東海道を西へ百里

今日は東海道を西へ百里。豊山流のご詠歌講創立70周年の大会が行なわれる奈良長谷寺へ。錦繍の長谷というには早いが、全国から集まる講員の方々を本尊の観音さま(12m)は慈悲の眼差しで、私は笑顔でお出迎えしようとの心底。二泊三日でいいものを三泊にした。今月末に四日市にある池田満寿夫美術館(パラミタ美術館)で『般若心経』の講演をすることになっていたのだが、それがキャンセルになったので、せめて彼の美術館を観てから帰郷しようという魂胆だ。むはは。楽しいドライブになりそうだ。

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白シャツ情話

午前中のご詠歌に来た奥さま。「あら、先生、どこかへお出かけですか」と言う。「いや、これからご詠歌だから、どこにも行きませんよ」「そんな白いシャツを着ているからどこかに出かけるのかと思ったわ」だって。作務衣の下に着る長袖が、白のボタンダウンしかなかったのだ。家内に「時間があったら衣替えしてくれ」と言ったら、「私だってまだ半袖なのよ」と二の腕を見せられた。会話になっているようで、会話になっていない、夫婦の間のよくある不思議な会話である。もちろん、それ以上はつっこまない。そんなことをすれば「自分でやればいいのよ」と言われるのは目に見えているからである。うぎゃぎゃ(写真のモデルは、もちろん私ではありません)。

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地蔵山(じぞうやま)

やらないからといって誰に迷惑がかかるわけではないが、やり始めたのでいつかはやらないといけないことがある。どう使うかは考えていないが、リサイクルするはずの段ボールに、とりあえずお地蔵さまを描いたのはいいが、文字を入れないと完成しないのだ。久しぶりにオフの今日は、遅い衣替えをして、さあ、文字入れをしようと机に向かった。アトリエもないし、アトリエ代わりになる客殿は明日の法事のしつらえをしてしまったので、パソコン机の狭い空間での作業となった。乾かす場所もないから、文字を書いた順に、夏の白衣が入った衣装ケースの前にドサドサと積み上げていった。写真ではわからないが、中心部の高さは10センチを越える、200枚以上からなる地蔵山である。これを一枚一枚ビニール袋に入れる作業が残っているが、今日はもうやらない。とても疲れたからだ。誰に迷惑をかけるけではない、しかし、もらってくれる人は喜んでくれるだろう。どはは。

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ある布教師の日常

今日は今日とて、パルシステムの地区会員の方々の勉強会@密蔵院。20名のうち約半数が初めての方だったそうだ。楽しくお話させていただいて、参加記念に好きな「言いたい放題地蔵」ハガキを一枚もらっていただいた。
そして、二週間後の11月9日(金)は、友人の青木住職のお寺で無理矢理やらせてもらう、トークライブin 大阪。参加灯明料は1000円、懇親会は3000円程度を予定。
興徳寺さんは大阪府大阪市天王寺区餌差町2-17。最寄駅はJR大阪環状線 玉造駅より徒歩10分、もしくは地下鉄鶴見緑地線 玉造駅2番出口より徒歩5分です。
トークライブ(つまり法話の会ですが……)のスタートは16時。18時くらいから懇親会@近所の居酒屋。
お申し込みは、密蔵院のホームページのメッセージ、もしくはフェイスブック(名取芳彦)からどうぞ。 興徳寺さんへの直接のお問い合わせはご遠慮ください。

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残っていくもの

今日は宗派の布教研究所のメンバーと、千葉県佐倉にある義民佐倉宗五郎をお祀りしている宗吾霊堂こと東勝寺へ調査研究をかねたお参り。創作であろうとなんであろうと有名人と縁(ゆかり)のある場所は、訪れる人が多い。訪れる人が多ければ、そこでまた別のつながりができる。
かつて副住職に「このお寺を舞台にして何かやりたいことはないの?」と聞いたことがあった。すると、「檀家さん以外でこのお寺に来るのは、今の所、父さんに会うのが目的なんだ」と耳の痛いことを言った。昔、先輩が「寺の住職は自分がでしゃばるのではなく、本尊さまのスポークスマンでないといけない」とアドバイスされたことがある。それに通じる言葉である。
芸能の世界では「芸は一代、名は末代」と言われる。その人がいなくなれば、その人が偲ばれることはあっても、同じ人物が出てくるわけではない。
副住職が言うように、今の所私が前面に出ている格好になっている密蔵院だが、私が死んだあとも残るこのお寺のことを、本気で考える時期だとふと思った(写真は今朝の密蔵院本堂です)。

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40年前の私へ

半ば僧侶の資格を取るためだけに入った大学。その頃は「仏さまって本当にいるのだろうか?」「仏教って亡くなった人のケアする専門家か?」「僧侶は職業だろう」なんて、中二病みたいなことばかり思っていた。僧侶としての自信がいくらか固まってきたのは30歳も半ばになってからだった。今わかっていることが、もっと若い時に納得できていれば、文句や愚痴はずっと少なかっただろうし、悶々とした日々もずっと短縮できただろうと思う。今日はお坊さんになるために大学に入った3年生向けの、伝道学の授業のゲストスピーカーとして呼んでもらった。40年前の私に話をするつもりで、仏教の面白さ、有益さを90分間、分かりやすく、楽しくお伝えしようと思いながら、段ボール地蔵を描いた。お地蔵さまたちに「存分に、楽しんでおいでなせぇ」と言われているような気がする。

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恐ろしいうるおぼえ

今日はご詠歌の先生たちの自主研修@密蔵院。その中で、各お寺のご詠歌講の新年会の話になった。所沢の先生が、「長老の男性が必ず『年の初めの~』を歌う」というエピソードを紹介してくれた。その男性はその場の全員に「一緒に歌おう」と催促して、手拍子で二番まで歌うのだそうだ。
その話を聞いた私は♪年の初めの~♪の歌をちゃんと歌えるかどうか疑問に思った。夜、家内と犬の散歩をしながらその話をして、二人で口ずさんでみたが一向に埒(らち)があかぬ。
帰宅して、うる覚えの歌詞を書いてみたのがこれである――♪年の初めの試しとて 尾張名古屋のめでたさよ 松風立てて佐渡おけさ 仁王今日こそ楽しけれ♪である。
正式な歌詞を調べたら――♪年の始めの 例(ためし)とて 終(おわり)なき世の めでたさを 松竹(まつたけ)たてて 門ごとに 祝(いお)う今日こそ 楽しけれ♪である。
ぎゃははは。何が、尾張名古屋だ、佐渡おけさだ、仁王今日こそだ!日本人として恥ずかしい。ちなみにこの歌の題名は「一月一日」だそうだ。

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次回「法話の辻」延期の理由

「今どき、敵(かたき)討ちの忠臣蔵はどうかと思うんですけどね」という浪曲協会会長の東家三楽(富士路子改め)さん。「いいんじゃないですか。私は忠臣蔵の数々の場面、好きですよ」と答えたら、「それじゃ、浅草の木馬亭でやる一門会で、今年も何かしゃべってください」と頼まれた。開催日を聞くと、11月25日(日曜日)。本堂でやる「法話の辻」とぶつかっていた。天秤にかけた結果、木馬を取った。「法話の辻」は一週間ずらして12月2日にしたのである。四人の妙齢な女性浪曲師に挟まれるので、鼻の下が伸びたのかもしれぬ。あはは。

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21日の「浪曲の広場」は、襲名したてのベテランお二人が夢の共演。

明日(21日)は住職の司会進行でお送りする密蔵院の「浪曲の広場」。去る14日に同時襲名した浪曲協会会長富士路子改め東家三楽さんと、東家若燕改め港家小柳丸さんの夢のような共演。午後3時から5時の2時間を存分にお楽しみください。入場無料、密蔵院本堂にて。

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半開、未酔  

「花は半開に見よ、酒は未酔に飲め」――好きな言葉です(後半がなかなかできないけど。ぐはは)。

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