東京、16時37分

平成22年大晦日です。
 今年も一年、ご笑読くださいましてありがとうございました。

 今日は、昔母が和菓子屋さんに頼んで津くってもらっていたお餅を作ります。

 ナマコ型で、海苔とピーナッツが入った、ちょっと塩味のお餅。どこをどう探しても、海苔だけだった、大豆だけだったりなので、自分て作るしか方法がありません。
 一センチ弱にスライスして、軽く焼いて食べます。
 我が家にとっては、お袋の味ならぬ、オヤジの味でございます。明後日には実家に姉兄家族が集まるので、お土産に差し上げようという魂胆です。

 さて、今日の東京の日の入りは、16時37分。
 皆さんの地域の日没時間は、東京天文台のホームページの「こよみ」で、簡単にわかります。http://www.nao.ac.jp/koyomi/

 勢いのあるときだけ、これからばかり願い事の「初日の出」だけでなく、一年の総まとめの「ありがとう」を、西を向いて念じましょうぜ。ぎゃははは。

 では、良いお年をお迎えくださいね。
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高圧洗浄器で、何か描けるか?

今朝、家内が、玄関前の敷石をデッキブラシで掃除してよ、と言った。
そこで、高圧洗浄器を思い出した。きっと実家のお寺にあるに違いない。

しかして、そこにそれはちゃんとあった。まるで私の来るのを待っているかのようだった。
密蔵院へ持って帰って、ホースを接続して、試しに敷石めがけてスイッチとを入れた。

敷石の上に、細い白い線が浮かび上がった。
そしかて同時に思った。
「こりゃ、途中でやめられないぞ」
やめから、やったところとやらないところが一目瞭然だからである。

たぶん三時間くらいやっていた。
 途中で大勢の檀家さんが年末のお参りにやって来て、私の作業を見て言った。
「単変そうですけど、綺麗になりますね」
「それがね、あんまり綺麗になるから、途中で放棄できなくなっちゃって」
 檀家のお嫁さんが言った。
「いっそのこと、それで敷石に般若心経でも書いてみたらどうですか」
「そりゃ、ムズイわ。ぐははは」

 そのあと家内が、現場監督がてら見に来て言った。
「それで敷石にお地蔵さま描ける?」
「できるわきゃ、ねぇじゃねぇか。わはははは」

 みんな私の単調な作業を気にして、愉快にしてくれた。
 いい年の瀬である。
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日の出を拝む人あれど、入り日を見送る人は・・・

今日のお葬式。火葬場からかえって、一日早い初七日を終えての後座でのことだ。

故人の弟さんが、アニキの思い出話を一つ御披露させてくださいとマイクを握った。

埼玉の山から、東京へ高校進学をするために、すでに東京でクリーニング店を営んでいた兄二人に「面倒はみるぞ」と言ってもらって、東京の高校へ進学できた。昭和30年代の話である。

聞いていていい話だと思った。亡き人の命を何倍にもする「他の誰も知らない亡き人の人徳」についてである。それをお葬式の日に披露して、せめてものお礼としたいという人情味あふれる思いが、話からにじみ出ていた(ご本人の目からは涙が、花からは鼻水がにじみ出ていたけれど。わははは)。

お葬式で、しっかりと故人への「お礼」をする。

日の出を拝む人は、入り日を見送る人でなければならないと思う。

明後日、日の入りは何時だろうか・・・。

みんなで「今年一年ありがとうございました」と入り日に手をあわせようではないか。
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般若波羅蜜多の謎。

昨日はお通夜から酩酊して帰宅して、ブログを書いたものだから、今朝方「ぎゃっ!」と起きた。
なぜなら、「般若の腹を見た」なんて、たわけたことを結論にしてしまって、肝心の般若波羅蜜多の本当の意味を書き忘れたからである。うははは。

パンニャー+パーラム+イター=ハンニャーハーラーミーター(般若波羅蜜多)がホント。

パンニャーは智恵。パーラムは彼岸(悟りの岸)。イターは至るという意味で、合わせて
「彼岸に至るための智恵」という意味になる。

でも、こんなのは知識だけ。
実際は、今日も明日も、明後日も、来年も、この智恵を身につけて、前向きに笑顔で、普通に生きて、普通に死んでいくためのトレーニングをすることが大目標なんです。

この題名について、もうちょっとだけくわしく知りたい方は、下記へアクセス(密蔵院のホームページのトップページからも「・・・なんだそうだ般若心経」へいけます)。
http://www.mitsuzoin.com/nanda_hannya01.html
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仏は何を「みーたー」か?

今宵はたぶん今年最後のお通夜である。

その後座の席上、とても面白い話を聞いた。60代と思われるご婦人がわたしのところへ来てこう言った。
「子供のころから、般若心経を母やお坊さんが唱えるのを聞いて、[・・・ミーター)って言っているから「何を見たのだろうと思っていたんですよ、仏さまだから、きっとすごいものを見たのだろうって」
うははは。
「はんにゃーはーらー、ミーター」の最後を「見ーたー」と解釈する例は、私にとって初めてだったので言った。
「それ、今日のブログでいただきます」
一緒に行った副住職や、その他酔っぱらいの意見で、何を見たかということでは一応の結論を見た。
それは、
「般若の腹を見た」のである、と。「般若ー、腹ー見たー」である。あははは。

少なくとも、腹黒くはなかったはずである。

それにしても、ほとんど毎回違法状態で、ネットから写真を頂戴しているが、今回のは面白い。
「つまむから、つかむへ変わった、腹の皮」
ぎゃはははははは。
ワッシのことだ。あははは。
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住所・・・知らない・・。

娘が年賀状を作っている(写真はイメージで、娘が作っているものとは異なります)。

自分でリボンや紙をちぎって元を作って、それをスキャンした手作り満載の年賀状。
午前中に作って、ポストに入れてきたはずなのに、また郵便局へ行ってハガキを買ってきた。
聞くと、お手伝いをしているバンドのメンバーにも出したいのだそうだ。
「へぇ、メンバーの住所、知ってるの?」と聞いた。
 最近はほとんど、メールばかりの連絡で、お互いに住所を知らないというのを聞いていたからだ。
 娘の答えは暖かいものだった。
「うん、年賀状を出したいから住所を教えてってメールして教えてもらったから」

 そのくらいの心意気は持ちたいものだと思う。
 
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自己表現と天下

世界の中で、日本の中で、社会の中で、取るに足りないに違いないちっぽけな自分。

そんな自分が、じつは、ちゃんと(まさしく)、かけがえのない存在として、人生を生きていることを実感するのは、そう難しいことではない。

今日、足元の道路を見ながら犬の散歩をした。アスファルトはよく見れば、コールタールをまぜた、無数の小さな石が固められたものだ。

その小さな石はどこにあった石だろう。岩山の大岩が砕かれたものか、何億年の時を経た岩が、いま私の足元のコールタールの中に、埋まっている。コールタールもどこかの国から採掘された何億年も地中深くにあった石油(かつては地上に生えていた木だ)からできているだろう。

なんとも絶妙な取り合わせで、今、日本の江戸川区の道路になっている。それは、人を、車を、犬を上に載せてびくともしないで、この街のモノとして存在している。

その道路の上を、私が犬をつれて歩く。石と石油と犬と私という絶妙な出会いである。夜空には星がまたたき、北風が襟元を通り抜ける。そのどこにもチッポケな、石もコールタールも、星も空も、風も、犬も、私も・・・ない。取るに足りないものはない。

そして、私はいつ、どこにいても、その時、その場で、そこにしっかりとあるべくしてあることがわかる。天下のどんなものとも、つながっているし、天下と一体になって、その時、そこに、いるのだ。

何かができるとか、できないとか、他人や社会が認めようが認めまいが、他人や社会にアピールしようがしまいが、人はそれぞれ天下と一枚岩だと思う。
--自然の中にいると、それが良くわかるが、なに、都会の中でもそれは実感できものだ。

 ちょっと良寛さまになったような気がした。
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コートを脱いで・・・

写真はお客さま用の、密蔵院のコートかけ。

寒い外では必需品のコートも、脱いでしまったほうがいい時がある。

お寺は、心のコートを脱いで、薄着でOKな場所なのだと、コート掛けに教わったような気がしたクリスマスイブである。ぐははは。
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お地蔵が持つプラカード

 ご存じであろうか。
 今日からトップページに一つ項目が増えたのを。

 準備に数年を要した大企画、「オリジナル般若心経写経用紙」の誕生である。

 私が「やって、やって」とホームページの密蔵院の担当のお嬢さんにお願いした。
 できあがってから、「ちょっと遊びすぎでしょうか・・」との誠実なお人柄を感じさせるコメントがあったけど、ぜんぜん大丈夫。このくらいは密蔵院ならやらないとね・・ってな具合である。

 お地蔵様の持つ看板に一文字、一文字を丹念に書いていく。きっと素晴らしい時間になると思う。他にも一文字一文字に蓮台があるものもご用意。すでに金色で印刷されているものは一枚300円くらいで手に入るが、もっと手軽なものが欲しいと思っていた。
 最初は、蓮台のハンコを作って、いちいち押して作っていたのだが、ウェブのプロにかかると、こんな具合にできてしまうのだなと感心する。
 
 是非ともご覧ください。そして、やってみてくださいませ。書き初めとして。うはははは。
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照明器具と世界観

 昨日から、密蔵院の客殿の天井の照明器具12台が、裸になっている。

 カタログによると一台で15畳をフォローする器具のはずだが、天井高も3メートル近くあるし、夜の行事も多いので、15畳にそれが四台ついている。おかげで、全部つけるととても明るく、細かい作業の写仏くらいどうということはない。

 ところが、16年たって、いくつかがチッカン、チッカンと点滅し始めた。専門家曰く、トランスが不具合だということ。

 その基盤状のトランスをメーカーから取り寄せて、取り替える作業が始まったのだ。バンザイ状態での作業だから見ているだけでも、その大変さがわかる。

 器具ごと取り替えるのが一番早いらしいが、木の天井だから、器具跡がくっきりと残るのだ。そんなことをしたら、今度は天井板を取り替えねばならない--とは私を子供のころから知っている電気屋さんの弁である。

 ひとつは全体とつながっている。こういう仏教の世界観を、こんな工事の中に見た思いである。

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