という例えを思いついて……続けた。
「料理にしても、何故苦手なのかを見極めれば、苦手が苦手で無くなることがあるでしょう……。新婚まもない主婦なんかはその連続でしょう。ここにいる皆さんだって、そうやって料理のレパートリーをうんとこさ増やしてきたんじゃないですか?」
そう、話はそこからだった。
「いったい、自分の娘を嫁に出す時に、レシピーを見ないでいくつの料理ができれば、合格ですか」
そこにいた20人ほどの方々(全員女性)は、和洋中それぞれ20品。合計60品ができればいいのではないかという、アバウトな結論になりました。
味噌汁も具によって別物と考えるのだそうです。うはははは。
焼き餃子と水ギョウザも別々です。わははは。
さっき家内と娘に聞いたら、その位の数は作れるわよ、と自慢げでした。ぎゃはははは。私も、30品くらいならいけそうです。
ご詠歌という仏教の教えを勉強する方法と、料理の幅を広げる方法が同じだという話であります。┏〇"┓。
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庭の、あるいは自然の中の、見事な形の松を見て言うセリフが……
「松は男の伊達姿(だてすがた)ってぇ~ねぇ~。いいもんですねぇ~」と……。
午後一日、塔婆を書きながら志ん生の落語を聞きながら学んだ。
こういう言葉は、知らないと出て来ない。知っていれば、いつか、ひょいと口に出るもので、そんななんでもない一言が「なんだか、あの人って、言うことがちがうんだよねぇ」と一目置かれることになる。
本人は一目置かれることなど眼中にないが、語彙の豊富さは、その人の、人としての深さに繋がるものだ。
写真は、物入れを整理していたら、むか~し買って忘れていた動物の置物の一つ。人間味のある表情が面白い。これから一つづつアップしてみようかと……。
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今日24日はお地蔵さまの縁日。
仏さまと縁日の起源は、調べてもぜんぜん分からない。多分、昔のお坊さんの中で感性鋭いお坊んさんが「あみだくじ的占い」で決めたのかもしれない。
この初地蔵に、仲間のお寺が護摩を焚き、檀信徒の方々が絵馬を奉納する行事がある。その法話を担当させてもらうようになってから10年以上になる。
夕べ、過去の話の内容を調べて(去年と同じではマズイと思ったからである)、とりあえず、しばらくしていない話をしようと思い、資料を作った。
今日、高速道路でそのお寺へ向かう途中、ニンマリと自嘲した。
「年に一回しかお話しない方々に対して、何年か前の焼き直しの話で満足するようでは、我ながら、かなり心に泥水がたまっておるな……」
今日の話は、まずそのことを話した。つまり24時間以内に自分に起こった出来事を話したのである。結局、夕べ考えたリストの中にある使い回しの話はしないですんだ。
高速道路で、自分のマンネリに気づかなければ、心の隅っこが腐ってしまったところである(まあ、それもいつかは再生可能だとは思うが……)。
こんな小さな気づきを、何日かに一回、するかしないかで、一年が大きく違ってくる。50歳を迎えたオジサン和尚は、残りの人生をどう仕上げていくか、必死なのである。ぐはははは。
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玄関前のごみ箱を覗いたら、ミカンの皮が入っていた。
観光地のごみ箱ならば、お昼のついでにベンチでミカンを食べた人が入れることはあるだろう。
しかし、所は密蔵院の玄関前のごみ箱である。横にベンチはあるが、日当たりとて良くない場所である。
わざわざカバンにミカンを入れてきて、それをお寺で食べてごみ箱に入れていくというのは、かなり考えずらい。
妙である……。
ごみ箱を覗いた和尚が、艶に手を当て、首をひねる姿を今日見た人はいるだろうか……。
ごみ箱に何が入っているかで、お寺に来た方々の思いがけっこう分かるから、良く片づけをしながらも注意しているのだが、このミカンの皮ばかりはワカラン……。わははは。
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密蔵院の護摩を20日に終えて、昨日の21日は初大師(弘法大師の縁日)。
実家で護摩を炊かせてもらって、そのままご詠歌の会の新年会。
残念ながらお酒抜き。最後にみんなで「東小岩音頭(亡き父の作詩です)」を踊って愉快に〆とあいなりました。どうにか振りを覚えられました。
密蔵院と実家の護摩という大役を無事に終えた気の弛みでしょう、夕方からちょっと悪寒と頭痛……。全てではないにせよ「病は気から」を身に沁みて、早々に就寝。
今日は、檀家さんの33回忌の法事。一般的に「仕舞い法事」と言われる最後の法事です。これより先は、亡き人は個性を無くして、先祖という大きな塊に溶け込んでいく忌日に当たります。
戒名をもっらった故人が、四十九日・百ヶ日・一周忌・三回忌・七回忌・一三回忌・一七回忌・二三回忌・二七回忌の遺族の厚いもてなしをうけて、いよいよ仏道修行のゴールの三三回忌。
ご遺族も感謝の誠を捧げての32年間。無魔のゴールインをお祝いする心境になります。
さて、今日は今年の初聲明ライブ。デュオのプアンが一緒にやってくれます。不思議な響きのデジュリドュ(楽器というより、アボリジニが使う神との交信道具。世界最古の木管楽器と言われています)もお楽しみ頂けます。
二十時~二十三時
新小岩南口アーケードを出た所(詳しくはチピーのホームページでどうぞ)http://www.chippy.jp/
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仏教って何が目的で、何をどう考えて、どう見るのか。考えて、見ると、毎日の生活がどうなるのか、どんなに愉快に、前向きに生きていけるのか……
それらを私流に、整理したい!しなくちゃいけねぇと、痛切に思うこの一週間。
明日の一大行事「護摩」が終わったら取りかかろうと思います。
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密蔵院の本尊さまはお不動さま。
本尊さまの前で火を炊いて、そこへ仏さまや神さまを呼び出して、お供物を差し上げて、私たちのお願いごとを叶えてもらう……それが護摩(ごま)という修行。
密蔵院では年に一度、毎年1月20日にしか焚きません。昔からこの日が檀家の皆さんが本尊さまに、生きている人のお願いごとを、ガッチリする日。
家内安全・交通安全・当年厄除・無病息災・心願成就などなど……
私たちの願いは沢山ありますが、自分の努力でどうにかなることも、そうでないことも、他にも、自分の努力と他の縁が加わって成就することもあります。
護摩は「自分でも努力しますが、チョット力を貸してください」と、自分以外の力の加護を謙虚にお願いする…そんな祈願の仕方なんです。
今日は一日中、申し込みをいただいた護摩札書きでした。これを済ませないと、他の準備に取りかかれないのです。がはははは。
写真は、前回のブログでご質問をいただいた、今月の写仏のお手本になっていただいた触金剛(ソクコンゴウ)菩薩。胸前に三鈷(さんこ)という法具を抱えておいでです。
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