身勝手者の望む世界

今日も今日とて、天保時代の講演録の中から、愉快なお話を現代語訳でご紹介します。
ある大先生の所へ悩み相談に来た身勝手者。相談の内容は次の通り。
「どうにも最近は悪い世の中になりました。私が望む世界は、働かずに食うに困らない程度のお金が手に入り、鬼神のような親父でも酒をすすめ、ご飯をご馳走してくれ、性欲も満たされ、上司や親は私の思い通りになり、気に入らない面倒な奴は殺してもお咎(とが)めがないような世界。そんな世の中になれば、これに過ぎたるはございませぬ。どうすればそんな世界になりましょうか」
すると大先生、ニヤリと笑って言うには「そうか。では近くへ来なさい。あなたが望む世界を差し上げましょう」。
身勝手者、大いに喜び、先生の前に進み寄ると、先生は素早く身勝手者の襟首を取って締め上げ息の根を止めようとすると、身勝手者はあわてて「先生、苦しい。どうしてそんなことをするのです。どうぞ、命ばかりはお助けください」
さて、大先生の言うには……この続きはまた次回。

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大丈夫

かつてアメリカの雑誌「LIFE」に掲載された面白写真を集めたSMAILES BACKから「こわくないよ。ちょっとも痛くないからね」の二枚。犬は先天的に先端恐怖症なのだろうか(写真が小さくてよくわからない場合は、写真をクリックしてください)。そして一般の方は、「坊主の話はまじめで、固い」と思っていらっしゃるのだろうか。私の場合、そのハードルを冒頭でどう倒すかにかなり重きを置いている。明日の講演も同じである。さて、東北道を会津まで。途中、野口英夫記念館に寄れるかな。

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二人三脚で作られる本

一昨日編集長自ら持ってきていただいたゲラには、すでに鉛筆書きの校正案が記されていた。ありがたい。どれもプロの目らしい、これ以上ない適切な提案ばかりである。本は筆者と編集者の二人三脚で生まれることを実感する。来週7月7日までに戻せばいいのだが、やり始めたらとても途中でやめられなかった。一まず終わった安心感で、フーッと大きなため息をつき、メガネと赤ペンを原稿の上に投げ出した。これで明日からの会津の講演会に気兼ねなく行けるぞなもし(これって、どこの言葉だ?)。あはは。

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魔が差したんです

加齢のためなのか、それとも本気で覚えようとしていないのかわからないが、散歩中によく見かける存在感たっぷりの二種類の花の名前が覚えられない。
アガパンサスは、過日仲間のブログで紹介されていたのを機に「魔が差したんです」と覚えることにして事なきを得た。もう忘れないだろう。
問題は、どうということはないと思われるタチアオイだ。苦労して「立ち赤い?黄色い?青い?」と覚えることにした。こんなに苦労するなら最初からタチアオイと覚えればよさそうだが、ダジャレっぽくしないと覚えられないのだ。ぎゃはは。

 

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数の子の正体

ということで、全三回でご紹介している最終回。今日も天保年間に発行された柴田鳩翁の講演記録をほぼ原文のままご紹介します。
「めっそうな。極楽に生臭いものがあってたまるものか。あれは数の子ではない。娑婆にいる時、口は忠孝を述べて人を教訓し、口に経論を説いて人を済度し、しかも身は気隋気ままを働く、そんな輩(やから)が死ぬると、体はたちまち地獄へゆき、舌ばかりが極楽参りをする。あれは舌の乾物じゃ」と仰せられた。
何と恐い話ではござりませぬか。私どもは舌ばかり極楽参りする連中、また悪ろうすると、あなた方は耳ばかり極楽参りするお仲間じゃ。ご油断はなりませぬ。感心上手の行い下手、口ばかりの龍がしらで尻のないには困ったものじゃ。
--最後に鳩翁は講演している自分を含めて「私どもは」と記しています。もちろん、この中には私も入ります。ぐはは。体ごと極楽へ行けるように頑張りたいと思います。

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なんと木耳の正体は・・・

--前回の続きです。
さて、極楽初日に観音さまに案内されて極楽観光に出発した人が、お堂の中で見つけた木耳(キクラゲ)の乾物・・・
今日は『心学道話全集』第一巻にあるセリフをなるべく忠実にお伝えします。
「いやいや、あれは木耳ではない」と観音さま。
「それなら何でございまする」
「さればあれは人、娑婆に在りし時、常に忠孝の話を聞いて実(げ)にもと思い、また談義説法を聞いてありがたいと思えども、身につとむるところの所作は悪いことばかりしている者が死ぬと、体は無間地獄へ堕ち、耳ばかりが極楽へまいりまする。あれは耳だけがが仏になったのじゃ」と仰せられた。
--と、今日はここまで。恐い話ですね。しかし、私にとってはこの先のほうがずっとオソロシイのでございます。
「耳の乾物は聞こえました(わかりましたがの意)が、あの数の子の乾物は極楽には不似合いなもの。あれはどうしたことでござりまする」
観世音お叱りなされて「めっそうな。極楽に生臭いものがあってたまるものか。あれは数の子ではない」
さて、数の子の乾物の正体は?続きはまた明日。


 

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極楽市内観光

ある人が亡くなって極楽へ。入り口で観音、勢至の両菩薩が迎えて阿弥陀さまの所に案内してくれます。「よく来ましたね。今日は極楽の中を市内観光みたいに見て廻るといいですよ」。ガイドは観音さまがつとめてくれることになりました。七宝の庭や八功徳水が満たされた池の蓮などを物珍しげに見てまわると一つのお堂があります。中を覗くと四方の壁に棚が巡らされていて、そこに木耳(キクラゲ)と数の子の乾物がたくさん並んでいました。「ここは極楽の食料貯蔵庫ですか?」と聞くと、観音さまは「違います」と答えます。「だって、こんなに木耳と数の子の乾物があるじゃないですか」「ああ、あれは木耳でもないし、数の子でもありません」--さてどうなる?あはは。今読んでいる昭和初期に発行された本は、天保時代の講演記録だったことが判明。その中に出てくる面白い話を三回に分けてご紹介します。明日はキクラゲの正体の段。知っている人も知らない人もネタバラシはご遠慮くだせぇ。ぐはは。

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ゆっくり振れる時計の振り子

地元の小学校や長野での講演やお葬式などの慌ただしい日々を過ごして、今日のご詠歌を終えてホット一息。ようやく、ゆっくり揺れる大型の振り子時計の振り子のような時間が戻ってきた気がする。迎えて明日は兄の三回忌の法事だ。単なるお客さん(参列者)にならないよう気をつけようと思う。

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夢の風船

私も胃が痛くなる時がある。今朝がそうだ。午前中の小学校での子供たち用の話の準備はしたのだが、体育館で一度賑やかになった子供たちを静める術(すべ)を、私は持たない。今日もこんな風船を将来の夢として出せば、どんな騒ぎになるかわからぬ。ぐはは。しかし、騒ごうが、怒鳴ろうが、悄気(しょげ)ようが、4時間後の12時には終わっている。それだけが救いである。つくづく時間は偉大だと思う。どはは。

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一つ一つ片づける

午前中に今月末締め切りの本の原稿をとりあえず仕上げて編集者に送り、お昼を食べてから明日の小学校での低学年と高学年用の話の内容を考えて、明後日の長野での講演内容を思案して、来週火曜日の墨田区の小学校のPTA向けの話の順番をひねくりまわし、明日夕方からの次男の結婚式の準備をしようとしたら、増刷された『気にしない練習』の筆者贈呈分が届いた。今回からオビにある発行部数が増えていた。家内が素直に「あなた、すごいわね」と目玉を丸くしていた。すごいのは読んでくださる読者である。

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