今年のベストワード。

「日の出を拝む人あれど、入(い)り日(夕日のこと)を見送る日はねぇ……これが世間の習(なら)わしなれど、あっしら渡世人はそれじゃ通るめぇ」

 かつては勢力もあった勘蔵という博打打ちの親分。三年前から寝たきり。子分もチビの大三郎を残して皆いなくなってしまった。

 その勘蔵の縄張りの中で、売り出しの渡世人、国定忠治が賭博を開く。
 忠治から何の挨拶もなく、したがって許しもしていない状況に、勘蔵は自分の力の無さを嘆き、大三郎に「俺の白髪首を叩き切ってくれ」と頼む。

 すると大三郎は「忠治の話は聞いているが、聞けばなかなか評判のいい男。堅気の人には自分から頭を下げて道を通るくらいの人だ。きっと何かの沙汰があるでしょう。当日までに何の挨拶もなければアッシが乗り込みまさぁ」と親分をなだめる。

 しかして、当日。忠治からは何の哀切もない。そこで大三郎は忠治の博打場へ単身乗り込んで、忠治相手に、きった啖呵が冒頭の言葉(この後の話の展開も実にいいのですが、それは略)。

 いよいよ明日、この一年の納めの入り日。
 一年前に初日の出を拝んだ方々、明日の夕方はしっかり西の空に手をあわせましょうぜ。
 ※この内容は十一月にも書きましたが、明日に迫った大晦日。ここで今一度我が身に思い起こさせるために書きました。
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人の気も知らないで

 クリスマスが終わって、年末から新年へ……
 そんな年末にも亡くなる方はいます。
 今日は八十三歳になる叔母のお通夜で、兄の代わりに私が拝みました。五十年程前にこの密蔵院の留守居を八年近くしてくれた叔母です。
 世間がロマンチックであろうが、忙しかろうが、おめでたかろうが、そんなことにはお構いなしに、悲しいことは起こります。切ないことが起こります。

 そんな時、ワガママで自己優先的な人は、浮足立っている周囲の様子に
「私みたいな思いをしている人がいるのも知らないで……」
と世間を恨めしく思ったりします。

 こういう方は、物事を比べ過ぎです。比べても意味はありません。モヤモヤが解消するわけでもありません。

 だれかが悲しんでいる時にも、切ない時にも、子どもが誕生し、愛する者同士の語り合いがある……

 世の中はそういうものです。それでいいし、それ以外に無いでしょう。

 比べずに、悲しみ、そして、喜ぶ。

 東京はすっかり車が少なくなりました。
 年の瀬の雨の夜……。
 いい時間が流れている密蔵院です。
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仏教語の「知識」

仏教語の「知識」の意味は……
①サンスクリット語でミトラ(mitra)で、友だち・朋友のこと。
②「善知識」の略で、教えを説いて仏道に導く高僧のこと。

 この②の意味は、昭和の初めまの頃までは講談や落語、歌舞伎、浄瑠璃や浪曲にも普通に登場し、聞いた人は誰でも分かる言葉だったはずである。

 その証拠に、浪曲の広沢虎造の『清水の次郎長』の中で、次郎長に情けある言葉をかけてもらった人がこう言う場面がある。

「清水の貸元。名僧、知識の引導よりも、その一言(ひとこと)がありがたい」

 こんな言葉をいまどき言う人はいないと思うでしょう?でも、いるんです。
東京江戸川区の鹿骨の密蔵院というお寺に一人……。

 言われた方はビックリするようですが、ただ「ありがたい言葉をいただきました」と言うより、ずっと会話に広がりが出ます。

 T.P.Oを考慮して、やってみてはどうでしょう。

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札幌?

「札幌?」と思った。

今日の夕方電話。
「札幌のFM放送の者ですが、住職の名取芳彦さんいらっしゃいますか?」
「(札幌?どうして、札幌?と思いつつ)はい、私ですが……」
「リスナーの方から『三日坊主』について質問かあって、ネットで調べたらご住職の「言いたい放題」の198話にたどり着いて、とても参考になったのでお電話したのですが……」

 日本テンプルヴァンのホームページ上の「名取芳彦のちょっといい話」に『三日坊主』について書いたのは、もう一年前のことである。
 
 そのように辿ってきてくれるのは、単純に嬉しいことであることよ。

「ちょっといい話」版の
『三日坊主』はこちら→http://www.jtvan.co.jp/howa/Natori2/houwa198.html
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小さなヘビが……

「仏の顔も三度まで」ということで、「なぞなぞも三度まで」お許しを。
 これまた、小学生らしい、そして、恐れ入りました┏〇"┓と笑ってしまうものをご紹介。

「小さなヘビが近づいて来た時、牛がそれをよけた。このヘビに毒はあるか?」

答え 「ある。猛毒」

 この答えの書き方はただ者でない。
 必要なことを短い言葉で最も効果的に言い切っているのだ。「小さなヘビ」も答えにはなんの繋がりもない。ヒッカケと、ヘビと牛の大きさの対比をより鮮明にするのに、大切な要素である。

 後からジワーッと愉快になり、再び┏〇"┓したくなる。こういう会話を3日に一回できるようになるには、かなり周囲に心のアンテナを張っていないと無理である。
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きれいなナゾナゾその4。

ただいま24年続いている望年会から帰ってきたところ。
友人たち、9家族が一同に会する集いです。
所は上野の東天紅。
で、私はゲーム担当。

昨日に続いて、ゲーム担当の私がピックアップした、小学生が考えたなそなぞの中から、イチオシのものを一つご紹介します。

☆ 一人しか乗れないけど、乗ると二人になる車ってな~に?

答え 肩車

私はいまだかつて、こんなに綺麗ななぞなぞに出会ったことはありませんでした。

肩車してもらって、「これって、一人しか乗れないけど、乗ると二人になるんだね」って気がつける感性を、私は、切に、持ちたい……。90キロの私を肩車してくれる人はいませんがね……。わははははは。
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すごいぞ、子どもなぞなぞ。

この時期はやはり望年会やらパーティが多くなります。
お坊さんとて例外ではありません。
で、私は勝手にクイズコーナーを担当。
そのために、毎年クイズを集めます。
明日の会(十九人参加)は子どもたちも来るので、
ヤフーのクイズで検索したクイズの中から「これは!」と思うものをピックアップ。
名作揃いのため二時間近くも履歴を探しつつ大笑いしました。
http://contents.kids.yahoo.co.jp/quiz/
まさに、観自在菩薩さながらの発想です。
そのうち、私の選んだ傑作ベスト3をここで出題(ほんとうはもっとあります)。

①カミナリのパパは、ふだん家で何をしているか?

②怒っている人は頭をどっちに向けて寝るのだろう?

③誰にも教わらないのに世界中の言葉を話すのは?

答え
①ごろごろしている。ワハハハハハハ。
②「あったま、きたっ!」ぎゃははははは。
③やまびこ。なんときれいな「なぞなぞ」でしょう。 
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一月聲明ライブ

来年1月の聲明ライブは、
1月7日(月)に決定。

一緒にやってくれるのはわざわざ座間と大磯からかけつけてくれる、元気な3人組バンド『輪』!
4年前のデザインフェスタで私がブースを出していた時(称して「フリマ布教」)で知り合った面々です。

今月の25日に新店舗になるサウンド・ミュージック・バー「チピー」の新年の口開けライブです。

http://www.chippy.jp/

僧侶がライブハウスで節付きお経のライブをやることに、幾多のご批判はもとより承知の上ですが、批判される方は、まあ一度、心をオープンにして(先入観抜きで)おいでください。

今日は檀家の方のお葬式。出棺の時間に、天も悲しんだ「涙雨(なみだあめ)」になりました。「涙雨」……麗しい日本語です。
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何度でも同じこと

 お正月に向けて植木屋さんが入ってくれた。
 三日間で、境内の木々はこざっぱりとなり、清々しい。

 手入れされた木を見ると、どうしてこんなにバランス良く枝を整えられるのだろうと、植木屋さんの仕事に感心する。

 そう言えば、15年も前に同じことを思って、立ち寄った本屋さんで『植木の手入れの仕方』という図解入りの本を買ったことを思い出した。パラリと見ただけで本棚にしまったら、なんのこたぁない、この十五年ぜんぜん見ていない。

 やはり植木の手入れはプロに任せたほうがよさそうだから、あの本は捨てようと思って、先ほど本棚をさがしたが見当たらない……

 そう言えば、二年前に本棚を整理していて「やはり植木の手入れはプロに任せたほうがいいから、この本はもう見ないだろう」と、捨てたのを忘れていた。

 なんだか、私は同じことを何度も繰り返しているようである。

 こりゃ楽しいワイ。
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作家だからね

「作家だからね」を関西弁で言うと、
「作家やけん」となるだろうか。

この「作家」は(さっけ・さくけ・さっか)という読みがある。仏教語辞典によると「詩文をよくする者。唐の時代の言葉」だそうだ。(そけ)と読むと「卓越した力量のある禅僧」という意味になるらしい(私は禅僧ではないのでよくわかりませんが……)

 さて、「作家やけん…」と同じ読み、つまり「さっかやけん」という仏教語がある。「薩迦耶見」である。
「薩迦耶」+「見」の合成語だ。
 [サッカッーヤーの見方]という意味で……と言ったところで、この「サッカーヤー」というサンスクリット語が分からないと、意味不明だ。

 で仏教語辞典にお世話になる。
曰く、
[薩迦耶見]
「私たちは物質としての肉体と、感覚器官や(脳への)伝達器官、認識作用、判断という5つの要素が、仮に集まったものなのに、それが一つの実体であるかのように考えて、さらにそのうちに真実があると執着(しゅうぢゃく)する見解」
 なのだそうだ。

--般若心経では、「五蘊皆空」という言葉で「誤った見解だわい」とされている内容である。

 まあ、こんな言葉があるのだなと覚えておくのも悪くない。
「あの人文章うまいな」
「ああ、その筈や。作家やけん」
--などという会話をした時に(誰が、いつするんじゃ?)思い出してみてください。



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