マニュキュアと坊主

何年も前に百均でマニュキュアを買った。段ボール地蔵を描くのに、表面がツルツルの紙は顔料インクが載らないものがあるが、このマニュキュアなら塗れる(写真)。混入されているラメは不要だが、ご愛嬌だと思いあきらめている。自分の爪を塗ってみたくなる衝動を抑えるのもタイヘンだが、そんなことをすれば家内や娘から「バカ坊主」の誹(そしり)りはまぬがれないから、これもあきらめている。「間違えて、ちょっとついちゃった・・・」くらいなら大丈夫だろうか。ぐはは。

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「優しさ」で攪拌

いただいたカタログギフトの梱包箱を見たら「このパッケージには、広島平和記念公園に贈られた折り鶴を配合した紙を使用しています」と書いてあった。さまざまな色のツブツブがあるのはそのためだ。「原爆犠牲者への供養」と「平和への祈り」の折り鶴を、「優しさ」で攪拌して作られた紙。手にしたら心が静かになった。--この紙も「段ボール地蔵」に使います。

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パイづくし

密蔵院HP内のギャラリーの中で気になる言葉があったら、その実物を描いている動画が見られる--そのために、新しい「言いたい放題地蔵」を、動画を撮りながら20枚書いた。今日はその20動画を編集してyou-tubeにアップした(「公開」にしてあるのでご覧になることはできます)。慣れないことをしたので疲れた。さしずめ・・・三拝・九拝・産業スパイ、分配・酸っぱい・レモンパイ、も一つおまけにポパイ・返杯・疲労困憊というところだ。ぐはは。

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首がネック

密蔵院のHPができて10年以上。久しぶりにサイト内のコンテンツをのぞいて「グブッ!」となったのは、「壁紙」と「言いたい放題写仏」に使われているお地蔵さまのお姿(写真)。これを見た長男は、私を傷つけないように「首にまいているのが、アブちゃんというよりマフラーだね」とうまく逃げた。当時のお地蔵さまは二頭身半であまり可愛くない(現在はほぼ二頭身。写真)。おまけに首がない--これこそ密蔵院HP最大のネックである。ぎゃはは。密蔵院HPの専属担当者のSさんに相談した結果、「壁紙」コンテンツは時代が変わったので削除、「言いたい放題写仏」あらため「言いたい放題地蔵」は書きなおすことにした。おまけに「せっかくyoutubeに描いているところをアップしていらっしゃるのですから、コンテンツ内で関連づけたほうが面白いと思いますよ」と坊主心をくすぐる提案をしてくれた。そこで、新しくアップする「言いたい放題地蔵」のうち半数を録画しながら描いた。動画の出来はいいとは言えないが、録画しているという緊張感の中、筆を動かすのは楽しかった。うはは。

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妙案

当番制ランチの順序が少しイレギュラーになったので、名乗りを上げた。「なーんだ、美味しいBLTって、結構簡単にできるんだな」と思った(写真はかなり実物に近いイメージです)。昼食の後片付けをすませて(つまり、テーブルの上にも、調理台にも、流しにも何一つなった状態にしてから)、白衣と襦袢の衣替えを挙行。押入れの天袋にある重い衣装ケースを上げ下げできる筋力はいつまであるのだろうと不安になったが、「私が上まで持ちあげられなくなったら、衣装ケースを持っている私ごと家内に持ちあげてもらえばいい」とわかって、すぐに不安は解消した。あはは。

 

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主役脇役、脇役主役・・・

忘れないように資源ゴミの日にお送りすることにした法話動画、今日は二回目。まだレンズを見て話せません。ぐはは。さっき録画を終えて編集作業に入ろうとしたら、家内がニコニコしながら住職室に入って来て、「あははは。聞いてたわよ。で、どこで、どんな洋服を買ってくれるの?」だって。あはは。違うよ。私の服を買おうという話だ。動画は⇒https://youtu.be/_s82lUsPyIo

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「この先、行き止まり」

お昼当番なので「ざるそば」にしようと思ったが、肝心のそばが傍(そば)にない。そこで家内のストレス発散を兼ねて誘い、買い物に行った。帰りに風邪気味の娘(三カ月我が家にいる)を心配して「三カ月も仕事が休みでかわいそう」と言う。私も可哀相だと思うが、自力でなんとかしてもらうしかない。そこで、家内の今後のためにも言った。「悶々とするのは仏教では一つの苦。苦はすべからく(こんな言葉は会話では使わないが文章だから若干の脚色はご容赦いただきたい。で、苦というのは)自分の都合通りにならないから感じる。悶々とであろうとイライラであろうと、苦を感じたら、まずやることは『現状が自分の努力で都合通りになるかどうかを見極めること』だ。会社が休みなのは一社員の娘の都合ではどうにもならない。だから、思考を停止して諦めるしかない。いくら考えても「この先行き止まり」になるからだ。そして、自分の努力で都合が叶いそうなことがあるなら、叶うように努力すればいい。実際娘は会社が始まった時のためにトレーニングの勉強している」--というようなことを言った。家内は「そりゃそうだけど」と煮え切らない様子。ぐはは。しかし、私は苦を感じたら、そのシンプルな手順で苦を除いていくことに少なからず成功している。今日は本の原稿を編集のYさんに送ったので、昼食の後片付けをしたらやることがなくなった。「ぐへっ!何をしよう」と小さな苦が生じたので、自分の努力でできる7月分の写仏の手本を描いた。あとは夕飯の鶏の手羽先のカラアゲを作って食べれば、お酒の力も手伝って、今日はもう苦は生れない予定である。どはは。

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君は手作り味噌なみの量のホワイトソースを見たことがあるか

新たに書いた原稿24項目の校正をしたのが15日、雑誌に掲載された24項目を加えた48項目を校正したのが19日、そして今日48項目の二回目の校正を終えた。どうにか読めるレベルになった。138枚あるから、本にすれば倍の280ページ分だ。気分を切り換えて、校正箇所をデータに反映させて編集者に送るのは明日にした。昨日の手羽元のコーラ煮に続いて、今日は海老マカロニグラタン作りをしようと決めたからである。数年前に作った時は、手作り味噌なみの膨大な量のホワイトソースができてしまって困惑した記憶がある。今日は家内にお目付役を頼もうと思う。

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澱の沈殿作用

塔婆を書いたり、原稿を直したり、それぞれ一気にやれば2~3日で終わるものを小分けにしてやっている。そのせいか、ちょっと心がざわついている気がした。そこで、井上球二さん作の「童ぼとけ(残念ながら絶版?)」シリーズの中から弥勒菩薩を、青のぼかしが入り、金箔が散っている和紙に写仏した(30分かかった)。「どうしたら、人びとを心おだやかな境地に引っぱっていけるだろう」と、この先50億年以上も考えていると言われる仏で、50億年後に、お釈迦さま以来、久しぶりに成仏する(如来になる)と約束された人物だ(だから、まだ菩薩)。写仏の原画の中には、仏が台座の上の蓮に座っているものがある。私は台座は要らないと思っている。台座があると、仏ではなく、仏像になってしまうのだ。仏を描くのであって、仏像を描くわけではない。ところが、この弥勒菩薩だけは、もともとスツールに腰掛けて膝を組み、頬づえをついている。台座がスツールになっているので何の違和感もない。30分の写仏だったが、心の中に浮遊していた澱が沈殿したように、さっぱりした気分になった。

 

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ジゾブル

カメラ付きパソコンがあるのは、中庭に面した一畳ほどの細長いスペース。オンラインの会議や飲み会はここでやる。ところが背後が物入れのなんの変哲もない扉。これを見せたくないから、細長い背景を、また作った。百均で買った和紙が二枚、あてどもなくしまってあったから、そこにお地蔵雑さまを切り抜いて貼った(切り絵芸人の気分を味わえた)。これを見た長男は「お地蔵さまがスヌーピーなら、完全にパジャマ柄だね」と呆れ、家内は「ぅわっ!『ウォーリーを探せ』みたい。この中に何か別のものが隠れているの?」と興味津々である。名取家の家内安全のために、家内のアイデアを採用してヨーダを足した(フォースの力を使って見つけられたら今日のあなたは大吉です)。アップで撮ろうとすると、泡みたいだ。地蔵のバブルで「ジゾブル」である。ぎゃはは。ちなみに「『バブル地蔵』でもいいではないか」と思った人は、ネーミングの才能がまだ開花していないようです。ばんばりましょう。あはは。

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