花山の思い二十三番 勝尾寺(かつおうじ)

 重くとも罪には法(のり)の勝尾寺(かつおでら)
                仏を頼む身こそ安けれ

 被害者や社会にたいしては、償いきれぬ重い罪はある。否どんな些細な罪でも、被害者に対して犯した罪が消えることはない。刑務所から出所したところで、それは誰誰とも言えぬ「ナノモノカ」が、いちおうこれでいいですと言っているにすぎない。

 しかし、だからと言って、一度罪を犯したらどうしようもないかと言えば、そうではない。

 罪を犯した自分自身が、その罪をどのように活かして、自分自身という宝石を磨いていくかで、罪の意識に苛まれた心が、イキイキとした開放へと向かっていくことがある。

 心の中の問題だから、世間が「お前は許さん」と言おうが、被害者が「そんなことで許してたまるか」と言っても、仕方がない。

 外側に向かう解放感ではなく、内側に向かう無限の解放感というものもあるのである。

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「昔昔、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。お婆さんは川に洗濯に、おじいさんは山にシバカリにでかけました」
――さて、問題。この場合の「シバカリ」とは、いったいどんな意味でしょう。

 私はずっと、「昔話なのに、芝生が植えてある山に何を好き好んでいくのだろう」と、ずっとわけがわからなかったうちの一人の……五十一歳のオジサンであります。
 ぎゃははは。
 今日の浪曲で最初に登場した東家一太郎さんの「田三郎物語」が冒頭のセリフではじまったので、思い出した由無(よしな)し言(ごと)であります。

 明日は14時から15時30分までの90分。密蔵院本堂で「ご詠歌コンサート」です。入場灯明料1000円となります。ふるってお出かけください。合掌
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