「い」である。
「いち、ぬーけた」
しばらくこの言葉を使っていない。
みんなで何かやっていて、だれかが「いち、ぬーけた」なんて言うと、それにつられて「僕も」「私も」もとつづくヤカラがいるものだ。
「なんだ、内心は皆やめたいと思っていたのか」と、悔しい想いもしたことがある。振り返ったら、だれもついて来ていなかったという場合である。
一方、何か悪いことを皆でしている時に、こんなことはするべきではないと決心し、
「いち、ぬーけた」と、さっさとその場を後にして、自分がやるべきことをやる場合もある。
こういう「いち、ぬーけた」はかっこいいと思う。
自分の心の中には、たくさんの想いがある。ああでもない、こうでもないと迷っていることがある。
「えーい、もう悩むのは、いち、ぬーけた」そんな晴々とした気持ちに何度なったことだろう。そしてこれから、何度あることだろう。
珍しく夕方から頭痛がしている。おそらく今日の昼間の30分の講演で、機関銃のようにしゃべりつづけて、酸欠になっているのだろうと、夜のご詠歌の合間に、家内に「酸素が入っている飲料水を買ってきてぐでぃ」と頼んだ。
で、買ってきてくれたものを見ると「水素入り飲料水」だった。わはははは。一年くらい前まで売っていた酸素入りの飲料水は探してもなかったのだそうだ。
水素入りだと、飲むと、身体が宙に浮きそうなので、まだ飲んでいない。