小学校以来の「イッ、テーッ!」

その滑り台を滑るには、螺旋状の階段を登らなければならなかった。犬が先に登って行った。引っ張られて私が続いた。一段目までは頭上に滑り台を支えている鉄の板があるので、頭を低くしなければならない。ところが、これをやったのは夜だから、自分を覆っている鉄板の影と闇の区別がつかず、頭上の鉄板を抜け出す30センチ手前で大きく頭をあげた。そのとたんに頭を抱えてうずくまった。「イッ、テー-ッ!」。幸い打撲で済んだようだが、帰宅して20分たつのにまだ痛い。小学校以来の懐かしくも、そそっかしさが原因の痛さである。上の歯がすべて2ミリほどずり落ちた気がするのは、加齢のためだろう。一緒に散歩に行った家内が、犬の注意をひこうと、滑り台に隠れさえしなければ、こんなことにはならなかったのに。※写真は同型の遊具です。

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必要性を探す人

「どうして、そんなことしなくちゃいけないの?何の必要があるの?」

「いや、生活の多くは、必要がどうかで決めてるんじゃないさ」

「だって、生きるのに必要だから食事をするでしょ」

「食事は生きるのに必要だけど、何を食べるかは必要とか必要じゃないとかで決めてないってことだよ」

「どういうこと?」

「朝食で納豆を食べる必要性なんてないだろ。食べたいから納豆を食べるんだ。寒いから服を着る必要はあるけど、どんな服を着るかは必要性の問題じゃなく、これを着たいと思うからさ。やりたいから、やる、それだけでもいいんじゃないか?」

「もう、あなたと話をする必要性を感じません」

「あははは。私はあなたと、もっと話しをしていた~い」

自分の意にそぐわないことをやれと命じられたり、他人がやろうとすると「必要性」を探す几帳面な人がいます。大変だろうなと思います。

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忙しいのにやっているのではなく・・・

ポスターを半分に切った紙の裏に、昨日描いた57人のお地蔵さま。アブちゃんに色を入れて今日まで乾かした。参列縦隊で「左向け~左!」をした形である。「写仏の庭」の夜の参加者が「住職さん、忙しいのに良くやりますね」と一言。「こういうことをしているから忙しいのです」と正直には答えられず、「楽しいですからね」とだけ答えた。ぎゃはははは。お寺はアトリエの機能も兼ね備えている。全国の住職がいないお寺を芸術家のアトリエとして斡旋してくれる業者は・・・今のところニャイ。あはははは。少なくとも、荒れ寺になることはなかろうと思うのだが。

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私の宝物

今日の密蔵院の「写仏の庭」のお手本は、宝処菩薩という聞き慣れない仏さま。宝を生み出す仏さまの意だが、さて自分にとっての宝物はなんだろうと考えた。家族、仏教、時間、命・・・結構あることに気づく。私はこれらの宝を持っていることになるのだが、簡単に宝物になったわけではない。たくさんの縁と、努力、感性などが私にとっての宝物たらしめている--そういうことを考えないと、人生は豊かにならないよ、心が穏やかにならないからねと諭してくれている仏さまなのだと思う。

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「今年も一年、よろしくお願いします」の「一年」を削除する。

ご詠歌を終えて、明日の「写仏の庭」の会場作りをしながら思った。今日のご詠歌は今年初めてのお稽古なので「今年も一年よろしくお願いします」と言いかけたのだが、メンバーを改めて見て「今年もよろしくお願いします」に変えた。「一年」を言わなかったのだ。平均年齢はゆうに80歳を越えている方々であれば、無事に今年の12月までおつきあいできる保障はないからである。もちろん、私が12月まで元気でいられる保障もない。仏者がよく言う「一瞬一瞬を精一杯生きる」というのはそういうことだ。 

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二人だけの秘密

「法話の辻」にご参加の方々、ありがとうございました。予定より90分オーバー。お酒のせいでございます。うははは。で、今、家内と犬の散歩で出て、帰宅すると玄関前で家内が犬に「ネコタイジする?」と聞きました。我が家ではそんな符丁はないのですが、その言葉を聞いたとたんに犬の表情が一変。家内に聞くと、ちょうど野良猫が境内ウンチをしに来る刻限だそうで、その猫を追い払うのを無上の喜びにしているのが、わが家の犬なのだそうです。家族間でも打てば響くような会話が少ないのに、家内と犬だけに通じる言語があるのだなと、微笑ましく思いました。

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鏡的他人

明日は、午後4時から『法話の辻』です。坊さんの話を聞いて、一緒に飲んでもいいかなと思われる方は、是非どうぞ。参加費は「お賽銭方式」です。

さて、自分が他人に対して「こういうのって、なんだかなぁ・・」と呆れ、若干の嫌悪感を感じる時、私は「それは自分の中の嫌な部分を見せつけられているのかもしれない」と思うことが、よくある。この一週間くらいで、自分のことばかり話す方と連続してお会いしている。あらためて、今晩犬の散歩をしながら思った。「鏡で私の姿を鏡で見せてくれて、『あなたも気をつけなさい』と言われているのかもしれない」と。こうすると、相手への若干の嫌悪感も薄まるし、自分の心磨きにもなるだろう。

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北風と一円玉

今日の東京の天気は、多くの日本人が抱くイスラム国のやり方への冷たい怒りのように強い北風が吹いている。お墓の塔婆がガタガタ鳴りっぱなしである。異国への関心の緊張の糸がふと緩んだ時、「こんなに強い北風では、軽い一円玉の北風小僧は、東京湾まで飛ばされて、旅どころじゃないな・・・」と思って、ハテ?と思った。一円玉の旅がらすと北風小僧は別人のような気がするのだが、私の頭の中ではほぼ同じ人になっている。年を取ることによるこうした脳の変化は愉快である。

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『気にしない練習』発売から一ヶ月

発売から二週間で増刷が決まった『気にしない練習』の筆者献本が今日、届きまして。そうしたら、さっき三笠書房の担当編集者からメールで「今日、三刷が決まりました」とのこと。一か月で3刷とは・・・。仏教的思考で心おだやかに生きていただきたいと、どうすれば気にならなくなるのかについての百項目--寝る間を惜しんで書いた甲斐があるというものでございます。筆者として、あつく御礼申し上げます。

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何かアマガエルと関係があるのかもしれない

今日の江戸川区はシトシト雨。どういうわけで、私はこういう雨が好きなのか、いくら感性を働かせても思い当たるふしがない。私の前世はアマガエルだったのかもしれない・・・と、今日は思考をそこまでで停止した。

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