愛の証

今日は、仲人をやさせてもらう若き二人、両家の結納兼食事会にお招きをいただいた。
前途幸多かれと祈りつつ、婚約指輪の贈呈の瞬間をカメラに納めた。

愛の証を一つの品物で象徴することは、結婚式から一週間で結婚指輪を外した(そうしないと数珠がうまくすれないのです)私は、この歳になってとてもいい習慣だと思う。
夫婦喧嘩をしたら「ほら、これっ!」と指輪を見せればいいのである。それですぐに仲直りができるとは思わないが、何もないよりずっと仲直りの時間が短縮される。犬も食わぬ「お互いのご都合のぶつかり合い」の夫婦喧嘩で息詰まるような時間を持続させるのは時間の浪費である。なるべく早く納めたほうがいいのだ。
喧嘩をしてまで守りたいもの、失いたくないものなど、そうたくさんはあるまい--そう気づくまで、今日の若き二人も、たくさんの「犬も食わぬ喧嘩」をしてもらいたいと思う。あはははは。おめでとう。
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過ぎゆく夏の思い出に聲明ライブはいかがですか。

今宵、聲明ライブにご一緒してくれるのは、徳之島生まれのシンガー、梨海(りみ)さん。
どんなライブサウンドを聴かせてくださるか、とても楽しみでございます。

陽気なお坊さん三人の聲明と、ナチュラル系シンガーの心あたたまる歌を、過ぎゆく夏のお土産にいかがですか(あははは、このコピー、ベタだけどなかなかいいと思う)。
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表現者たち

毎回90人のお客さんを迎えるのに、携わったキャストとスタッフは45名だった「怪し会・伍」。お客さん一人につき二人が担当した計算になる。丁寧な会である。

どうにか赤字にはならなかったと、昨日の打ち上げで茶風林さんから報告があった。俳優でも声優でもある茶風林さんは、「私たち、表現者は・・・」という言葉をよく使われる。「表現者」を英訳すればパフォーマーでいいのかもしれないが、茶さんが仰る時のニュアンスは「私たち、パフォーマーは・・・」ではないのだ。
表現者という言葉が似合う人たちと一緒の時間は、楽しかった。表現者・・・言い言葉だと思う。
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わらわのいわれ

朝から宗派の布教誌正月号の「第一回編集会議」という名の校正作業。ほどよく頭を使った気がする。帰宅途中に、「怪し会」のオフィシャル打ち上げ用に、ビンゴの景品を買い揃えた。面白いグッズがそろったと思う。景品買いというのは、自分では買わないが人にはあげたい物を買うという、とても贅沢な買いものなので、好きである。銀座、博品館はいつの間にか外国人観光客のお買い物スポットになっているらしく、今日も外国のおきゃくさんが多かった。
帰宅して、昼間に残した原稿の手入れ。通常6ページのコーナーが今回は4ページになっているので、おおわらわである。「わらわは、笑われるいわれは、ないわい」などという、とぼけた早口言葉が思いだされる。ぐははは。
どうにか文章を削って削って削って、筆者に返送した。気がつけば、外では虫の声がしている。あははは。そんなことにも気づかない日々を送っていたとは情けないと思う。

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昼なお暗し

午後2時40分だというのに、住職室はこの暗さである。

「怪し会・伍」最終日。本堂は毎回90名を越えるお客さんで満員。公演の冒頭と最後でお話をさせていただいている。昼の部でも、休憩がわりのお清め会場の客殿では暗闇を演出したいから、外からの光を遮断する必要があるのだ。住職室からの光もNGである。なんだか、ディズニーランドの屋内アトラクションにいるみたいで面白い。
夕べの中打ち上げでは、飲んでいて遅くなったスタッフ・キャストの四人が泊まってくれた。おかげで午前1時まで楽しく飲んだ。お寺というのは、かなり色々なことに使えるのだなと、つくづくありがたく思う。


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店屋物(てんやもの)の後始末

「怪し会」三日目。今日は13時の部と18時の部の二公演。スタッフは10時に集合して準備におおわらわだ。
雰囲気的にわが家も昼食の支度をしている暇も心の余裕もないので「そうだ。てんやものにしよう」と発案した。
先に、私と家内が食べた。で、返すために器を洗った。
もとよりお店では、持って帰ったもを丁寧にもう一度洗うはずである。
しかし、一応下洗いして返すのが礼儀だと心得ている。

「どうせ・・・は、心の赤信号」という話である。
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楽ししくゴミの分別を。

夕べの「怪し会」は、お客さんが帰ったあと、キャストやスタッフが出したゴミをスタッフが持ち帰ることに・・・。
しかし、分別をちゃんとしていなかったために、けっこうバタバタしていた。
そこで、今日からは、お寺で処理しようと、三枚の札を書いた。あはははは。楽しかった。
せっかくやるなら、楽しいゴミの分別を!あはははは。


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見た事がない行列。

「怪し回・伍」初日終了!
大勢のスタッフに紛れて、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。あはははは。
楽しかった。初日の楽しさは、また格別だ。あと5公演はまた違った楽しさになるはずである。
密蔵院の目の前のバス停には、小岩駅の最終バスに二十数名の方々の列。
バスの運転手さんは、バス停の手前で前方の見たことのない長蛇の行列に、バス停のはるか手前でブレーキを踏んで戸惑ったような運転をしていたそうだ。あはははは。
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ハート・あんど・ヘッド

午前中ご詠歌の特訓指導を終えて、午後は「写仏の庭」。
今日のお手本は、一週間前に描いた「光聚仏頂尊(こうじゅぶっちょうそん)」。

光聚は「光が集まる」の意。
仏教では宝珠のことを表すのが一般的ですが、今日の仏さまは、お釈迦様の二段になった頭には智恵の光が集まっているということ。左手の蓮の上には如来の頭部(頂)が載っています(カツラではありませんのよ。ぎゃははは)。
私たちは「心の場所」を示す時には、ハートの言葉の通り胸(心臓)に手をやります。一方で「考えてごらんよ」といえば、おつむを指さします。だから、智恵は頭部に詰まっているというのが、素朴な感覚なのだろうと思います。
さて、これからも頭とハートで生きていこうと思います。
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ミュージックフェスで聲明

9月に出る本の監修としての二回目の校正原稿の引き渡しを終えて、編集者と楽しく世間話。プロのライターでも「般若心経」の解説はそう簡単ではないのだなと思った。でも、はやりプロである。これだけ短期間に良く書いたと思う。
夕方、横浜へ。10月21日(日)横浜の文化財レベルの8会場を舞台におこなわれる、ごちゃごちゃ音楽祭、ホッチポッチミュージックフェスティバル2012の出演者説明会である。
聲明は、15時25分から旧横浜地裁の車寄せのアーチ部分(写真正面)である。

出演者の自己紹介がそれぞれあって、私は「8会場の出演者、観客の方の中で、万が一のことがあった場合には旧横浜地裁会場のスタッフまでご連絡ください。お坊さんたち大勢でとりあえず駆けつけますから」とご挨拶した。ぐはははは。もちろん、それまでに私があの世へ行かなければ、の話である。
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