quick and light

 時代はquick and lightなのだそうだ。で、quick and lightで検索したら、簡易チェアーが出てきたという寸法である。

「軽い読み物を、素早く出版する」出版社も、例外ではない。原稿依頼からアップまで1カ月半。苦悩している筆者は私だけではあるまい。仏教の教えは「素早く、軽く」身につくものではない。しかし、それを伝えるのなら、クイック アンド ライトは可能かもしれないと思って引き受けた企画だった。イラストを43枚描いてさっき投函してきた。3月3日の締め切り前の提出ならば、上々だ。それにしても、二月は油断ならぬ。28日までしかないのだからな・・・。あははは。

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無為

三週連続の朝日カルチャーセンター「般若心経の唱え方」全3回も無事に終了。午前9時にお寺を出て、新宿住友ビルへ毎週行くなど、坊主にはなかなかない機会である。帰宅して電子書籍の「はじめに」を書き上げて、夕方、野田のお寺へご詠歌。そんで帰宅して、電子書籍に入れる「いいたい放題地蔵」のイラスト描き。お寺の坊さんは、やろうと思うと、どれだけでもやることがあるのだなと、つくづく思う。「無為」という言葉が身に沁みる。

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目処(めど)が立つ

 二週間で4万字の原稿にどうにか目処が立った。「ふーっ」である。今日も今日とて、電車の行き帰り、3時間半の講習会を終えて懇親会も一次会で失礼して、21時に帰宅して校正の続きをしていると、檀家さんの訃報。やるべきことを淡々とやっている間に時間が過ぎていく。そもそも人生に時間が足りないと思うが、これはこれで致し方あるまい。やりたいことより、やるべきことを優先する時期は人生にはあるものだ。

イラストは私が描いた阿弥陀さま。別名を無量寿如来。永遠の命を表した仏さまである。

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足りない

 今日は「布教実践講座」の担当。この企画当初に事務局から提案された時間は90分。冗談ではない、とても90分ではできないとごり押しして、90分を2コマやらせてもらった。

 無事に役目を終えて事務方に「やっぱり、3時間じゃ足りないよ」と言った。すると、「一回に、それ以上やったら、受講者がしんどいですよ」 という返事。

 にゃるほど、こちらの想いだけで、もし四時間半もやったら、参加者への配慮が「足りない」ことになるのだなと納得した。

帰宅して、トータルで35項目書くべき電子書籍の原稿のうち、9項目も書けた。こうして、やるべきことを一つ一つやっていくと心の負担が減っていくのが実感できて嬉しい。

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歌にならない

 今日は、二年間のご詠歌の研修を終えた人たち8人の卒業検定。全員が超がつくほど緊張して臨んだ。30曲ほどの課題曲の中から一人三曲唱えることになる。ご詠歌は譜面がある。写真のマッチ棒のような線が譜である。

間違えないように唱えることが至上命題だから、一生懸命譜面に正確に唱えようとする。その結果として、譜面を唱えているのであって、歌になっていない。二年間程度の練習なら、そういうものだと思う。これから一般の方々に自分のならったご詠歌を教える彼ら。数年後に良い歌い手、唱え手になってくれれば、講師冥利につきる。

 

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正念場は歌舞伎用語だった。

うぎゃ!電子書籍書き下ろしの詳しい内容のメールがさっき来た。3月の第一週に原稿を頂戴できれば・・・とのこと。ツーことは、これから二週間で書かねばならない。しつこくて申し訳ないが「ウギ゛ャ!」といいたくなる気持ちをご理解いただけるだろうか。

物を書いていると、年に何度か正念場のような時期がある。「正しく念じる場面」という文字だが、辞書によると次の二つの意味があるだけで、「念じる」などというニュアンスはない。

①歌舞伎・浄瑠璃などで、主人公がその役の本質的性格(性根)を発揮させる最も重要な場面。

②その人の進化を問われる大事な場面。重要な局面。

もちろん「正念」だけなら、仏教では、「邪念を離れて真理にいたろうとするいう心を持つこと」「極楽往生を信じ、一心に思念すること」「浄土真宗で、他力の救済を確信すること」の意味がある。--今の私には、他力には頼れないし、念じている暇はない。自力で書くしかないからである。

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負けても終わりじゃない。諦めたら終わり。

 先週の金曜日、密蔵院でおこなわれた3人の声優さんの鼎談の中で、仕事が無くなった時期、オーディションに落ちた時、いつも表記の言葉を思いだして頑張ってきたとおっしゃるSさん。いい言葉だ。人生、負けても次がある。再挑戦できる。リベンジである。仕事で失敗したとか、信頼を失ったといった現実生活のことではない。心のあり方のことである。

負けてどんなに心が落ち込んでも「負けても終わりじゃない」とすぐに思いだせるようにしておこうと思った。

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肩の荷

 数ヶ月前、ドクターに「とりあえず、胆嚢ポリープの成長の様子見をしましょう」と言われて、今日の午前中に受診。大きめのポリープは、ポリープではなく、胆石の可能性が大との所見だった。なんだかいいのか悪いのかわからないまま、「定期的な人間ドックで様子を見ていればいいですよ」との言葉に、今まで通りの生活をできる幸せを感じた・・・。私は単純である。ぎゃははは。

で、夜の「聲明ライブ」を終えて少し前に帰宅。長男の他に、急遽イケメンの甥にも手伝ってもらうことにして、いつも通りの3人態勢でできた。お寒いところお越しいただきました皆さま、ありがとうございました。さすがに、夕方30分ほど仮眠しないと23時までのライブはきつくなってきました。どははは。

明日はご詠歌の先生たちの自主トレ@密蔵院。夜は密蔵院の客殿で、声優さん三人による鼎談の取材である。秋のお彼岸に30万部発行される雑誌の特集記事用である。その責任者だけに、声優さんたちへの配慮と、30万人の読者への配慮を肩にすると、鼎談の原稿まとめを若手にやってもらうにしても、さすがに荷が重いなと思う。でも、やらねばならぬ。--単純で、疲れ安くなって、愚痴っぽくなった下町の和尚の話である。うははは。

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心静かにしていられない症候群

 今日の密蔵院の「写仏の庭」のお手本は「静かなることにたけている」--能静観音。

左肘を岩にもたれて、自分の心を静かに見つめるお姿だ。自然の中でこうしたことをする機会はほとんどない自分に気づいた。かりにやっても、きっと「ああ、あれもやらねば、これもならねば。そうだこんなことをしている暇は、今の私にはないではないか」と座を立つだろう。言うなれば、「心静かにしていられない症候群」である。嗚呼、情けないことである。こんな状態では、物事の本質は見えてこない。

 明日は「聲明ライブ」 @ Chippy in 新小岩。弟子(長男)と二人でつとめさせていただきます。似た声だから、不思議な音になりそです。

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アイルランドと観音さま

アイルランドのアニメ好きの青年たちが、一生懸命お金を集めて、日本のアニメ関係者に「アイルランドに来てくださーい」と熱いメッセージをくれたそうだ。

その心意気を感じたアニメプロデューサー二人が、赤字を知りつつ先月渡欧した。日本文化の代表選手のアニメ。その世界観は、ある意味で世界を救っていると思う。存分にアニメの魅力をお伝えになられて帰国。

同行したM2メディアパルの代表者のTさんが一昨日持ってきてくれたのは、寒いアイルランドのミトンの手袋だった。私に占いサイトへの参入のきっかけを造ってくれた人だ。指先が空いているミトンの手袋をして、「名取芳彦守り本尊説法伝書」の続きを書きなさいということらしい。あはははは。

同時に、東日本大震災で、仏師が20体限定で制作した救世観音が二体事務所に届くことになったので、そのうち一体を密蔵院に奉納してくれるという。ありがたく納受した。

 アニメプロデューサーのアニメへの想い、そして仏師とマネージャーの震災復興への想い、加えて私の仏教伝道への想いが交差した、温かい接点を感じた。こうした接点を、今後もうまく活かせるといいと思う。ttp://www.t2mediapal.co.jp/index.html

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