薬を飲まない理由

今年の猛暑経験をもとに「夏バテは夏が終わってから出るという伝説は『夏が終わってから』でなく、『梅雨明けして40~50日経過すると』いう意味である」と勝手に推論をした。だから、一泊二日の強行ドライブの翌日に、30度に届かないからエアコンを入れずにハガキを100枚書いたら軽い熱中症になったのである。夕べ体温が38度なったので、市販の解熱剤を飲もうとすると家内が面白いことを言った。「あなた、薬なんか飲まないほうがいいわよ。薬を飲んで熱が下がれば、また仕事しちゃうでしょ」である。あははは。最初、言葉の真意がわからなかった。しかし、よく考えてみれば、家内なりの理屈は充分通っているのだ。だから、家内の気遣いに応えて、今日は解熱剤を飲んで、仕事をしないで本を読んで体力を回復させようと思う。家内が言った不思議なパラドックス的な言葉・・・むふふ。バージョンを変えて、どこかで使える気がする。

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心の凝り

父が「名取の先祖の墓参りに行ってくる」と姉夫婦と静岡県富士市にある称念寺にお参りしたのは30年前だった。「へぇ。名取の先祖は山梨って聞いていたけど、静岡だったの?」と問うたのを覚えている。すでに称念寺さんにお墓はないが、父が知っている唯一の情報だったらしい。しかし、詳しい場所を聞かないうちに父が亡くなって23年。姉夫婦に記憶を呼びおこしてもって、家内と一泊二日で富士山周遊、伊豆半島周遊のドライブを組み込んでお参りし、本尊さまに灯明料を供えることができた。私の命を紡いだたくさんの糸のうち、たった一本の糸を辿ったお参りだが、生きているうちに一つのケリがつけられて、心の凝りが少しほぐれたがする。

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夏のおわり

犬の散歩で出ると南に火星と同じくらい赤い満月(?)、北には雷雲の中でビカビカ光る雷、公園では夏休み最後の日曜の夜を親と一緒に花火に興じる子どもたちの姿。気温はまだ高い日がつづくだろうが、気分的に夏のしめくくりのような気がした。

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何をどれだけ備えれば患(うれい)はなくなりますか

で、数百枚描いた厚紙お地蔵子さまバージョンに言葉を書き始めた。今までにない言葉がいくつがランクインした。曰く「備えあれば患(うれい)なし。あとは、何を、どれだけ、備えるかです」など。心配性の人は、よくよくお考えなさるがよろしかろう。ぐはは。

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本当のことを語っているかぎり・・・

密蔵院のホームページを作ってくれている会社のSさんが「あきる野市の大型書店の店頭にありましたよ」と写真を送ってくれた。発売してから10年たってもこうして展開してくれているおかげで、すでに13万人近い方に読んでいただているロングセラーになった。実は密蔵院に拙著を手にしてお参りにいらっしゃる方の中で一番多くの方が手にされているのが、この『心がすっきり、軽くなる 般若心経』。何を書いたは忘れてしまいましたが、マーク・トゥウェイン曰く「本当のことを語っている限り、言ったことを覚えておかなくてもいい」。ぶはは。そんなところです。きっと、密蔵院のことをたくさん書いたのだと思います。

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お地蔵さま in Italy。

 『これはこれで、結構壮観だよな』と、隣の長男に言ったら『うん。イタリアの田舎の街の家の屋根瓦みたいだね』という反応。うーん。そうか。私はイタリアの屋根瓦にお地蔵様を描いてているのかもしれないと、妙な納得をした。ぐへへ。きっと、世界各国、子供を担当する(してほしい)ナニモノかはいらっしゃるだろう。日本でのそれは、お地蔵さま。大地がさまざまなもの育てる力を(地蔵)を象徴した仏さまである。

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生まれる前と死んだ後

「偉そうに何を言いやがる。俺はお前が生まれる前からやってんだ」
「フン!威張るな。俺はあんたが死んだあともやるんだぞ」--あはは。
師匠と小生意気だがある程度実力がついた弟子との応酬。好きな掛け合いだ。
弟子役で言ってみたいと思っているうちに、、師匠役でしか言う場面がなくなってきたわい。ぶはは。

 

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11月25日の「法話の辻」、日程変更のお知らせ。

11月25日に予定していた「法話の辻」は、事情により翌週の12月2日に順延させていただきます。カレンダーに印をしていた方は、日付を変更してください。12月なので、忘年法話の辻になりそうです。あはは。

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置き去り地蔵

午後の講演会を挟んだ午前中と午後と夜に原稿を直して、文字を読むのに疲れたら、ヨダレカケに色を入れようとコピー機の上に積み上げておいたお地蔵さま。原稿も二回目の直しになると、ついついノッてお地蔵さま方はそのまま放置。「あの~、私たち、置き去りにされた気分なんだけど・・・」と言われているような気がする。ぐはは。お許しくだされ。

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不祝儀用ペットボトルデザイン

お葬式のお経を終えて控室に戻ると、係の人がお茶のペットボトルを持ってきてくれた。もちろん、コップに注いでくれたのだが、このペットボトルのブルーのグラデーションに、散華(法要などで撒く蓮の花びら)のデザインを見て「ペットボトルに不祝儀用のラベルを作るとは、いいアイデアだ」と思った。係の人に聞いてみると「そうなんですか」と知らない様子。寺に帰って調べてみたら、子供から大人まで気に入る味で、デザインはロンドンのデザイナーが茶葉をイメージしたらしい。ぜんぜん不祝儀用ではナカッタ・・・。しかし、坊主には、そうとしか見えない。デパートなどの包装紙は祝儀用と不祝儀用が用意されている。してみれば、ラッピングデザインは悲しいことがあった時用に、落ち着いた色違いの物を用意してもいいかもしれない。おおお、なんだか、今日はコンサルタントみたいなブログだな・・。あはは。

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