その時のベストを形にしていく。

某出版社からの返事待ち。その間に、やれることをやっておこうと、「四国遍路」には欠かせない(と自分では思っている)書きかけの原稿に取りかかった。データを見たら、最初に書きはじめたのは平成11年になっていた。16年かけてまだ書き終わらない。久しぶりに読み返して、「ぅわっ!書き方が若い。こんな独りよがりの文章を書いて悦に入っていたのだな・・・」と苦笑い。きっと、今書いている原稿も数年後に読みかえしたら、同様の感慨にふけるのだろう。そんなことを繰り返している間に、この世とお別れ。その時、その時のベストを形に残していれば、悔いはない(つーか、それより他に仕方がにゃい。わははは)。

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伸びて、育って、花になる

昨日は、近所のお寺の本堂の落慶法要と式典の司会進行役。勤めを果たして、今日の午前中はご詠歌のお稽古。午後は宗派発行の雑誌秋号の原稿に取りかかった。二週間ほど前に何気なく交わした会話から、芽がぐんぐん伸びて、花として咲いたような気がする。何気ないことに感性という光を当てると、そんな育ち方をするのだと思った。

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「おめぇさん、やってみるかい?」

「おめぇさん、やってみるかい?」「へぇ、やらせていただきやす。至らねぇところは、ひとつ、助けてやっておくんねぇ」「おお、いいとも。任しときな。おめぇの後ろにゃ、俺っちがついててやる。思い切ってやってみろ。骨は拾ってやらぁ」--編集の方と私の心の会話である。こうしてやらせてもらった。あんまし、迷惑をかけるわけにもいかないから、自分で3回校正をした。パソコンデータを信用していないので、すべてプリントアウトした。これを廃棄するのは、書店に本が並んでからである。

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バトンタッチの心構え

楽しくも、苦しい50日だった。ようやく、原稿にめどがついた。それでも、ホッとできないのは、まだ「はじめに」を書いていないからだと気づいて、書いた。おりしも『気にしない練習』の8刷一万部決定のメールが届いた。「確実に多くの人に必要とされている手応え」を営業の方が感じているのだそうだ。坊主が書いた本を、そんなにたくさんの方々が読んでくれるのは、とてもありがたい。次作の脱稿へと手を引き、背中を押してくれているような気がする。あと一回校正してから編集の手にゆだねようと思う。

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悟り組み立て職人

今日は「写仏の庭」。お手本は蘇悉地羯羅菩薩。「ソシッチカラ菩薩」と読みます。半分サンスクリット語です。妙なる完成を作る菩薩という意味。悟り組み立て職人みたいな名前ですね。悟りは一人一人の心の中にあるというのが仏教の考え方。それは、ジグソーパズルのピースをぶちまけた感じで、無数のピースになって心のあちこちに散らばっているのでしょう。それを組立る作業が「修行」でしょう。私の心の中に、この菩薩もいて、せっせと悟りを組み立てる手伝いをしてくれます。

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珍竹林

書いた原稿の校正を始めた。いくつか我ながらぶったまげるようなものがある。どれも夜中の手紙同様、何を言っているのか、なにを言いたいのか不明なのだ。きっと夜書いた原稿である。やはり夜は魔物が住んでいると思った。夜の繁華街や、夜のネオン街や、夜の盛り場は、夜書く原稿のように、静さを失わせ、ほとばしる感性だけをつっぱしらせる力を持っていると思う。とにかく、夜書いた文章は珍竹林なのだ。わははは。

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法話の辻は今日です。

今月の「法話の辻」は普通より一週早い、今日です。来週ではありませんから、くれぐれもお間違えのないようにご注意ください。午後4時から簡単なお勤めのあと、仏教知識のコーナー、ワークショップ型コーナーがあって、五時からは客殿でお茶やお酒を飲みながら、みんなでフリートークです。 

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狸百匹、箸百膳、天目(てんもく)百杯、棒八百本。

昨日の『読経の庭』にご参加の方々、ありがうとございました。そして、明日の『法話の辻』に参加予定の方々、よろしくお願いします(予約は不要です)。明けて、来週は月曜日がご詠歌、水曜日は「写仏の庭」でございます。で、お彼岸の中日とて、今日は塔婆の書き溜めを100体(本)。「狸百匹、箸百膳、天目(てんもく)百杯、棒八百本」の早口言葉を思いだした。わはは、言ってごらん!

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思いのデリバリー

昨日、こんな質問を受けた。「手術をする友人に『早く退院して、また元気な顔を見せてね』と伝えないうちに入院と手術が過ぎて、居間入院しているのですが、私の思いをどうやって友人に届けたらいいのですか」。「病院に手紙を送るか、お見舞いにいかれたらどうです」と答えた。しかし、それができない状況の人もいるだろう。そんな時、どうする・・・。私なら、「この思いを、あの人のところへ届けてください」と仏さまに頼む。

 

 

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疾走

メールを確認したら、2月13日が最初だった。「ぼちぼちやりますから、途中で『原稿はどうですか』と催促メールをください」とレスを返した。それから一週間後に第一章9本を書いて「こんな感じでいいですか」と聞いたら「結構です」との返信。次のメールが来たのは3月12日だから、ちょうど先週の今日だ。驚愕の内容だった。「弊社期待の本になりそうです。6月発売でいきたいと思います。3月中に原稿をいただければ幸いです」だって!--最初の構成案が到着してから50日足らずで、1600字×50本の本を一冊書けというヤンチャな依頼を、私はことわらない!受けて立つ。やればできる!ただし、のんびりしているわけにはいかぬ。そういうわけで先週から、講演やご詠歌や玄関番の合間をぬい、寝る間を惜しんで、原稿書きはダッシュ状態である。あははは。

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