ガハハ地蔵

写真ではわかりにくいのだが、薄いピンク色のハガキにガハハ地蔵(勝手に命名)を描いた。すでに紙がピンクなのだから口中のピンクは塗らなくてもいいと思ったのだが、はやりそうはいかなかった。がはは。口の中の色を塗りながら、このガハハ地蔵ならどんなことをおっしゃるだろうと想像しつつ、楽しい時間を過ごした。「気にすんな!」「生きてるじゃないか!」「まだ、自分のことしか考えていないのか」・・・。たくさんの言葉が出てきそうだ。  

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旗印

6月も押詰まったので、新盆旗の準備をした。お盆の行事は地域によってさまざまなやり方が伝習されている。私の所では、家の軒先に吊るす新盆用の白い提灯の下に、さらに旗(写真)をぶら下げる。書式も宗派や寺によって異なる。あの世へ行って初めての里帰りのために「ここだよ~!」という目印だ。鹿骨では、お盆月の一日から飾る。「我が家は今年が新盆です」という表示にもなる。新盆は亡くなって49日を過ぎないとしない行事だから、すでに一年以上経過していても新盆になることがある。土地の古老にくよると、こうすることで、近隣の家が新盆見舞い(新盆の家にお参りすること)を忘れなくてもすむという効果もあるそうだ。

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キーボードを占領した地蔵たち

今月は10回の機会をいただいて、話を直接聞いていただいた方は、今日で1200人ほどになった。私はその場へ行って両親からもらった口でしゃべるだけである(きっと口から先に産まれたのだろう。ぐはは)。その方々を集めてくださった方、そして何より聞いてくださったお一人一人に感謝である。そして、また、キーボードが墨染めの衣のお地蔵さまに占領された。うはは。

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今日は、一日中筆を持って過ごした。合掌しているお地蔵様を50体描き、塔婆を40体書き、再びピース地蔵を60体描いた(写真)。さすがに目がしょぼしょぼしてきた。本用の原稿書きから離れて約一カ月。そろそろ始めないと勘が鈍る気がしてきたので、企画書とにらめっこをして書き始めようと思った

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銀色の道

『銀色の道』という歌がある。https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E9%8A%80%E8%89%B2%E3%81%AE%E9%81%93&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa。なぜだかわからないが今日、10人くらいの人と話し終えた結果口ずさんだ歌だった。昭和の時代の素朴な歌(3分で終わる)だが、自分の(それぞれの)歩む道の総括をしてくれているような歌だと思う。今年の忘年会のカラオケの一曲に加えようと思った。

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家を支えるということ

結婚して実家を出た翌年母が亡くなった。以来兄夫婦が法事を営んでくれていた。昨日はその兄の一周忌と、母の33回忌の仕舞い法事、そして父の23回忌の法要だった。私の長男と長女が受付をさせてもらったが、私はほぼ「お客さん」だった。何とも情けないと思う。いくら家から出た身とは言え、もう少し何かできたはずである。義姉にはとりあえず「両親の法事をすべて取り仕切ってくれて、ありがとう」と伝えたが・・・。義姉に何かご恩返しをしないと実子として申し訳ない。一つの家をみんなで支えるということはそういうことだと思う。

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生物(なまもの)

昨日は、茨城県東海村の学童クラブ指導員の方々に「心の大そうじ」のタイトルで話をさせてもらった。冒頭で大勢の子供たちをまとめて面倒みている指導員の方々のご苦労について触れた。去年9カ所の学童クラブで話をし、最近の小学校での講演会の経験をもとにした私の率直な感想だ。「ナマモノ(生物)を相手にしていらっしゃるのですから大変だと思います」--対象を客観視したつもりで「ナマモノ」という少々邪気がある言葉を使った。帰宅して、あの言葉は失礼だったかもしれないと思い『新明解国語辞典』で調べると、〔なまの状態のもの(食品)。特になま魚、なま菓子〕と、『新明解』にしては簡素な解説のみ。私は「傷つきやすく、繊細で、扱いがむずかしい人物の比喩としても使う」を期待していたのだが、そうはいかなかった。ぐはは。結果的に失礼な発言だった。反省して、今後は注意したいと思った。しかし、ふと考えた。ひょっとしたら聞いていた人の中に「坊さんはいつも死んだ人ばかり相手にしているので、生きている人をナマモノと呼ぶのではないか」と好意的に解釈してくれる人が・・・いないだろう。あはは。ちなみに『広辞苑』では〔生者(ナマモノ):未熟な者。はした者〕があった。

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6月18日(今日)は15時から「浪曲の庭」です。

気候の良い時期の4月、6月、10月の日曜日に密蔵院の本堂でやっている「浪曲の庭」。三人の浪曲師の節と啖呵、そして二人の曲師(三味線)が織りなす義理と人情の世界・・・。今日の出演は富士路子(日本浪曲協会会長)、鳳舞依子、玉川文福/曲師は伊丹秀敏、青山理。どんな噺が出ますやら・・・楽しみです。入場自由、無料。お誘い合わせの上どうぞ。※写真は名人伊丹秀敏師匠。

 

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木登りの記憶と共に

今日は第四葛西小学校での道徳授業公開講座。700人を越える児童数なので3時間目に1~3年生。4時間目に4から6年生にお話。学校へ行く道中で幹線道路の信号待ちをしていると、横の木がこれ以上木登りに適しているものはなかろうという枝振り。最下層の枝は地上120センチほどの所である。こんな木に育てるには30年くらいかかるだろう。小学生の頃の木登りの記憶が鮮明によみがえった中での公開講座だったが、講演中はすっかりオジサンの思考回路になって、どううまく話を組み立てるかを考えている自分がいて、少し悔しかった。ぐはは。

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取捨選択

檀家さんの訃報を受けて枕経から始まった今日。和をおもんじる奥さまだった。これから墨田区の東吾嬬小学校で4年生から6年生と地域の方々に道徳の公開講座。昨日小学生用の話材を書き出したのだが、その中から何を話したらいいかを選べずに途方に暮れている。わはは。写真は今日発売の『ラクになる練習』の中のイラストの一つデス。

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