コモリのオジィチャマ

4週間の育児休暇を終えてからの奥さんの子育てワンオペレーションを心配した次男が、密蔵院から車で3分のところに引っ越してきた。家内と私は、さしずめ、コモリのオバァチャマとオジィチャマだ。どはは。先週新居のカギをもらって、我が家で一週間過ごしながら引っ越し荷物を整理して、今日から親子三人の生活がスタート。新米ママが御朱印を欲しいと言うので、日付をさかのぼって、親子三人スペシャルバージョンを書いた(こういうことは気分が余程のっていないかぎりやりません。御朱印ご希望の方はあしからず、ご了承ください)。うはは。

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そして、なぜか鉄サビの香り

お寺の玄関に置いてある消毒液を手に噴霧してもみ込むと、不思議なことに2分ほどで鉄サビの匂いになる。自分がドラム缶ロボットになった気がして愉快である。何度も手の匂いを嗅いでしまう。ぐはは。
隔日でご紹介している直筆「ひめくり」は29日、30日分・・・。
[29日] 他人があなたのことを理解しなくてはならない義理はない。理解してくれるのは義理ではなく、人情だ。人情は「おたがいさま」が原則だろう。
[30日] 心を晴らすために、誰かのアドバイスをもらったり、音楽を聞いたりしても、心を晴らす縁として活かすかどうかは本人次第。その力はだれにでもあると思う。

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肉だ、ワッショイ!

お昼に長男が作ってくれた中華三昧のスーラータンメン。食べ終えると夕飯の献立の話になった。食べたそばから次の食事の献立など思いつかないのが常(つね)だが、今日は違った。家内が「このところ、お肉ばかりだから、夕飯は昨日買ってきたシュウマイね」と言う。長男と顔を見合わせて「シュウマイもお肉じゃん」と笑ったが、家内は平気な顔をしている、シュウマイは肉料理のカテゴリーに入らないらしい。すると長男が「でも、冷蔵庫に昨日が賞味期限の鶏のモモ肉が二枚あったよ」という。鶏肉購買者の家内が目尻がピクリと動いたのを見逃さなかった私は「それは私がタンドリーチキンにします」とすかさず申し出て、私専用のレシピーファイルをめくった(写真)。なんだ、結局今日も、肉じゃないか。わはは。ワッショイ!

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やわらか・どっしり

世話人さん10人のみ参加してもらうことにした6月1日のお施餓鬼。当日に向けて、長男が塔婆を途中まで書き、それを受けて私が戒名などを書く作業が続いている。塔婆の数は例年と変わらない。コロナ禍でも(コロナ禍だから?)、亡き人に思いを馳せる人は減らない。
[27日] 私の場合、村上正行さん(元ニッポン放送アナ・故人)というお手本がいた。そのお手本のおかげで、今でも自分の生き方や考え方を修正できる。
[28日] できることをいくらやってもそれは「あそび」である。ただし、現状維持が難しければ、できることをいつでもできるようにしておくのも、また、一つの練習である。

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前の主人の悪口

虎造の『清水次郎長』~秋葉の火祭り~にこんなセリフがある。「ここへ奉公していて訳あって、こっちへ住みかえて、今度の主人の前で、前の主人を悪くいったら、今度の主人が喜ぶと思うか、喜ばねぇぞ。『この野郎わきへ行ったら、俺のことをこういうふうにまた貶(おと)すンだ』と思うと、そこの扱いが違ってくらァ」---このことは、転職の場合はもちろん、お稽古ごとで先生を変えた時などにも充分通用する。40歳までに身につけておきたい、心おだやかに生きるための処世訓である。ぐはは。

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法話体力

夕べは仏教伝道協会で「空海・真言宗」について、立って2時間の話、というより法話。アカデミックな内容を期待していた人にはお気の毒である。ぐはは。やはり緊張していたのだろう、今日は全身が軽い筋肉痛である。法話体力という言葉はないが、それがコロナ禍で衰えたのがわかった。どはは。
隔日でご紹介している直筆「日めくり」は25日、26日をご紹介・・・。
[25日] 「併せのむ」を「受け入れる」と表現することもあるが、酔っぱらいの人は(私も含めて)「併せのむ」でいきたい。本当なら、「併せ呑む」と書きたいくらいだ。ぐはは。
[26日] 好きな仕事をしている人は多くない。そんな人に向けて「好きなことをするよりも、今、していることを好きになれ」がある。「日めくり」26日の言葉は、仕事以外の余暇であろうと、好きなことをしているのなら、それに伴う嫌なことにだって笑顔で迎え打とうではないかという意味である。

 

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風や雨に、縁を思う

さわやかな五月の風が部屋に入ってくる今日。その風に、おだやかな気持ちで生きていきたいと願う坊主たちは何を感じるのか・・・。そんなお話の3分55秒の「法話動画」。
https://youtu.be/m6JrA23LxHo
お楽しみいただければ幸いです。

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魔界難入

昨日の「法話の辻」では、参加者の皆一人一人に「今日密蔵院に来るまでに、やろうと思えばできたけど、やらなかった悪いことってありますか?」と聞いた。坊主からの突拍子もない質問に一様に思案顔。参加者が感心するような悪いことを思いついた人はいなかった。素晴らしい方々ばかりである。うはは。「仏界易入(仏界入りやすし) 魔界難入(魔界入りがたし)」(一休禅師)は「それは逆でしょ。仏の世界にはなかなか入れないし、悪いことはついやってしまうものでしょ」と言いたくなるが、昨日のワークをしたかぎり、一休さんが言ったことは正しいと思う。そう簡単に人は悪いことをできないものだ。
直筆「日めくり」は、23日、24日分をご紹介。
[23日] 現在の惨めさを強めるような「昔は良かった」的な過去のふり返り方は、しないほうがいいと思う。
[24日] 目標があれば、目標達成のために我慢できる。こうなりたい(こうしたい)という目標がないのに我慢するのは無理である。このことは、あなたの周囲にいる「我慢強くない」人の言動を理解するために、是非とも知っておかれるがよかろう。ぐはは。

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一人立ちの準備

今日は一周忌の法要が一件。亡き人はあちらで迎える一歳の誕生日。赤ちゃんも一歳になるころには、掴まり立ちからヨチヨチ歩きをはじめる。亡き人も、残された人も、それぞれ一人立ちの用意をしてもらえればありがたいと思いながら拝んだ。ちなみに先週、33回忌の法事を拝んでいて気づいたのだが、今年33回忌を迎える人は昭和最後の年に亡くなった人である。よって、昭和に亡くなった人はもれなく先祖代々の殿堂入りを果たしたことになる。あらためて「長い仏道修行お疲れさまでした」と祈りを捧げた。今日は4時から「法話の辻」です。ワークショップは「コロナ禍だから、できたこと、できそうなこと」です。ご準備の上、ご来寺くだせぇ。むはは。

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何ら保証するものではない

明日の「法話の辻」(午後4~6時)は予定通り行いますが、各自感染対策をしてご参加くださいませ。これについて「酔っぱらいというのは、あれはバカでございます」が身に沁みている家内は、再三にわたって「5時からのフリートークは、本当に1時間で止めなさいよ」と私に言う。あんまり心配してくれるから、マスク会食グッズのTSUMAMIを高校の後輩にゆずってもらって、明日の参加者全員のマスクに装着してもらうことにした(だからといって、フリートーク1時間終了は何ら保証されていない。ぐはは)。
で、隔日でご紹介している直筆「日めくり」は21日,22日ぶんをご紹介。
[21日] この言葉を言ったとされるジンギスカンは「後から来る者に 自分が悪く言われないために 泉を清く保て」などと、みみっちいことは言っていない。
[22日] 多くの場合、「どうして言うことを聞かないの!」は疑問文でなく、「言うことをききなさい」という命令文である。しかし、ちょっと本気で「どんな事情があるの?」と理由を聞けば、「それじゃ、言うことを聞かないのも仕方ない」と諦めるられることが多いものだ。うはは。

 

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