しずかな思索

密蔵院は、計画停電には入っていません。
でも目一杯の節電中。ですから、以前は考えられないくらい住職室にいません。日の当たらない部屋では、いても仕事にならないからです。わははは。つまり以前は電気坊主であります。

おかげで、アナログな日々を過ごしています。

お知り合いの中には、この計画停電の地域にお住まいの方がいらっしゃって、そのご苦労話もいくつか聞きました。
呑気なわたしとしては、電池ではなく電気で作動している機械類の中には、停電するたびにリセットしないといけないものが随分あるのだろうなと思います。

それらを毎回リセットするのか、あるいはもう諦めてそのまんまにしていらっしゃるできしょうか。
単なる野次馬根性から、知りたいものだと思います。おせーてくだせぇ。

密蔵院では、避難家族の受け入れについて、部屋の掃除も、受け入れ条件も、受け入れ告知手段も、なかなか議論が進みません。娘がいてくれたら、ちったぁ、若い純粋な考え方をしてくれるのだろうと思うのですが、まあ、石巻で頑張っているようですから、ここは、「仏様ならどうするだろう」とイメージしてことに当たろうと・・・・、熱くならずに心静かに思索を巡らそうと思います。
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反社会性と超社会性

 「引きこもりからの脱出」というセミナーを受講して帰宅したら、FAXが入っていた。

 4月1日から、車で3分のところにある都営の火葬場で、震災の犠牲者の火葬をする。本当は昨日からのはずだったが、延期されて4月1日からになった。その間、一般の火葬は受け付けない体制である。
 それに関してのFAXだった。
 火葬される方のために読経をすることになっているのだが、妙に「本尊」や「神」が異なる宗教があるから、火葬場の敷地に入ることは許されない。
 そこで、いついつは○○宗で、現地のお坊さんが拝めないぶん、せめて入り口で読経をしましょうというのだ。

 私は、密蔵院で毎日拝んでいる。家内に上記のFAXについて、いかがなものかと尋ねたら「ご遺族のことを考えたら、東京のお坊さんたちが荼毘にふされる場所でお経をあげてくれた、というだけでありがたいでしょう」と言った。
 なるほど、一理ある。

 現地のお坊さんの代わりに、そして、ご遺族の安心(あんじん)のためになら、拝もうと思う(亡き人のためには毎日拝んでいるから心配はしていない)。

 坊主は坊主で「社会性」を越えた立場がある。そういう思考回路をたもつ訓練をしてんいるからこそ、皆さんががんじがらめになっている社会観とは異なった提言ができるのだ。いわばなんでも反対するような無責任な反社会性でなく、超社会性だと思う。

 
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私の気持ち(こんな時の言いたい放題9)

「だれも私の気持ちを分かってくれない・・・そう思っている私は、いったいどれだけ人のことをわかろうとしているだろう・・・」
--これも村上アナが言ってくれた言葉です。

 具体的には、以下のような話でした。

 思春期の女の子が周囲に対して「だれも私の気持ちなんか分かってくれない」とボソッと言う。でも、思春期を迎えた女の子が何か悩み、でもそれを打ち明けてくれない、そんな彼女にどう対応していいのかわからない・・とオロオロと、悶々としている周囲の人たちのことなんかわかろうとなんかしちゃいないんです。
 私たちは、自分のことを分かってくれないと思うことは多いですが、それ以上に、それじゃ自分はいったいどれだけ人のことをわかろうとしているだろうって思う心の余裕を持っていないてといけません。

 村上さんのたとえ話は、十代の女の子の例だったが、これは思春期の女の子にだけ当てはまるものではない。
 被災者の方々もそんな場合もあるだろう、被災していないけれどいままで通りに生活をしている中にもそんなことを思いたくなる場合はゴマンとある。
 女の子だけではない。大人だって、母親だって、父親だって、妻だって、夫だって、上司だって、部下だって、坊主だって、
 人の心をわかろうとしないで、自分の気持ちだけ分かってもらいたいと、じつにワガママな感情をいだくものだ。そんなものである。

---「そんなもの」だが、そのままにしないで、まず人の心をわかろうとする心の余裕があると、人生は、ずっとずっとでっかく広がっていく。人間に生まれた妙とはこういうことだろうと思う。

 今日、娘が石巻へ向った。どれだけ心がでっかくなって帰ってくるか、楽しみである。ボランティアなのに、自分の分の水を四リットルしか持っていかなかったことは気になるけれど。ぐはははは。
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赤ちゃんを見てごらんなさい(こんな時の言いたい放題8)

「赤ちゃんを見てごらんなさい。暗い顔している赤ちゃんなんていないでしょ。私たちはいつだって笑顔でいなくちゃ駄目です」

 明るく話せと言われて、「私はもともと暗い性格なんです」と返答した人に、村上アナが言った言葉です。

 もともと私たちは明るく生まれてきている--という村上さんの言葉は、仏教の「人はだれでも仏と同じ性質を持っている」という性善説に通じるところがある。

 テレビで「被災して家も何もかも無くしてしまった」とおっしゃる方がいた。
 不思議にも彼らの顔は決して暗くないのが印象的だ。
 ある意味で「終わり」は、いつだって次の「スタート」なのだなとあらためて思った。



 それは生活でも、生死でも同じだろう。これを肝に銘じておけば、スタートラインに早くつけるだろうと思う。
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話題(こんな時のいいたい放題7)

自粛ムードはわかるけど、「法話の辻」はそうはいかんだろうと、決行。

11名の方々、ありがとうございました。今日初めての方が3名。なんと入れ代わりがダイナミックな会でございましょう。わははは。嬉しゅうございます。

一度いらっしゃって、「もう行きたくない」かたも「「いかなくていいわい」という方も、「ぜったい行こう」という方も、「とにかく飲みたい」という方も、お寺は、強制はしませんが、いつだって、待っています。蜘蛛の巣のように。わははは。

タイミングの問題だと、わっしはかーるく考えています。でも、お寺でやっていない限りそのタイミングが来ないのですから、わっしは楽しんでやります。いかに、心を楽に、そして心豊かに生きていくかだと思うからです。

「今日のほとけさま」は阿弥陀さま。「仏道てくてく」のコーナーは「死に方は関係ない」について。

昨日のコメントではありませんが、いつ、何が心の琴線にふれるかは私にはわりません。
それでも、「今日は来て二年間の心のしこりがとれました」と帰りに涙ぐんでおられた方もいてくれて・・・。

坊主の一日というのは、そういうものだと思います。一緒に悩みましょう。苦しみましょう。
そして、
笑いましょう、わはははは、あはははは、ぐはははは、きゃははははは。



七回目の「法話の辻」のあとの「飲みながら楽に行きよう」は、震災関連で、一同が全員一致の和。かつて、ヘミングウェイは言いました(卒論がヘミングウェイなので知っていますのよ)。

「同じ話題でその場が一緒になれるのは8人までである」と。

今日は、その金言をつくがえした二時間でした。
※写真は、飲み会の片づけが終わってのワンショット。「被災地の皆さん、応援してますよ! 」とのフィンガーサインでございます。
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故郷と親

今日、そろそろ失礼ではないだろうと、福島県南相馬の仲間Eに電話をした。無事だったことは知っていたが、元気そうな声で安心した。できることがあったら遠慮なく言ってくれと伝えた。
 そうしたら、さっき、木更津の仲間から、Eについても安否のお尋ねの電話があった。遠慮なく電話できるほどではない仲間の安否についての情報リレーだ。こうすれば、本人が数多くの電話に忙殺されないで済むだろう。

 家内と娘は、義父母のところへ顔を見にでかけた。心配性の義母ゆえに、別に何がどうという彼岸を受けているわけではないが、電話ではなく実の娘の顔を見てきっと安心しただろうと思う。
 ご年長の親御さんには、まめに連絡されることをお勧めする。
 テレビでは避難の話題が流れていた。地元を離れたくない人がほとんどである。そうだろうと思う。
 せめて地元に帰るまで、避難しなくてはならない方々のために、いつでも受け入れできるように二部屋の準備を(おそまきながら)はじめた。



 「自慢話で、していいのは、故郷(ふるさと)自慢と親自慢です。これは聞いていて不快にはなりません」(村上正行アナ)

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頑張ってと言わないでのあと(こんな時のいいたい放題5)

 人を励ます言葉、「頑張って」を、頑張っている人に言ってはいけない。
 なぜならそれ以上頑張れない人にプレッシャー以外のナニモノでないからだ。
--こう言われるようになって20年ほどがたつ。

 相変わらず、つい「頑張って」と言ってしまって「申し訳ないことを言ってしまった」と後悔する人が、私をふくめて、あとをたたぬ。

 鎌田先生か、日野原先生の言葉、「頑張らない、でも、あきらめない」が現在の一つの流れになりつつある。いい言葉だと思う。

 20年前「頑張っている人に、頑張ってと言ってはいけない」が、まことしやかに言われたころ、先輩のお坊さんがこう言った。

 「頑張っている人が、他の人からの励ましで「頑張って」と言われたら、その心遣いに「ありがとう」と言おうっていうのが本当だと思う」
--まことに名言だと思う。
 ちなみに「頑張る」は、我を張るで、仏教ではあまりいいことではないことも付しておく。

       ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 今日は、次の本の付録につく「般若心経」の読み方の録音だった。
 お経は、唱える場合、リズムが大切だから、息継ぎで途切れては仕方がない。そこで、長男に手伝ってもらった。

 代々木の録音スタジオ。金魚鉢のスタジオに入って、ガラスの向こうに6人の面々。長男はかなり緊張していた。それがとても好感がもてるもので、それが良く発声にでていた。

 その初々しさと、私の淡々さが相まって、唱え方を覚える人のためにはこれ以上ない、唱え方を知りたい人のためを思った誠実なお唱えになったと思う。
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善行をほめると(こんな時のいいたい放題4)

この状況下にじょうじた悪行が横行しているという。
 まったくひどいやつらがいるものだ。魂が腐敗していくのがわからないのだろうな。
 あの世も信じていないのだろう。信じていれば、あの世へ行って申し開きができないようなことはできぬと思うのだが・・・。
 
---というような話が、今日ご詠歌の練習でお年寄りから出た。

 悪いことをする人はいつだって、こういう時だってそんなことしか考えないのだろう。

 悪い奴らがいると歎くより、
 被災地の人たち、避難している人たち、亡くなった人たちのために、何かできる素晴らしい人たちのほうが大勢いる。

 それは今日のご詠歌のご年長たちのように「般若心経」一巻でもお唱えす人たちも含めてである。

 こんな言葉がある。

「善行を認められると非行はだんだん減ってくる」
プライヤンという人の言葉だそうだ。

 叱るより褒めろのより具体的なメッセージだと思う。

 これから声明らいぶに出発です。流山からの仲間は、お通夜を終えてからかけつけてくれる。大切な遺族とのお話をしないで来てもらうのは申し訳ないと思う。
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千の手(こんな時のいいたい放題3)

昨日読経の庭に参加してくださった、元ドクター。
お知り合いが、宮城県宮古市の高台で、開業医をしているという。
先週電話をして「何かできることがあるか聞いたところ、来られるなら二、三日でいいから来て欲しいとのこと。

13日から手配にしたがって、日本海側から宮古へ。
70歳半ばの先生にとってはかなり大変な移動だったそうだ。
着いて何をしたかというと、トリアージ。
到着した患者の治療方法を的確に判断して、選別する作業だ。それまではお知り合いのドクター一人で全部やっていたそうだ。
三日ほとんど仮眠程度で、「もう帰ったほうがいい」と言われて帰ってきたそうだ。
10年ぶりの現場・・・。野戦病院さながらだったそうだ。
そして、おっしゃった。
「住職。あの現場は、あの瓦礫の現場と、どんな小さなことでも、何か人の役にたてるということを身をもって体験するために、特に若い人は行ったほうがいい」

奇しくも夕べ娘の四歳年上の友達が我が家に一泊して、今朝始発の新幹線で新潟へ向かい、今日中に名取市へはいった。

私も今月大学卒業と同時に、無職になった娘に被災地へ行ってはどうかと三日前に言ったところだ。すでに、夕べ、友達に教えてもらってボランティアの登録をすませたそうだ。

ところが、現地に入るには寝袋と自分の食料は持参しないといけない。そんで、我が家には寝袋がない。そこで、昼の部の写仏の庭を終えてから、一緒に買いに行った。

折しも今日、新潟の大先輩から、昨年の拙著の出版と、写経のお手本などへのお礼として現金が送られてきた。それを使って寝袋を買わせてもらった。



多くの手が自分以外の人のために使われている。私がこの手で書いた本が、新潟からお祝いとして回ってきて、それが寝袋になり、それで娘が人のために活動できる。


「千手観音の1000本もある手の中で、自分のために使う手は一本もないんです」

時にふれ、おりにふれて、この言葉を思い出して、じっと自分の手を見ることがある。

---ということで(なにが「ということで」だかわからんが)、明日は声明らいぶです。
プアンとの共演。アボリジニの使うディジュリドゥ、大地の生命力を体感してみませんか?
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苦労の甲斐(こんな時のいいたい放題2)

「苦労するのは なに厭(いと)わねど 苦労し甲斐が ありますように」

前向きで人生を過ごす、将来に望みを託すのは、こういうことだろうと思う。

今日本人が立ち向かっている復興、救援、支援・・・。苦労し甲斐があることを祈りつつ・・。

今日は「読経の庭」は二本立て。

震災の犠牲者の方々のために、木魚だけで般若心経を唱えてもらった。

被災者の方々の応援エールとして太鼓や鳴り物を全部鳴らして、元気よく般若心経を唱えてもらった。


明日は「写仏の庭」。13時ー15時。19時ー21時。
皆さんどんな想いで筆と仏様とつながる時間を過ごされるだろう。
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