ドッグランの家

生後七カ月の犬は知恵を付けて、「この先立ち入り禁止」の意味で椅子を置こうがが段ボールの壁を作ろうが、すべてすり抜ける。姿が見えないので探すと、本堂からノコノコやってきたりする。仕方がないので赤ちゃん用の柵(写真)を四つ、家の中のあちこちに設置。人間たちはどこに行くにも、この扉を開け閉めしなければならない。まるで、家中がドッグランの入り口みたいである(写真)。ぐはは。

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留守番も寄り添いも

だれもいないとイタズラをする犬は、だれかがいれば落ちついている。仕方がないので、台所で、手紙用のハガキにお地蔵さまを百枚描いた(写真。テーブルの向こう側にいるのが寂しがりやの犬)。おかげで、この2,3日でやるはずだったことが一つ片づいた。世の中は何が幸いになるかわからないが、何を幸いにするかは自分の裁量である。ただし、決められるようになるまでには、練習が必要だ。むはは。

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金魚の気持ち

「7月の御朱印のデザインは何ですか?」「まだ決めてません」・・・そんな会話をしたので、七夕か風鈴かな?ってところで、風鈴を描いてみた(写真)。何が難しいって、金魚の絵である。単体で書くととても金魚には見えない。金魚の気持ちを察すると気の毒である。わはは。

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思考修正

写真は今日(6月26日)午後4時の閻魔さまの周囲のノウゼンカヅラである。これから矢継ぎ早に橙赤色の花をつける。これを言ったら、「でも、花がどんどん落ちるんですよね」と嫌そうな顔をする人がいた。秋になってギンナンを美味しく食べたのに、最初に出る言葉が「でも、これって臭いんですよね」になるのと同じかもしれない。せっかくのプラスイメージを、簡単にマイナスメージにひっくり返してしまうのは、自分の素晴らしい人生さえ最後に否定しかねないもったいない思考だと思う。ぐはは。

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色即是空・空即是色

「色は即ち是れ空、空は即ち是れ色」という句をよく唱えているからだろう。今日24日の「(トイレの)日めくり」(写真)は、四つの展開ができる。「目標がないと我慢なんてできません」「目標があれば我慢できます」「我慢できないのは目標がないからです」「我慢できるのは目標があるからなんです」である。どれが今の自分にヒットするかはわからない。むはは。

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まとめてやっちゃえ!

季刊誌の来年の正月号から8回執筆することになったので、8本分のタイトルを決めて、最初の2本を書いた。2年分の内容を決めてしまうと、タイムリーなことが書けないし、締め切りまでに自分が気づいたことも書けない危惧もあるが、なーに、どうしても書きたい内容があればそれに変更すればいいだけの話である。きっと、仏さまも同じような算段で臨むだろうと思われる。むはは。

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戦慄!浮遊する顔

紙を余分にカットしたので、性懲りもなく描いている。効率化(?)のために顔だけ描いたら、顔だけが浮遊している、ちょっとホラーっぽい状態になった(写真)。わはは。

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一日はこれ以上長くなくていい

夜明けが早いから犬を飼っている身としてはエライコッチャである。今日も午前5時半起きからの1時間の散歩。午後からは港区三田の仏教伝道協会で90分の講演。その合間に「(トイレの)日めくり」(写真)も書く。一日が24時間でよかったと思う。これ以上長かったら、とても体が持たぬ。あはは。

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やってきた鏡

とりあえず“いっぱい”お地蔵さまを描けたので、今日から通常モード。午前中のご詠歌を終えて、今日から掲示板に張りだした「なぞなぞ」をシェア。この答えを信じるのはいいが、これに頼るようではいけない。ぐはは。

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地蔵平原

14枚を平らに並べた構図(写真)は、屏風になったら撮れないと気づいたので撮った。総数1344体のお地蔵さま。そのうち涎掛けに色が付いているのは、弘法大師が誕生してから今年までの年数の1250体。最後の1枚は2体だけ色がついて(写真)1250体である。線画だけのお地蔵さまは1年ごとに一体ずつ色が入る。最後まで色が塗られるまで私は生きていない。ぎゃはは。屏風の持ち主に、一年ごとに入れもらえたら嬉しいという、趣味の押しつけである。どはは。

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