今宵、聲明ライブ

 今宵は、坊さんたちだけで聲明(しょうみょう)らいぶ  in Chippy(新小岩)。午前中から、中学の同期会の記念誌印刷で、コピー機はフル活動。差し替えを頻繁にしなければならず、その間に塔婆を書き、お地蔵さまを描いた。

もっとも、これはライブに来てくださった方用ではなく、とある企画用。ライブにお越しの方には、目の前で描かせていただいています。

ライブの日、帰宅するのは23時をまわる。仲間二人はそれから帰宅だから、どうしたって、寝るのは25時をすぎるだろう。私より10歳も若いとはいえ、大変だ。ありがたいことである。

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住職室カフェ化計画。

 やらねばならぬ、私は私なりの本の企画作り。掘ごたつでやると寝てしまうし、住職室は物が散乱していて気が散る。

半分本気で「カフェのオープンテラスで、膝を組ながら、パソコン相手に企画を考えたい気分だよ」と娘に言ったら、「せっかく住職室は中庭に面して、ワーキングデスクがあるんだから、住職室をカフェみたいしたらいいよ」との答え。

・・・にゃるほど。というわけで、私のやるべきことは、企画作りよりも、住職室をカフェレベルにこぎれいにすることとあいなった。午前中に終わらせようと思ったが、次から次へとお越しになるお客さんの対応で、掃除機をかけたのが、15時30分というありさま。

 もう夕方ではないか。こんな寒くなったんじゃ、オープンテラスなんて雰囲気は・・・にゃい。あははははは。

今の日本のこと、世界のこと、そして自分のこと・・・。まとまった考えにはならないけれど、掃除をしていると、いろいろなことを考えるものだ。今日、こぎれいに整理されたのは、住職室ではなく、私の心だったのかもしれない。

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おかしな一日。

 幕張でのご詠歌をおえて帰宅。仲間が自分のお寺で写仏の会をやるにあたってのアドバイスを求めに来てくれたので話をしていると、こんどは長男が買い物から帰宅。2月3日16時スタートの、恒例の密蔵院の豆まきという名の「お菓子まき」用のお菓子を仕入れてきた。すでに奉納いただいているお菓子を加えて本堂に仮置き。

まっとうな親なら、たぶん買え与えない膨大な量の駄菓子。私は「鬼はーそと。福はーうち」と叫んで撒くほうだが、今から楽しみである。後の時間は、電子書籍企画用の「言いたい放題地蔵」を、いつもより丁寧に書き続けた。熱がある家内にかわって食器洗いをして、40分の犬の散歩を終え、こうしてブログを書いて、お風呂に入ったら、もう寝る時間・・・というわけだ。うははは。おかしな一日である。

 

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難解そうだけど簡単。簡単そうだけど難解。蜷川版「祈りと怪物」。

 久しぶりに家内と、シアターコクーンで観劇。蜷川版「祈りと怪物」だ。

同じ原作をケラさんと蜷川さんが演出するというワクワク感満載の上演形態。昨年のケラさんのほうは観られなかったけれど、蜷川演出は、充実していた。

帰りに家内と「難しそうな芝居だったけど、内容はけっこう簡単なのかもしれないね」と、前衛芸術を観た素人のような感想をいいあった。うははは。芝居や映画は、誰かと観にいくと、その後の感想の述べあう時間がいいと思う。

 そして、おっと失礼。昨日の「法話の辻」にご参加の皆さま。ありがとうございました。時間配分がハチャハチャでご迷惑をおかけしました。これに懲りずに、温かくなった3月に、またどうぞお立ち寄りください。

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次につながる一日とならん。

 大きなお寺なら、毎週のことなのだろう。法事が3件。最後のお宅の後座でご一緒して、夕方から「法話の辻」という法話の会と、それに続くお酒を飲みながらの懇談会。そして、夜は、甥とフィアンセ、姪とフィアンセとの合同食事会。ありがたいことに、一日に三回の飲み会である。法事の法話も、その時、その場で何かふさわしいのかを考え、飲んでいる最中も人の話をさらに広げるにはどうしたらいいか・・・なーんて考えながら過ごす。楽しい一日だった。 これでどうにか一月の山を越えた気がする。これで本腰を入れて、次の面白い企画に取り組めそうだ。

 

  

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東家三楽さん、ありがとうございました。

  五年間の長きにわたり、密蔵院の「浪曲の庭」で、見事な浪曲を披露してくださった東家三楽さんが亡くなられた。残念である。

「持ちネタの数じゃ、今の浪曲界で俺が一番だろう」と仰っていた。戦前戦中戦後を浪花節一筋で過ごされた。

密蔵院では「左甚五郎」を10題、きっちりつとめてくださった。若手の指導も適切だった。お通夜の読経を聞きながら、たくさんの思い出に感謝して、お焼香させていただいた。

三楽さん、ありがとうごさいました。

 

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さわっちゃ、ィヤーヨ!

竜はウロコに覆われている。しかし、そのウロコの中で、喉のあたりにたった一枚だけ逆さまに生えているウロコがあるそうだ。
いつもはおとなしい竜も、そのウロコに触られると怒りくるうのだそうだ。ご飯を食べている犬を触ると「ヴー」と唸るのうよものだ。
この逆さに生えたウロコにさわることを、「逆鱗に触れる」と言う。
 出典の「韓非子」にはこうある---「竜という動物は、馴らせば、人が乗れるほどおとなしい。だが、喉の下に直径一尺ほどの鱗(ウロコ)が逆さに生えていて、これに触れようものなら、必ず人を噛み殺す。(会社や社会の)トップに(いる人)も、この逆鱗がある。これに触れないように話すのが説得の極意である」(『中国古典 名言のすべてがわかる本』守屋洋著 三笠書房 知的生き方文庫 101ページ)。引用文中の( )は名取。

「あなたの逆さに生えているウロコはいったいなんですか?」なんて聞いてから話しはじめることはできないしなぁ・・・・と、途方にくれている坊主の話である。ウゲゲゲゲ。
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スリー・シャドーズ

今日は24日。お地蔵さまの縁日だ。新年最初の縁日だから「初地蔵」と呼び習わしている。
ということで、今日は友人のお寺の「初地蔵」の法要のお手伝。行ってから「これやって!」と言われたことは、たいがいのことはやらせてもらう。「無理」と言ったら、友人が困るからである。もちろん友人は、「この人ならこれくらいできるだろう」と思うから「これやって!」と言うのである。うはははは。気心が知れているのは、ありがたい。
帰宅して夕飯の後、犬の散歩に出かけた。都会は街頭がたくさん点いているので、夜、自分の影を見ながら歩くと面白い。前後二つの街灯によって、自分の影が二つできて、それが歩くにつれて伸び縮みしながら移動するのだ。
ところが今晩は、もう一つ、私の足元に影ができていた。そしてそれはどんなに歩いても移動せずに、ほとんど私の足元から動かない。みょうな影があるものだと街灯を探したが・・・ない。そうして、ふと見上げたら月が輝いていた。そう。移動しない影は、月の光に照らされた私の影だった。38万キロ彼方からの光では、歩いたくらいで自分の影が移動するわけがない。
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名取芳彦の「守本尊説法伝書」、始動です。

今日の研究所での会議で、仲間の研究員に全貌をお披露目したので、このブログでも正式解禁ということで・・・。
[名取芳彦の「守本尊説法伝書」]が一昨日から、各プロバイダーの「占い」コンテンツの中で紹介されるようになりました。

仏教の教えを軸にした今までにない内容の占いサイトです。一部無料ですが、詳しく知りたい方は、有料になりますのでご了承ください。既刊の本と同様に、仏教を土台にして、皆さまの背中を押す役割が果たせたらありがたいたです。
http://rakuten.goodfortune.jp/natori/

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お土産地蔵

東洋大学の後期の授業「仏教の伝統芸能」の私の担当、全5回も今日が最後。
ご詠歌を土台に、日本に伝わっている仏教の教えを楽しくお伝えしてきた。
今日は最後なので、濃い内容にしようと午前中考えた。
話の内容はできたが、それは私の自己満足。おつきあいいただいた学生さんたちにお土産をあげることにした。
とりあえず、学生さん分のお地蔵さまは描けた。

あとはこれにすべて違う言葉を入れて、ランダムで渡そうという魂胆である。--こうして、お坊さんの半日は終っていくのだ。どはははは。
授業をするほうも、せっかくの90分を楽しまなければもったいないと思う。
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