永代供養廟が完成しました。

明日は密蔵院の二大行事のお施餓鬼。この日に合わせて、永代供養廟が完成。慈悲の光にの包まれてという意味で「慈光廟」と名付けた。その正面にまつられた観音さまのお顔がじつに素敵である。

「自分でも入りたい永代供養墓を」と考えて打ち合わせを重ねた。供養塔でもなく、供養堂でもなく、お墓(廟)にしたかった。お骨が置かれている場所ではなく、納まっている場所というニュアンスを託すには「廟」しかなかった。最終責任は副住職に任せた。ぐははは。この廟を守っていくのは私の世代ではないと考えたからだ。

永代供養料をどのくらいに設定するのかは、まだ決まっていない・・・。

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「蛙の子は蛙」の正解率

出版物で引用を注意しないといけないのは金子さんと、相田さんとウォルトさんらしい。過去何度も、「許可を取るのが大変なので、できれば別の例えでお願いします」と言われた経験がある。私の常識の無さゆえである。著作権は大切なのだ。

今回も備忘録の時点では「メロンになりたいトマト的展開」とメモっておいたが、そうはいかないのだ。別の例えを考えて三日間がすぎた。あはははは。しかし、三日熟成されると思わぬ展開があるもので、「蛙の子は蛙的展開」に方向を変えた。世の中には「蛙の子は蛙」だとあきらめている人がどのくらいいるのだろう・・・・。皆さんには、蛙がどう展開されて一項目になるのかわからないだろうけれど、それは8月の新刊をお読みいただいてのお楽しみである。うはははは(6月22日の大杉小学校の道徳公開講座では、先行してご披露もうしあげます。大杉小のPTAならびに関係者の皆さま、お楽しみに)。

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鶏口牛後

「鶏口(けいこう)となるも、牛後(ぎゅうご)となるなかれ」を、私は、なんとなく映像で記憶していた。ニワトリの頭の部分、特に花の鶏頭に似ているぶにょぶにょしているトサカと、ユラユラ振れている牛の尻尾である。だから、いつの間にか、このことわざを「鶏頭(けいとう)となるも、牛尾(ぎゅうび)となるなかれ」と思っていた。わはははは。

「ニワトリの口(小さな集団の長)になっても、牛のお尻(大きな組織の末端)になってはいけない」という「鶏口牛後」のことわざは、ビジネスシーンではよく使われるだろうが、牛の尻尾でもいいではないかと思う。尻尾だって、それなりに役割を果たしていて立派である。

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明日は「法話の辻」。16時から18時です。

 95作品ラインアップというブログを書いて、本の原稿を書いていて途中で詰まって、飲み物を作りに台所へ行って、何気なくカレンダーを見て驚いた!

 明日は奇数月最終日曜日。そうだ。16時から、本堂で「法話の辻(法話の会)」ではないか! あはははは。全然記憶から跳んでいた。・・・・・・ということで、明日は16時から、皆さんの生活と仏教の交差点「法話の辻」でございます。60分本堂で過ごしてから、客殿で60分の茶話会(アルコール付き)です。お時間のある方はどうぞ。予約不要。会費はお帰りのお賽銭方式なので、勝手気ままで結構です。

 

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久しぶりの95作品ラインアップ。

欠番が30枚ほどあった密蔵院の廊下に展示してある「言いたい放題地蔵」が、今日95枚、ラインアップ。3か月ぶりくらいではなかろうか。自分で描いておきながら、壮観でございます。

 

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聲明ライブ、今宵が最終回。

11年半、月に一度続けてきた聲明ライブin CHIPPYも、今日のライブでいったん終了。

音楽としてお経を聞いてもらって、少しでも仏教に興味を持っていただきたい、少しでも仏教への興味を深めていただきたいという使命を、これで果たせたとは思っていない。きっと、後に続く人たちが色々な場所で展開してくれることだろうと思う。「お坊さんが変わったことをやっている」と、日本はもとより世界のほとんどのメディアから取材を受けた11年だった。私はとしては「檀家離れをくい止めたい」なんて理由でやっていたわけではない。単に、都市部の若者は親の実家の法事にも呼ばれないから仏教に接する機会がないし、学校で仏教的な思考を教わるわけでもないので、表面的な思考ばかりするうよになって、悩みが増えているから何とかしたいという思いだけだった。こういう単純さが長続きする理由だと思う。

この間、たくさんのミュージシャンに助けてもらいました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。まだまだやりたいこと、やるべきことが残っているので、これからは、そちらに力を注いでいきたいと思います。

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トランプの「神経衰弱」を英語で何と言うか。

仕事に疲れると、別の仕事をして気分転換をする。本の原稿に疲れると、塔婆を書く。塔婆で疲れると、雑誌の秋号の校正をする。校正に疲れると占いサイトの原稿を書く。それに疲れると、本用の資料を読む--そんな日々が続いている。どういうわけだかわからないが、トランプの「神経衰弱」のような毎日だなと思った。

で、このトランプゲームは英語ではなんと言うのだろうと調べてみたら・・・あはははは。面白--い!英語では、CONCENTRATION(コンセントレーション)というゲーム名なのだ。つまり、「集中」である。つまり、ここのところ、私は集中していろいろなことをやっているのだなと納得した。良いことである。あはははは。こうして、数分間の自己憐憫に終止符が打たれた。

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カラスにとってぱさぱさとにちゃにちゃ

 歩道に面した閻魔さまの前にある水鉢の中に、昨日はゆで卵がグチャグチャになって入っていた。今日は中華麺の麺が一玉入っていた。どちらも、密蔵院の境内の巣にくいるカラスのシワザである。食べようと思ったら人がきたので、途中で諦めたらしい。彼らにとって、ゆで卵の黄身はパサパサで、水なしではとても食べられないのだろう。同様に、中華麺はニチャニチャしていて、やはり水なしでは食べられないらしい。私たちだって、茹たまごや、中華麺をそのまま食べれば水が必要だ。喉が人間より細いカラスなら、ことはより深刻だろう。

しかし、ゆで卵の翌日に中華麺とは・・・、ラーメンの付け合わせをよく心得ておるわい。クワックワックワッ。

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適当に気を緩めなサイ

 月曜から今日までの五日間のうち四日間はご詠歌。なかの一日は法話。なかなえ充実した一週間だ。あい間あい間に原稿に向かい、通販で買ったビューティフルヴォイスのCD5枚組と、テレビや映画で使われたクラッシックのCD5枚組をi-podに音仕(落とし)込んで和らいだ気持ちになったりしている。「適当に気を緩めなサイ」と自分で自分に言い聞かせている。ぐははは。

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店頭に。

店頭に並び初めた『3日間で驚くほど心が晴れる本』。見かけたらパラパラと読んでみてください。

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