牡丹はボタンと花が落ちるって・・・か?

とある思いつきについて、縁ある方々から情報を仕入れています。

そんで、
「住職主導でいきなよ。そうすれば協力する人はたくさんいるから」
「そんなもんですか」
「そういうものだよ。各組織ってぇのは、必ず何か言えば否定する人がいるからね」
「へぇ。じゃぁ、やってみましょうか。寺は先祖ってぇ人質をとってるからねぇ」
「そうだよ。わははは」
「わはははは」

---というような、愉快な法事の後座だった。午前11時からの法事なのに、密蔵院での後座が終わったのは15時をとうに過ぎていた。3時間以上飲んで、しゃべっていたことになります。ご迷惑をおかけしてすみません。おまけに、ヘベのレケでございました。八海山の冷や酒は美味しゅうございました。

 まだまだ被災地のことが、そしてその復興への祈りが念頭から離れないのは、住職とて同じことでございます。

密蔵院のボタンは満開でございます。
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お花を活けないといけない・・・。

 明日の法事を前にして、部屋の準備をしていた時に家内が言った言葉である。
「そうだ、あと、花を活けないといけないわね」
 家内は自分で「活けないといけねい、活けないといけない」とつぶやいている。
 はからずも出た駄洒落に、いたくご満悦のようだ。こういう姿は、隣にいる旦那としてじつに微笑ましい気分になるものだとニンマリした。

 実家の兄が南相馬で行われる震災犠牲者の49日法要にでかけたので、今日の実家のお不動さまの護摩焚きは私が担当。気温24度の東京だが、護摩を焚いている時には不思議と暑さを感じない。この感覚が私はとても好きだ。被災地の復興と、福島原発事故の早期収束に祈りを込めての護摩だった。



 気がつけば、東京は花盛りである。瓦礫ばかりの被災地に、色とりどりの花を届けたいと、ふと思った。
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法具勢揃い

南風の江戸川区。こういう日は密蔵院のすぐそばを羽田空港に着陸する飛行機が通る(飛ぶ?)。

3分に一回くらいの割合でエンジンの音がするが、もう気にならない。昼寝だってできる。ぐははは。

今日は客殿に、聲明などを唱える時に使われる品々を並べた。


夏に三カ月間にわたって、区内の施設で江戸川区の伝統芸能みたいな展示をするのだ、その中に真言聲明も入れてくれる予定で、その展示品の確認と、インタビューがあった。

しっかり衣をつけての撮影もあった。
「お葬式用にも使えるからちゃんと撮ってね」とかわいらしい女性カメラマンにお願いした。

それにしても、普通の目で見たら、不思議なグッズばかりだと思う。
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クリックばかりは飽きたころ

たぶん、もうすぐ発行になる本(まだタイトルは決まっていないらしい)の原稿を書き上げてから、しばらく、地震と節電のために、キーボードを打つのはメールの返信と、このブログを書くためだけ。あとはもっぱらマウスをクリックしつづけている50日弱だった。



それが今日から、節電には反するが、再びキーボードに向う時間が大幅に増えることになった。クリックばかりしていることにちょうど嫌気がさしてきたところだ。

某編集者曰く「ふたたび、地獄の日々にお連れします」とのこと。

出版業界は、紙、インクの不足や、「震災」「原発」関連の出版が目下の急務だそうだ。その中で、書くことがそれぼと億劫でない坊主が、この時期にできることの一つは、仏教的なものの見方をみなさんにご紹介することなのだろうなと思う。

地獄の日々もまた善しであると、肝を据えた。

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本を背負う人

 東京の密蔵院での避難暮らしをしている石巻のMさん。
 末っ子である娘のいい「妹」になっている。

 昨日は、石巻でボランティアをしていた人と、上野動物園やら青山やらへ。
 今日は、下北沢へ娘が手伝っているバンドのライブへ同行。エキサイティングな東京生活をエンジョイしてくれているようだ。
 一昨日は、やはりボランティアで焚き出しにきていたTさん家族の家に、”濃い”若者たち20人が集合するというので、これも同行。
 その時に、駅まで送る車の名中での娘との会話がこれだ。

「ねぇ、石巻の避難所だったM小学校にさ、あの人の銅像あったっけ?」
「だれよ?」
「あの、ほら、本を背負っている人」
「・・・・・。わははははは。」

これでは、Mちゃんのお姉さんとは言えぬ。ぎゃははは。
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気になる被災地プリント写真はお寺へどうぞ。

今日の東京は春満開というより、初夏です。花粉症でない私は住職室の窓をあけて、さわやかな風が部屋を抜けてをいくのを楽しんでます。

さて、今日のご法事の後座に出ている間にいらっしゃった方。
被災地へ行って、写真を撮ってきてその実情を報告するためにプリントした数々の写真十数枚お持ちになられました。
「報告も済んだので、持っていても仕方がないので、処分していただけますか」とのこと。


※この写真は私が撮ったものです。

被災地は、災害の現場であると同時に、多くの方が亡くなった現場もある。
そのことを思えば、いつまでも記念として写真を保存するのは、特に霊感が強くない方にとっても(私などのそうだが)、趣味がいいとは言えぬ。

お知り合いで写真をプリントアウトされていて、気になっている方がいたら、遠慮なく
密蔵院(〒1330073 江戸川区鹿骨4-2-3)
へお送りください。
お経をあげた後に、お焚き上げします。
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交互通行せぬ講師

 今日はお寺のご詠歌の先生でもあるお寺の奥様たちのご詠歌の月例講習会。

 いままでは年度の後半に二回担当していたのだが、仲間のお寺が南相馬で緊急事態だから、今回は彼と交代して私が最初の二回を担当することになった。

 震災後のこととて、参加者がいるのかいないのかと心配したけれど、12人の方の参加をいただいて、楽しい6時間だった。このくらいの人数がそれぞれの顔が見えるから一番いい。

 曲を覚えてもらうより、「曲をどのようにお伝えするのか」を伝えることに重点を置いての講習会は、普段使わぬ脳を使う。帰宅して(気持ちのいい)ぐったり感だった。

 この震災でお寺が、そして、お寺に住む者が何をすべきか、そんなことにも話をひろげさせていただいた。一方通行だの話になってしまい、すでに何かに取り組まれている方の話も聞けば良かったと思う--こういうことを後になって思うような講師ではまだまだである。ぐははは。来月にはそれができるようになってみようと思う。
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ピンチヒッターの条件

 世の中は、徐々に元の状態に戻ろうとしているのだなと思う。

 4月からの新年度が始まり、多くの組織や会が今年度の事業予定をあわてて組んでいるようだ。

 そりゃ、そうである。年度末は震災で大混乱だったから、今年度の予定を組むことなど、どこかへぶっ飛んでいたはずである。

 だからとて、ここ一週間で、4つほどご連絡をいただいた。今日も今日とて、静岡新聞・放送のカルチャーセンターから電話。
 予定していた講師の先生が体調不良なので、ピンチヒッターをお願いできないかというものだった。
 過去二回呼んでいただいたことがある。午前中に浜松、午後に静岡でそれぞれ90分のお話である(この時は最初からスケジュールに入っていたけれど)。

 私は、この「ピンチヒッター」「代理」という言葉に特別な思いがあるので、こう言われると時間があえば、協力したくなる。



 「代理」でも「ピンチヒッター」でも、頼むほうは、少なくとも元々担当の人と同程度、あるいはそれ以上の力を持っていると評価している人に依頼するはずである。
 野球なら、アウトになる人は出さない、ヒットかホームランを打てる人を出す。

 みなさんも、代理やピンチヒッターを頼まれたら、進んでやらせてもらうといい。それだけの実力を認められている証拠なのだから。
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「あの時どこにいた?」から次へ。

昨日のブログで、めげている場合ではないと書いた。
書き終えて「めげる?」と思った。がっかりするとか、元気がない様子を示す言葉だが、不思議な言葉だと思った。
メがゲルとはな何じゃろかい・・。

辞書を引いてもそれを表す漢字表記はないから、きっと大和言葉だろう。
(似た表現のショゲルは「悄気る」と一発で出てくるんですがね・・・)

あわてる必要もないが、あわてて逆引きで「--げる」を引いた。
「ははぁ、これだな!」という言葉があった。
「たまげる」である。漢字では「魂消る」と書く。魂が消えるくらいビックリすることだ。

してみると、「めげる」は「目消る」ではないかしらん。目も開いていられないくらい落ち込むことだとするのはいかがだろう。ぐはははは。



今日は葛飾区ご詠歌をやっている方々の大会。七つの支部のお唱えを聞いての講評役である。この役を頼まれた時は、いつだって好評役だと思っているから、良いところしか探さぬ。相手がめげるようなことはいわなくていいのだ。

ここでも震災後初めて会うかたがたが大勢いて、会話をした。それで思ったことがある。

震災以来40日。もうそろそろ「3月11日、14時46分、どこにいた(何してた)?」と言うのはやめてもいいのではないかということだ。
それを踏まえて、「今何しているか」「どうしようとしているか」に話題をシフトすべきだろうと思う。

平成23年3月11日、大震災の時、どこで何をしていたか・・などという話を何十年後にもしているような年寄りにはなりたくないと思う。
そのあとの一カ月後にはこんなことをしていたんだ、こんなことを考えていたんだよと、将来堂々と言える日々を過ごそうと決心した。

「めげる」を調べて、どうにか私なりの結論がでて、めげないで行こうと決心したいう話である。わはははは。

ああ、ちなみに今日の密蔵院は「写仏の庭」。お手本は金剛花菩薩であります。
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辻褄合わせなんかしません

 東京は区議選に突入。昨日午前中に地元の候補者の方がやってきた。
 無類のタバコ好きだから「ちょっとあげてもらっていい?」「ああ、どうぞ」と灰皿がある応接間へ上がってもらった。

 震災後初めて会ったから、当然口火はその話から。ところが私にしてみれば「ほう」と思う質問からだった。
「今回の震災というのは、仏教というか宗教的にはどう考えるですか」

 宗教についての、じつに素朴な質問だと思う。
 自然の脅威については、民族宗教では自然の脅威を何かのメッセージと考えて、辻褄合わせをしてきたという歴史がある。
 「なぜ地震が起きたか」・・それは、「自然という神が怒っているのだ」という辻褄合わせである。主に神官や巫女や、占い師が担当する。
 そして、自然のバランスを回復させるために、「捧げ物をしたり、オマツリをする」。

 この考え方が、強力な霊力をもった人間についても適応される(地震やはやり病などの災いを起こす力があるくらいの強い人である)。現在でも、自分にとっての不都合が起こると、それを先祖の祟りと考えるのは、この流れである。----とても素朴な感情だと思う。
 人は、自分の不都合に対して「なぜこんなことがおこるのか」と辻褄合わせをしないと気が済まないのだ。

 この点で、仏教の基本的な立場は、「人の心の安定」を重点におくから、その目的達成のためには御祓いする場合もある。
 一方で、天変地異をそのまま受け入れて、その中で心を安定させるための教えだと思う。

 今回の震災とそれに付随する多くの問題は、私たちが「初めて」経験することだ。
 その「初めて」に対して、自分はどうするだろうと、私は自分自身を楽しみにしている。チャレンジだと思っている。それが私にとって、心の安定の一方法だ。
 赤ちゃんにとってはすべてが「初めて」であるように、
 私も今回の「初めて」に、ドキドキしながら過ごしたいと思う。メゲている暇などありゃしないのだ。わははは。
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