つい考えてしまう歩行者専用道路標識

何となく気持ちが満たされないと感じたら、あるがままを見、聞いて、余計なことは考えずに散歩をするといいという内容の原稿を書き終えたので、そのつもりになって一時間の散歩に出た。ところが、帰り道で歩行者用道路の標識を見たらつい考えてしまった。どう見ても上手な絵ではない。ネットで調べたらこの図案は「女の子が誘拐されそうになっているのを知らないで撮った写真が元になっている」という都市伝説があると知った。もちろん出鱈目だが、それにしてもこの図案はユニークだ。この標識があったら、一度まじまじとごらんになられることをお勧めする。もし、夜の歩行者専用道路を歩いていて、遠くからこのシルエットの二人が近づいてきたら、私は叫び声をあげて逃げ、三日三晩熱に浮かされるだろう。

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熨斗袋の罠

熨斗袋を買うと、御祝や寿などが上部に印刷されている紙がついてくる。上手な字が書けない私のような人は、ありがたいと思うかもしれないが、これは罠である。上に上手な字があって、下の字が下手だと尚のこと下手に見えるのだ。上も下も自分で書けば(たとえ丸文字でも)、それなりにまとまって見えるものだ。お祝いごとが多くなるこの時期に、毎回自分の字で書けばそれを充分わかっていただけると思うし、「字を書くのイヤダな」と生涯思わなくてすみます。

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敬意と祝意

下の写真のキャプションにこうある--タイのパダウン族の三人の女性は、近衛兵と白黒つけるのをやめることにした。--あはは。似ても非なのものを、無理に決着させなくてもいいのだ。それぞれが敬意をもって接すれば、それでいい。明日は檀家のお嬢さんのお友達の結婚披露宴で一言しゃべることになっている。依頼を受けたとき「どうして俺がしゃべるんだ」と文句を言ったら「いいじゃん。やってよ」とアッケラカンと笑顔で言われた。「・・・わかったよ。やらせてもらうよ。でも、祝辞じゃなく、余興枠にしてくれ」と答えた。司会者は私と新婦との関係を説明するのに一苦労するだろうが、来賓の方々はなお、わけがわからないだろう。まあ、飲み仲間として、気取らずに祝意を込めて挨拶すれば、それでいいと思う。

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歯ぎしり

先生たちのご詠歌のブラッシュアップ講座を終えて、昨日読んだ本の中で付箋をした文章をパソコンに転記した。--「山岡どの、お裃(かみしも)のご紋が少しかたよって見えまする」と言えば「それはかたじけない」と相手も素直に直すが、もし「ときに、山岡どの。そなたの心得違いは目に余る。ちと、心を正直にお持ちなされ。心のゆがみが裃の着方にも出て、ご紋がかたよって、はなはだ見苦しゅうござる」と言えば、相手は刀にそり打って、鍔を打ち鳴らし、たちまちに刃傷におよぶでありましょう。『心学 道話全集』一巻--である。この部分を読んで、私はつくづぐ刃傷ざたに及ぶような言い方をしているのに気づいたのである。この場を借りて、簡単ではあるが、無礼を申し上げ歯ぎしりされた方々、そしてこれから私が無礼を働き歯ぎしりされるであろう方々にお詫び申し上げる次第でござる。※写真のキャプションにはこうある--3歳のグラント君はこの職人さんがどうしてギリギリと歯ぎしりをしているかわからない。

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動かない鳥を撃ってはいけません

写真のキャプションにこうある。「カンサスでは、動いていないカモを撃ってはいけないという法律がある。よって、このカモができることはハンターが帰るまで、じっとしていることなのだ」--日本では「雉も鳴かずば撃たれまい」にあたるだろう。私も動きすぎ、鳴きすぎのところがある、ちったぁ(少しはの意)、気をつけようかしら。うはは。

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クソババアと呼ばれたら。

今日の法事の後座で、私の隣に座ったおばあちゃんが、斜め前に座る30歳代の孫息子のことを「この子ったら、この間、私のことを『クソババア』って言ったんですよ」と私は言いつけた。私に孫を叱ってもらいたかったのだろうが、言いつけた相手が悪かった。私は言った。「鹿骨(ししぼね)の婆さんが、そのくらいのことでへこたれちゃだめですよ。『そうよ。私はクソババアよ。でもね、クソはクソでも、私はナニクソのクソババアだからね。覚悟しておきなさい』くらいは言わないとね」と励ました。世に言う「クソ~」は、ナニクソという頑張り根性を表す接頭語なのだ。あはは。※添付した写真にはこんな説明書きがある。「107歳のノクリスチーヌと曾孫のリチャード。4世代離れると、このくらいの相手のことをいぶかしがるのである」。

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愚の骨頂

宗派の養成所の授業(「法話の作り方」)を終えて帰宅すると、台所のテーブルの位置が90度変わっていた。「このほうがテレビを正面で観られる」は家内の弁である。しかし、我が家は今、5人家族が3人家族になった。だから、「これじゃ残った1人がテレビに背を向けることになるではないか」と素朴な疑問を呈すると、「あなたは犬の前に椅子一つ移動させて、斜め右を向いてテレビを観ればいいのよ」と、すでに結論が出ていることをとやかく言うなという雰囲気。大した問題ではなさそうなので「そうだな・・・」と答えた。ご同輩の方々。世の中のできごとは、だいたいこのように大した問題ではない。したがって、大騒ぎするのは愚の骨頂である。

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読み方十色

世間には、びっくりするような本の読み方をしている人がいるらしい。昨日、拙著『気にしない練習』が大学入試の小論文の問題に使われたので今後の過去問配布のために使用許可を求める連絡があった。大学入試に『気にしない練習』?。つまり、国語や小論文の設問に使えないかを意識して私ごときの本を読んでいる人がいるのだ。新たな展開で使ってくださって嬉しいけれど、内容に没頭できないという点で気の毒な読み方だと思った。

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身のほど、身の丈

10年以上お世話になったお寺のご詠歌も今晩が最後。私が教えにいくのが最後なのではない、ご詠歌のクラス自体が今日で終わるのだ。何かを始め、やり続けることには、それなりの力があるが、それに疲れを感じたら潔くオシマイにするのはとても大切。小さくなったポケット(体力や気力)に無理やり大きな蛙を押しこまなくてもいい。小さなポケットに入るものは、他にもまだたくさんあるのだから。

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簡にして瞭

佼成出版のダーナネットの書評のコーナーで、『1分で悟り』をとり上げていただいた。とても好意的に書評いただいて、嬉しい。書評をする人の文章は簡潔にして明瞭。私には書けない文章だ。手前味噌だが、引用させていただく。https://www.dananet.jp/?p=5168

著者は真言宗僧侶である。

難しいと一般に考えられている仏教の教理を、これほどやさしく噛み砕いて伝えられる人も少ないだろう。

空、縁起、無常、無我、四苦八苦といった仏教用語の基礎知識を生活の中におとし入れ、見開き2ページで上手に解説してゆく。仏教の基本的な用語など知らなくてもまったく問題ない。

本書では仏教の立場を、ある時はかけがえのない自分という存在に気付いてゆくことであったり、悟りで言えば、それはすべてを受け入れることだったり、といった魅力的な現代の言葉に置き換えて教えてくれる。

「どっしり」「きっぱり」「すっきり」「さっぱり」「にっこり」と、日常のなかの小さな悟りはそんな形で日々訪れるという。

話のよりどころは、真言宗の経典であったり、「般若心経」であったり、「華厳経」であったりとしっかりしたものだが、そんなことはおくびにも出さない。著者の解説を理解し、1分間、内省の時間をもつだけで、小さな悟り完成へと導かれるように本書はできている。

気になるリード文のところを気軽に読んでみる。解説文はとりあえず読まずに「1分間悟りレシピ」を試してみる。どんな読み方でもできそうだ。

たかが1分、されど1分。この短い時間に包括された真理への道は考えるよりも優しく身近なものだった。(ワニブックス。1600円+税。2018年4月1日発行)

 

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