「い」である。

 
「いち、ぬーけた」
 しばらくこの言葉を使っていない。

 みんなで何かやっていて、だれかが「いち、ぬーけた」なんて言うと、それにつられて「僕も」「私も」もとつづくヤカラがいるものだ。
 「なんだ、内心は皆やめたいと思っていたのか」と、悔しい想いもしたことがある。振り返ったら、だれもついて来ていなかったという場合である。

 一方、何か悪いことを皆でしている時に、こんなことはするべきではないと決心し、
「いち、ぬーけた」と、さっさとその場を後にして、自分がやるべきことをやる場合もある。
 こういう「いち、ぬーけた」はかっこいいと思う。

 自分の心の中には、たくさんの想いがある。ああでもない、こうでもないと迷っていることがある。
 「えーい、もう悩むのは、いち、ぬーけた」そんな晴々とした気持ちに何度なったことだろう。そしてこれから、何度あることだろう。

 珍しく夕方から頭痛がしている。おそらく今日の昼間の30分の講演で、機関銃のようにしゃべりつづけて、酸欠になっているのだろうと、夜のご詠歌の合間に、家内に「酸素が入っている飲料水を買ってきてぐでぃ」と頼んだ。
 で、買ってきてくれたものを見ると「水素入り飲料水」だった。わはははは。一年くらい前まで売っていた酸素入りの飲料水は探してもなかったのだそうだ。
 水素入りだと、飲むと、身体が宙に浮きそうなので、まだ飲んでいない。
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やってみる。「あ」の字から。

 徒(あだ)
 辞書によると
 ①実をむすばないさま。かいのないさま。無駄。
 ②誠実さに欠け、うわついているさま。
 ③はかなくもろいさま。
 ④役にたたない、つまらないさま。
 ⑤無邪気でユーモラスな詩趣のこと。
--とある。

 あだだだだだだ。私は徒な坊主かもしれぬ。
 かつてミクシーでやっていた「あいうえお順日記」。
 明日は、講話、打ち合わせ、ご詠歌を終えてから、「い」でいきますぜ。
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”ほ”の字

 ハガキ版「言いたい放題地蔵」に押すハンコは、ここしばらく手持ちの10種類くらいを不規則に押していた。

 たまたま、お寺の住所印を作りに行ったので、芳彦(ほうげん)の「ほ」の字だけのハンコを頼んだ。
 いろいろ字体があるから、適当に四種類、白文と朱文で、合計八種類たのんで、できあがったきた。
 わはははは。なんだか愉快である。


 ちょっと器用なら、自分で作るのだろうが、私にはこの程度で充分である。
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その手があったのだナ・・・

 今週月曜日の「浪曲の庭」で出演してくれた玉川太福さんから、お礼状が届いた。
 たまたま速達と一緒に郵便屋さんが玄関まで届けてくれた。
 手にとって、厚紙の入った封書だと思った。定型封筒の大きさだからである。


 で、封を切ろうとハサミを出して、切ろうとして裏にして驚いた。
 大きなハガキだったのだ。


 太福さんからの巨大ハガキは、郵便番号を書くところが普通のように印刷してあるし、一番上には横書きで「郵便はがき」と印刷してあるから、たぶん購入できるものである。

 しかし、これならば、写真などが送られてくるときに封筒の中に入っている厚紙を、定型の大きさに切れば、80円で届くのだ。厚紙の処分を勿体ないと思っていたので、これはグッドアイデアである。

 便箋などの一番下の厚紙だって、充分味のある巨大ハガキになり得る。
 いままで、木のハガキや、ウチワに切手を貼って送られてきたものもいただいたことがある。またスルメに切手を貼っても相手に届くと聞いたこともある。
 しかし、身近なものでこんな洒落たモノができたのだな、いままで気がつかなかったのが情けねぇ。わははは。
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寺のある風景

夕方もう日が落ちるころ、手紙を投函しに歩いた。
途中、二つの家から、雨戸を締める音が聞こえた。

私も子供のころから現在に至るまで、夜になったら雨戸を締める習慣がある。
雨戸を締めると、今日のリラックスタイムがスタートという気がしてくる。

夕飯を食べて、20時30分。犬の散歩に出た。アチコチの家でお風呂に入っているのだろう。シャンプーの香りがしてくる。
そしてまた、夕飯の匂いもしてくる・・・。

※写真はイメージです。
この街並の中で、たくさんの人たちが、日常の生活を営んでいる。
私も、お寺も、その一員である。

NHKのラジオ第一放送に「音の風景」という情緒ある番組がある。
街並みの中のお寺が、一つの風景になっている東京下町もまた、いいところだ。

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だらけ、だらける時、だらければ、だらける。

 今日、ご詠歌を初めたばかりの方のお唱えを聞いた。
 たどたどしく、それでい初々(ういうい)しい。
 こういう感覚はしばらく味わっていないなと思った。

 その初々しさがうらやましくって、私も何か新しいことを先生について始めてみようかとさえ思ったが、なかなか時間が取れぬ---と言い訳である。ぎゃはははは。

 目下、暇さえあれば月代わり「言いたい放題地蔵」を40セット描いている。12カ月×40セットだから480枚である。机の上がお地蔵様だらけであるが、だらけている暇はニャイ。

 昨日、越後のお寺の先輩から、お寺で来年配るマッチに、「言いたい放題」を描けと言われた。喜んで描いて、投函した。
 そう言えば、来年の「言いたい放題地蔵カレンダー」を作らねばならぬことに気づいた。
 気づきの多い昨今である。
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そんで、明日はご詠歌in 木更津

今日の読経の会、ご参加の皆さま、ありがとうございますした。
そして、来られなかった皆さま、残念でございました。

今日の法話は、そろそろ届き始める年賀欠礼のハガキの対処についてでした。
もらってガッカリしているだけてはいけません。ぐははは。
ちゃんと、亡き人への想いを遺族に伝えましょうということです。

で、明日は、70キロ離れた木更津へ、早朝の出発であります。
風邪にさらされ、波に揉まれ、土にしみ込んだ、30年以上ご詠歌を唱え続けてきたご年長たちのお唱えを聞かせていただくのが、楽しみです。
残念ながら、その場にいないとわからないほどの経験の重み・・・。こういう場に一緒にいるのは幸せ過ぎだと、毎年思います。

とりあえず、明日までが全力疾走かしらん。
これからも、皆さんからは見えづらい坊主の日々をつづりつつ、毎日ブログの更新の所存でございます。
「シリーズ物」は、もう少々おまちのほどを。
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そんで、明日は「読経の庭」。14時から15時。

 今日の浪曲は、若手二人が良かった。玉川太福、富士琴美のお二人。
 声がいい。ネタも良かった。
 太福さんは「大浦兼武」。琴美さんは「双葉山物語」。

 特に太福さんは若手の四年目。事故で亡くなった玉川福太郎さんの弟子である。

 福太郎さんの「天保水滸伝」は今でも、大きなCD屋さんなら、落語と同じ棚に並んでいるはずである。
 師匠についていたのは実質3か月という太福さん。
 端々が、福太郎さん譲りの節回しで、聞いていて涙がにじんできた。
 あと10年くらいしたら、日本を代表する浪曲師になるだろうと思った(10年というのは、私がしっかりこの耳で聞けるうちに上手くなって欲しいという期待の年数である)。

 終わって師匠たちを小岩駅までお送りして、私と娘の二人で会場の片づけ。家内はお茶などの片づけ。
 それにしても、やっと音響機材をきれいに撤去できる人材である娘が手伝ってくれてとても助かる。

 すでに客殿は、明日の「読経の庭」のお茶バージョンに模様替えが済んだ。
 だれでも参加OKのお経(般若心経・錫杖経)を読む会。読んでいるのは20分くらい。あとはお茶の時間である。
 参加費はお帰りの時、お賽銭(つまり投げ銭)方式。これもお寺を維持していくために使わせていただきますが、基本は「このお茶菓子とお茶と光熱費なら,このくらいの値段だろう」と考えると、ツマラヌ人間になるということ。
 次にお寺のイベントに来る人たちのお茶菓子を買ったり、お茶葉を買ったり、暖房をしてもらうため、後から来る人のために何か役立てておくんなせぇと考えでポンと出せば、心がでっかくなります。お金の使い方というのはそういうものだと思います。

 「読経の庭」は、お茶の時間を入れて14時から15時までの60分。
 普段、密蔵院の本尊さまを拝み足りない私の穴埋めをしていただく時間でもあります。わははは。
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明日は義理人情の日であります。

住職室が二カ月に一度きれいになる日。それが「浪曲の庭」の前夜と当日。つまり今日と明日 今日はご法事の後座で、しこたま美味しい「菊水」をいただきつつ、なんだかよくしゃべり続けたような気がします(酔ってよく覚えていないのです。わははは)。
午睡をとって、いざ掃除とセッティング。

明日、13時から15時30分。入場無料です。
四人の浪曲師が"泣き"の人情話を三味線とともに織りなす「総合話芸」。
金屏風の支度も充分に、いざ、明日を待つの心得でございます。



お誘い合わせの上、ご来寺くだせぇ。

つづく、25日(火)は、「読経の庭」。
--なんだか、先週の日曜日から毎日、連続9日間、対外向けに動いていることに今日気がつきました。
そろそろ、家内から「少しは密蔵院のことやりなさいよ」との言葉が飛び出しそうだ。わははは。
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「聞き、考え、実行する」の巻

 今夜は、東京の西部で「中小企業診断士」をしている方々の勉強会でお話。東京で、電車で一時間っていったら、けっこう遠いという感じがします。が小旅行だと思えば、これまた楽しからずや、ってものです。

 企業経営は、まったくの素人でございますが、「生き方」については、皆さんが仕事をしていたり、遊んだりしている間に、聞き、思い、修行しているので(これを仏教では(聞思修:モンシシュウといい、どうしても必要なステップだとします)、そちらのほうをお話させてもうおうと思っています。

 もとより、私の目当ては、話よりも、その後の懇親会での一杯、二杯、三杯・・・。ぎゃははは。
 明日の法事に差し支えぬよう、綺麗に飲めれば大人になったということです。

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