花山の思い二十三番 勝尾寺(かつおうじ)

 重くとも罪には法(のり)の勝尾寺(かつおでら)
                仏を頼む身こそ安けれ

 被害者や社会にたいしては、償いきれぬ重い罪はある。否どんな些細な罪でも、被害者に対して犯した罪が消えることはない。刑務所から出所したところで、それは誰誰とも言えぬ「ナノモノカ」が、いちおうこれでいいですと言っているにすぎない。

 しかし、だからと言って、一度罪を犯したらどうしようもないかと言えば、そうではない。

 罪を犯した自分自身が、その罪をどのように活かして、自分自身という宝石を磨いていくかで、罪の意識に苛まれた心が、イキイキとした開放へと向かっていくことがある。

 心の中の問題だから、世間が「お前は許さん」と言おうが、被害者が「そんなことで許してたまるか」と言っても、仕方がない。

 外側に向かう解放感ではなく、内側に向かう無限の解放感というものもあるのである。

○    ○    ○    ○    ○  

「昔昔、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。お婆さんは川に洗濯に、おじいさんは山にシバカリにでかけました」
――さて、問題。この場合の「シバカリ」とは、いったいどんな意味でしょう。

 私はずっと、「昔話なのに、芝生が植えてある山に何を好き好んでいくのだろう」と、ずっとわけがわからなかったうちの一人の……五十一歳のオジサンであります。
 ぎゃははは。
 今日の浪曲で最初に登場した東家一太郎さんの「田三郎物語」が冒頭のセリフではじまったので、思い出した由無(よしな)し言(ごと)であります。

 明日は14時から15時30分までの90分。密蔵院本堂で「ご詠歌コンサート」です。入場灯明料1000円となります。ふるってお出かけください。合掌
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花山の思い 22番総持寺とロウニャクナンニョ

さて、西国33観音霊場22番は、摂津の国(大阪府)の茨木にある総持寺。

 全国に「総持寺」と名がつくお寺はたくさんありますが、どれもこれも「仏の世界を一所に含んでいる」という意味だと思っていただけばいいでしょう。教義には真言とか陀羅尼の意です。

 このお寺に花山法王が奉納した御詠歌は「おしなべて 老いも若きも 総持寺の 仏の誓い 頼まぬはなし」
※「おしなべて」は「押し並べて」の意。

 大意:老いも若きもすべて、仏の万善の徳を持して、衆生済度を誓願とする総持寺の観音さまを頼まない人はいません。されば、私たちもこうして巡拝してその慈悲にすがりましょうぞ。

「老いも若きも」と言って思い出すのは「老若男女(ろうにゃくなんにょ)」という言葉。どうしてこの言葉が早口言葉にならないのか、私はずっと不思議でなりませんのです。
 ちゃんと3回言えますか?
 酔っぱらった人は、まず無理です。あははは。

☆     ☆    ☆    ☆    ☆

 やっと21時に、明日の浪曲の庭の、会場準備が終わりまして……。ホッとしました。
19日(月)13時~15時30分。無料。密蔵院客殿。参加自由。
 出演:東家一太郎、鳳舞衣子・富士事琴美・東家三楽――のお四方。

 義理人情の世界を、伝統の話芸と三味線で、た~~っぷり、ご堪能ください。
司会進行は私。楽しんでやらせていただきます。おいでくださいませ。

 ☆     ☆     ☆     ☆

 続く、火曜日(20日)は『御詠歌コンサート』

14時~15時30分。入場燈明料1000円。参加自由。

 若手の唱え手の先生たち12名の、豪華で、ダイナミックな90分。
 本気で御詠歌やっている坊さんの迫力に肌身で接し、
「へぇ、御詠歌ってこんなすごいんだわ」と思っていただけます。

 司会進行役はまたも私。丁寧にご説明しながら進めてまいります。
 こちらも、足を運んでみてください。
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花山の思い 21番 穴太寺(あなおじ) と憂い

--このような世の中に生まれて我が身が大変に憂(う)いことだなあ……とよく思うかもしれない。しかし、そう思わないで仏さまの御名やご真言を心を込めて、一回でもいい十回でもいいから唱えてみれば、それほど嘆く身の上でも、それほど嫌がる世の中でもないことがわかるさ―――

 花山法皇は、京都亀岡にある穴太寺(あなのじ)の観音さまにお参りして詠んだ。

 かかる世に 生まれ合う身の あなう(憂)やと 思わで頼め 十声(とこえ)一声(ひとこえ)
※ 「あな憂」とお寺の名前「穴太(あのお)」をかけています。

 ここまで、西国33観音に花山奉納したご詠歌には、すべてお寺の名前がなにかしらひっかけて読み込まれています。今で言えばダジャレです、駄洒落。
 私も大好きな駄洒落です。「そんなことはあるまい。これはれっきとした文章表現の一つだ」なんて、往生際の悪いことを言っているのは、誰じゃれ? 
 わはははは。

 ☆     ☆    ☆    ☆

 読売文化センター京葉での単発講座「声明ライブと法話」。10人の方々の参加を受けて、90分。ああ、楽しかった、面白かった。
 坊さんが前向きに、楽しく生きていなくて、いったい誰が仏教に興味を持ってくれるのだ・・そんなことを年に何回もなく思う。一種の自己肯定のためであることは百も承知である。

 明日はPTA会長をしていた地元の鹿骨小学校の「ワクワクフェスタ」。
 私は残念ながら檀家さんの49日の法事と後席があるので、私の『言いたい放題』全種類を副住職に託して、ブース参加。副住職である長男もこの小学校の卒業生だから、きっと面白い出会いがあるだろう。
 これから作品の補充のために一筆十筆・・・である。
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ティーブレイク

あはは。お茶ばかり飲んでいるブログですみません。

昨日のご詠歌で面白い話があったので備忘録がわりに・・・

お休みしていた方(七十歳台後半のご婦人)がいたので聞いたら
「近々、スロバキアとオーストリアとスイスに旅行にいくのでその準備のためにお休みだそうですよ」との返事。

「へぇ、チェコスロバキアですか」
そこで、84歳になるというご婦人に聞きました。
「(チェコ)スロバキアって行ったこときありますか?」

 そうしたら、なんと答えたと思いますか。

「そんなとこ夢にも見たことありませんよ」

 ぐははははは。

 私なら「行ったことありません」と簡単に答えるところですが、
 彼女は「夢にも見たことがありません」という返事。

 こういう仏様のような、人を和ませる粋な会話を早くできるようになりたいものだと12時間以上たった今でも思います。

 合掌。 
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コーヒーブレイク

21番札所へ行く前に、ちょっとコーヒーブレイク(というより、本当は次のご詠歌の解釈が、私の中で、まだ充分に発酵していないのです。がははは)

昨日の写仏の会の、終わりのお勤め(たった1分ほどですが)の最中にこんなことを思いました。

写仏をしている時間や、お経をあげている時間、お参りをしている時間に思ったことは、岩山登りのハーケンのようなもの。
すぐには役には立たないかもしれないけど、将来、孤独の山とか、病気の山とか、苦悩の山に登らなければならなくなった時にハーケンになる・・・と。

 そして今日の夜、葛飾でご詠歌をやっていてこんなことを思いました。

人生という山を登る時、心にできた小さなクラック(割れ目)に打ち込まれた(解決した)ハーケンは、人生という山を登る時の手がかりや足掛かりにきっとなると・・・。

 そして就寝前の今、思う。
 そうやって、私の心はハーケンだらけ。あといつく、頼りになるハーケンを心に打ち込むことができるのだろう・・と。

 ○    ○     ○     ○

 お葬式、火葬場、繰り上げ初七日をして「列席した人の数だけ異なった分かれと悲しみがある」と再認識して帰坊。
 どうにも起きていられずに15分の仮眠。
 続いて夕方から、昨日に続いて、とある業者さんが発行しているカタログに掲載されるという「面白寺、密蔵院」の取材。今日もよく喋られていただきました。あんな話で、原稿になるのだろうかと思いますが、それはプロにおまかせです。

 夜は金町のご詠歌。私を含めて5人の仲間ですが、和気あいあいの話の話のほうが多い二時間でした。
 明日は、浄土宗のお寺でお話をさせていただくことになってます。やるぞ、一席、「早太郎」!ってな具合です。
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花山の思い 20番札所 善峯寺(よしみねでら)

 西国20番札所、善峯寺にお参りした花山法皇が奉納したとされるご詠歌は……

  野をも過ぎ 山路に向かう 雨の空 善峯よりも はるる夕立

 大意:自分は今、何キロも野をたどってきて、また山路に向かうので、なかなか困難なことです。それにまた、雨模様になって夕立がやってきました。これは困ったことだと思っているうちに、ふと仰ぎ見ると、善峯山の法から、その夕立も晴れ染めてきて、やれやれ助かりました。
 有為転変の娑婆の荒れ野や剣山を通るのに、夕立という恐ろしい遮蔽物さえ加わってきて、大変なことになりましたが、ありがたいことには、善峯観音の御利益で、罪業消滅、心の曇りも晴れてきました。(『西国33カ所ご詠歌新釈』より、現代文にかえました。名取)

 出典の『新釈』の解説で、面白い解説を見つけました。
 著者の堤達也さんはこの本を書いた時、東京大学講師。初版が昭和11年です。

 この中で「夕立」の説明がこんなふうにしてあります。

   「夕立:夕立雨の略です。」と。夕立雨???

 私の手元にある古語辞典を引いても「夕立雨」という言葉はありません。もちろん大辞林にもありません。「夕立雲」はありますが。

でも、なるほど、夕方に立つ雨でないとおかしいものねぇ。夕立という言葉の中には「雨」という意味はありませんものね。やはり「夕立雨」の略なんですねぇ。

 全国的に天気が急変しているみたいですね。東京も、雨が振ったり晴れ間がでたり、そしてまた曇ったり……。ジェットコースターウェザーです。わははは。

  ☆   ☆     ☆     ☆

 今日は今日とて、『写仏の庭』。
 昼の部が終わってから、かわいくて、素敵で、おしゃれなベビー服を作っている白金台のグースカンパニーの社長さんたちが来寺。http://goosecompany.com/

 ホームページ上で、いろいろな方と対談を行って、丁寧なページを作っていらっしゃいます(哀川翔さんとか、 岡田美里さんなど個性的な方と対談されていらっしゃいます)。
どんなページになるか楽しみです(喋りっぱなしだったからなあ……)。

 ということで、夜の写仏の会は長男に任せて私はお通夜です。
 癌の宣告を受けても私の前では明るく振る舞っていた奥さんでした。
 今日はしっかり仏教徒になっていただいて、
 明日はお坊さんになってもらって、大きな大きな仏の世界へとお送り申しようと思います。
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花山の思い 19番札所(その3) 革堂(こうどう)

 41歳で崩御した花山法皇がこのお寺にお参りした時に奉納したといわれるご詠歌は……

 花を見て 今は望みも革堂(こうどう)の 庭の千草も 盛りなりけり
 ※「こうどう」の「こう」は「変わる」にかけてあります。

 大意:このお寺にきて、花のような仏の教えに出合って、昔とは自分の望みもずいぶん変わってきたことを思う。お蔭で庭に咲くあまたの花々も、私を取り巻く絢爛な仏たちに見えるようになってきたことだ。

“かつての自分の望み”――いったいなんだったのだろう。天皇としての栄華か、物質的な所有願望か……

 そういえば、私の望みもずいぶん変わってきたなと思います。
 最近ではすっかり、精神的な望みばかりになりました。ぐははは。

 西国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/

  ○     ○     ○     ○
 娘がきっかけになって、ムクムクと集まってくれるようになった若者たち。
 そのうちの二人が長いおつきあいを経てついに入籍。
「和尚とデコちゃん(家内です)に報告にいかないと駄目だよ」と仲間から言われて、密蔵院へやってくることに……。
 そして、「和尚がレストランに連れて行ってくれるから、ちゃんとした洋服を着ておいでってさ」との言葉(私はそんなことは言ってませんし、レストランに行くつもりもありません)。
 さて、いざ密蔵院へ来てみると、数人の仲間に言われて、とりあえずカレーを食べた後、別々の部屋に隔離状態。
 そして「実は今日はレストランじゃなくて、ちょっと仲間が集まってパーティーをやることになってま~す」とネタバラシ。
新婦はウェディングドレスを着せられ、プロのヘアメイク(彼女も仲間)にセットしてもらう中、新郎は彼が好きなバンドの歌詞を渡されて「これ、覚えて歌えるようにしてね」……。
 そして、約1時間後、二人は密蔵院の玄関から外へ。
 そこに待ちかまえていたのは、全国から集まった二人の仲間50人が風船もって二列に並んでいる姿。
 境内に用意された「結婚誓約書」を書く台へとギャーギャーいいながら進んで行きます。
「何でお前がここにいるんだ!」「あれ、カンボジアにいるんじゃないの?」
 そして、テーブルの手前には、新郎新婦の両親、兄弟が……。
 沖縄からやってきた両親や妹の姿を見て、数歩あとずさりした新郎は見物でした。

 二人はたぶん10人くらいの、いつもの密蔵院の仲間がいるのだろうとは予想していたでしょう。それだけでも、びっくりしたでしょうけど、実際はその100倍くらい驚いたのです。
 まだ正式に親族の顔合わせもしていな両家が、友人たちのサプライズ計画にポンと乗ってくれて、密蔵院で初顔合わせ。
 ダンス、演奏、書き下ろし、新郎新婦用の特別料理(愛知県の岡崎のレストランのシェフ――もちろん彼の仲間――がわざわざ来て作ってくれました)。

――すべてが、サプライズ、そして全てが大成功のパーティーでした。その連絡や企画、運営がすべて二人の幸せを願い、祝う人たちを巻き込んだ、素晴らしい会でした。約半年に渡る綿密な計画の上にやり遂げたみんな! おもしろかったねぇ。

 おかげで、私は、今日の木更津のご詠歌の講習の帰りには、SAで仮眠を取らないと密蔵院まで帰れませんでした。ぐはは。

 明日は写仏の日です。
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花山の思い 19番札所(その2) 異様な僧

 身重の鹿を射止めた狩人の某(なにがし)は、その罪の重さにうちひしがれて、殺した鹿革をなめして、お寺へと持参して、住持に言った。

「不殺生を基(もとい)とするご出家にこんなことをお願いするのは、とても申し訳ないのですが、この革にありがたい経文をお書きいただけませんでしょうか」

 僧は、子細を尋ねなかった。よほどのことがあるのだろうことは、狩人の眼が口以上に物語っていたからである。僧がどんな経文を書いたか、残念ながら、今には伝わっていない。

 狩人は、手持ちの金子をすべて布施として僧に差し出すと、その場で、
「重ねてお願いしたいのですが、私を出家にしていただきたいので、得度の儀式をお願いできませんでしょうか」

 僧は、弟子を呼んで剃刀(かみそり)を用意させると、某という狩人の髪を剃って出家させた。今や師僧となった僧は「以後は、行円(ぎょうえん)と名乗りなさい」と戒名(僧名)を授けた。

「ありがとうございます」と深々と頭を下げ、合掌した行円は、鹿革を衣に仕立ててもらった。
 
 数日後、経文の書かれた衣を身にして、寺を離れ、修行の霊地として名高い、京都比叡山の横川(よかわ)を目指した。
 
 もちろん、革の衣をまとった異様な姿の旅の僧侶は、道中いやが上にも人目を引いた。
「見ろ。出家でありながら、革を身にまとっておるぞ」
「なんという破戒僧であろうか」

 ある宿場では、これから山に狩りに出かける狩人とすれ違ったことがあった。
 その狩人は、前からやってくる異様な姿の出家に、自分と同じ獲物を探し、射止める殺気の名残のようなものを微妙おち感じた。名人といわれる者同士だけがもつ嗅覚なのかもしれない。

 しかし、狩人がそんなことを感じていると、革の衣をまとった出家は、すれ違う時に、片手で合掌をして何か口の中で唱えながら彼をやり過ごした。

 数年のち、比叡山の横川で修行をあらかた終えた行円は、京の町に時々下りた。 
 このころにはすっかり革も柔らかくなっていたが、経文は当初のものに細工をしたのか、しっかりと読める。

 人々は横川から時々おりてきては、説法をし、殺生された獣たちの供養を行って、再び横川へと戻って行った。

 やがて人々は、彼のことを「横川の革仙(かわひじり)」と呼ぶようになった。

 寛弘元年に、彼の開創した行願寺(ぎょうがんじ)は、革堂(かわどう)と呼ばれ、発音が変化して、いまでは「こうどう」と呼ばれている。

……と、19番札所が「革堂(こうどう)」と呼ばれる経緯についてお伝えしました。次回はこの寺に花山法皇が奉納されたと伝えられるご詠歌のご紹介でございます。


国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/
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花山の思い 19番札所その1「狩人、某」

 時は今をさかのぼること1005年前の、寛弘元年(1004)を迎える数年前、長和の御世(みよ)。

 日本人だれもが、楽しみで獣や魚を獲っているわけでなく、大自然からの恩恵を十二分に感じながら、それでも自分たちも食べていかなければならないことを、自然にやっていた時代のことである。

 九州の地に、某(なにがし)という狩人がいた。
 腕のいい狩人だった。

 ある時彼は、大きな鹿を見つけて、見事に射止めた。
 しかし、近寄って見ると、その鹿が大きく見えたのは身重のためだとわかった。
 彼を見つめる、息絶えなんとする母鹿が大きな眼は、
「なぜ……?」
「どうして……?」
そう語っていた。
彼はいたたまれぬ気持ちになった。

 鹿の革をはぎ、鹿肉をさばきながら、彼は泣いた。

 肉を商売人に引き渡して、なにがしかの金をもらうと、彼はそのお金をもって、鹿革をなめしてもらった。

 そのなめし革をもって、向かった先は、近くのお寺だった。

……ということで今回はここまで。
続きはまた次回であります。

   ※     ※      ※      ※ 

 朝から尾長鳥が、よく鳴いている東京は江戸川の密蔵院周辺。
 ちょっと警戒した鳴き方のように聞こえます。

 そういえば、5年ほど前「朝からオナガがよく鳴いてますね」と言ったら、聞いた人が妙な顔をしたことがあった。
「オナラがよく鳴く」と聞こえたようだった。
 鼻濁音(鼻にかかったほうのガ)の「が」は、はっきり言わないと、「ら」に聞こえるということである。
 さあ、今日も口元、緊張させてハキハキ、いきましょう!

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花山の思い 18番札所 六角堂(ろっかくどう)

 華道に諸流ありと聞きますが、その一つに「池坊(いけのぼう)」があります。
「坊」とつくくらいだから、お寺に関係がある。

 そう。あるどころじゃない、聖徳太子が沐浴したという池のそば、室町時代の専慶和尚が元祖といわれ、以来、家元がこの地に立てられているお寺の住職を兼ねるという……。

 それが、京都中京区にある、紫雲山頂法寺。通称六角堂(ろっかくどう)。

 親鸞上人も比叡山からおりてこの寺に100日いて、以後の念仏の道を決定づけたといわれます。

 ここで花山法皇が詠んだご詠歌が

「我が思う 心のうちは 六(む)つの角(かど) ただ円(まど)かれと 祈るなりけり」

 花山法皇は上の句で、「自分の心の中にはこのお堂のように六つの角(かど)がある」と詠みました。
 六個のかどは
「目で見るものを自分の都合で(きれいだとか、きたないとか)見ている」
「耳で聞くものを自分の都合で(いい音だとか、嫌な音だとか)聞いている」
「鼻で嗅ぐものを自分の都合で(いい臭いだとか、嫌な臭いだとか)嗅いでいる」
「舌で味わうものを自分の都合で(美味しいとか、まずいとか)味わっている」
「体で触るものを自分の都合で(気持ちいいとか、悪いとか)触っている」
「心で思うことを自分の都合で(いいとか、わるいとか)考えている」

 般若心経では「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つの感覚器官の対象とする「色・声・香・味・触・法」と、そこから私たちが何を思うかという六つの意識世界の「眼識界・耳識界・鼻識界・舌識界・身識界」のこと(ぐはははは。もうこうなると、一回読んだだけじゃ全然わかんないですよね。すみません)。

――そんな私たちが日常行っている精神活動をトゲトゲしくすることなく、観音さまにお参りして、丸くしたいものだ――そう花山法皇は詠んでいます。

 京都へお越しの節は、是非お参りを。

国霊場ホームページ⇒http://www.saikoku33.gr.jp/

 ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 4泊5日の小豆島から東京へ帰ってきたら、まあなんと寒いことでしょう。
 室内では、とても半袖じゃいられません。

 そういえば、小豆島でお参りをしていた時に思ったのですが、お坊さんはやはり着物姿がいいなぁということ。
 私は拝む時しか着ませんのよ。あとは、洋服。といってもネクタイしているわけじゃない。
 もっぱらジーパンにTシャツか、ポロシャツ・・・つまり普通のおじさん。
 たまに作務衣の上だけをきている程度・・・つまり、どこまでいっても作業用なんです。

 お寺という空間には似合わないなあと思いました。

 ということで、昨日家内にそのことを話して、今日からやろうと思ったけど、気がついたらヤッパ、ジーパンにポロシャツ姿。「住職これからどこへ遊びにいくの?」と檀家さんに聞かれそうな格好であります。
 
 皆さんとお会いする時、果たして着物姿でいるかどうか・・・ははは。お楽しみに!

 ああ、そういえば、六角堂と今日の写真の鉛筆。共通点、わかりますよね?
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