学術セミナーで法話

お通夜やお葬式、法事などで唱えるご詠歌の講習(4時間)を終えて帰宅。唱えに唱えてツカレタ・・・などど言っておれぬ。来週3月9日に神奈川の藤澤で行われる徳洲会看護部主催の学術セミナー(一般の方は入れません)用のレジメを作って送らなくてはいけないのだ。。三名の講師の中でも私はかなり異色だと思うが、それに応えようと話の内容を考えてレジメを送った。学術セミナーとは言え、私にとっては法話である。むはは。

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名僧に非ず、瞑想もしないで迷走

「遅すぎて間にあわない」「時期におくれて役に立たない」という意味の「遅きに失する」を、かつて「遅きに逸する」と覚えていた。ということで、遅きに失した感はあるけれど、今日から「写仏の庭」に貸し出しようのネガネ式ルーペが登場。段ボールで簡易スタンドを10分で作った。気前味噌だが、なかなかの出来である。果たして何人がお使いになるだろう。皆さんが写仏をしている間、同じ客殿で原稿を校正するか、お地蔵さまに色を塗るか、童仏の絵ハガキからお手本を作るか、まだ迷っている。迷走坊主である。ウギャギャ。

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夕日を見続けるための速度

夕方5時、車で西に向かっていると大きな夕日。写真はネットからの借用だが、ほぼこの大きさと匹敵するくらい大きく見えた。この夕日を24時間見つづけるには、どのくらいのスピードで西に追いかければいいのだろうと思った・・・が、私にはそんな計算はできないので、ロマンのまま放っておくことにした。ぐはは。

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リバース

月に一度の「写仏の庭」は明後日27日だが、今日お手本を作っておかないと寝る時間がなくなる。今月は普賢菩薩と決めたのに、手頃な(どんなだ?ぐはは)ものがなく、いくつか探した。その中に井上球二さんの童仏(わらべぼとけ)シリーズの普賢菩薩があった(今回のお手本ではない)。井上先生の本には、この仏さまの白描画がないので、絵ハガキから白描画を作らなければならない。画家と逆の作業をするのだ。カラーの絵ハガキから線だけを取り出すのは、拡大コピーをしても、こりゃ、思ったより、タイヘンです。どはは。

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御朱印の待ち時間

春めいて、動きやすくなったからだろう。今日は朝からご朱印をもらいに来る方が多かった。お地蔵さまバージョンのご朱印は、描くのに3分ほどかかるから、その間、上がっていただいて「言いたい放題地蔵」をご覧いただいている。しかし、気づけばアチコチ抜けていたので、あわてて全部埋めた。

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インディアンとゴルゴ13の共通項

住職室で仕事をしていると、何やらコピーを取りに来た家内。ちらりと私を見ると「あなた、目の下のしわが目立って、おじいさんみたいよ」と楽しそうに言う。家内は人の不幸を喜ぶ性格ではない。だからすぐに「私が直してあげるよ。ちょっと待ってて」と言って、即効性があるというクリームを持ってきて、私の目の下に塗った。すると「ほら、鏡見てごらんよ」とニコニコしている。なるほど、しわが消えたような気がする。「毎日、塗ってあげるよ」と付け加えた。毎日こんなことをされたら高くつきそうだと思ったが、旦那を若々しくしておいてつれて歩こうという前向きな姿勢は充分評価に値すると思った。そして、この文章に添付する絵を探していたら、面白いのが見つかった。イラストの中にある「インディアンライン」は初めて聞く名称だった、おそらくネイティブアメリカンの顔の装飾から来た言葉だろうが、調べたらゴルゴ13にあやかって「ゴルゴライン」とも言うらしい。ネイティブアメリカンもデューク東郷も気の毒である。むはは。

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紹介の仕方

たぶん、初めて「英語で喧嘩できる先生です」と紹介された気がする。英会話の頂点は、たしかに喧嘩だろうと思う。しかし、実際に英語で喧嘩したことはない。もし言うとすれば「あんたに関係ないじゃん!」のIt's none(damn) of your business.とか、「本気で言ってるんですか?」のAre you serious? とか、「まじ?」のYou are kidding.くらいだろう。しかし、今日、私の話を聞く人は、そんな英語はわからないだろうと思ったので、軽くスルーして、本題に入った。講師の坊さん紹介としては、かなりインパクトのあったと思う。ありがたかった。むはは。

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そしてまた、何か、伝染するもの

緊張を和らげてさしあげようと「そんなに緊張したのは久しぶりでしょう」と申し上げたのだが、ほとんど効果はなかった。それくらい緊張していたのだ。昨日今日は、ご詠歌の研修所の卒業と進級検定、合わせてご詠歌の上級指導員の試験。その検定委員を勤めた。帰宅すると肩が凝っている。緊張は伝染することがわかった。むはは。私がそんな状態なのだから、試験を受けた人たちは、いまごろ放心状態だろう。ゆっくり休んでくださいと願った。

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本の「あとがき」は、いらないのではないか

昨日は高校時代の友人9人の新年会。午後3時から近所のお寿司屋さんで、そのあと酔っぱらいの父さんらしく、「ウチで飲み直そう」と全員を密蔵院へ強制連行。お開きは午後11時だったらしいから(私は覚えていないのだ。ぐはは)、合計8時間飲んでいたことになる。まったく酔っぱらいというのはバカである。家内は文句一つ言わずにいろいろつまみを出してくれた。まったく家内というのはアリガタイ。それでも、今日しか原稿に向かう時間がないので、本文をサンドイッチにする「まえがき」と「あとがき」を書いた。この「あとがき」というのは、実に不思議な項目だと思う。書くべきことは「まえがき」と本文で書いてしまったので、もう書くことがないのだ。しかし、編集者の意向だから仕方がない。変だと思いながらも、編集後記みたいなあとがきを書いた。うはは。

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「よう」の正体

三年連続になる深沢小学校での道徳地区公開講座。私もある意味でリピーターだが、参加者の保護者もリピーターが多いと聞いた。「去年もうかがったのですが、年に一回聞かないと、聞いたステキなことがどこかへ行ってちゃうんで、今日も来ました」とおっしゃってくれた方がいた。ありがたい。みなさん、私の『大丈夫だよ』と銘打った話を聞いて、機嫌よく帰ってくれたことを願いながら帰宅。で、機嫌つながりで、「ごきげんよう」の「よう」と、「おはよう」の「よう」は同じか?と思った。調べたら「ご機嫌よう」は「ご機嫌良く」が変化したもの。だから「よう」は「良く」の意である。我が意を得たりだ。一方「おはよう」は「お早く」が変化したものとしか出てこない。むむむ。期待外れである。しかし、英語、ドイツ語、スペイン語も、きっとフランス語のボンジュールも、「良い朝」の意だろうから、「おはよう」の「よう」も、きっと「良く」のナンチャラ変化だろうと、我田引水して決着をみた。ぐはは。ということで、今日はここまで。みなさん、ごきげんよう!あはは。

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