先週11月7日、地元の工業高校の創立70周年記念行事として、JAXA宇宙科学研究所の森田泰弘先生の講演がありました。
僕はこの工業高校の出身ではなく、身内にも誰も工業高校関係者はいませんが、事前に問い合わせたところ誰でも一般参加可能とのことだったので、縁のない工業高校の創立70周年記念講演を拝聴してきました!(笑)
高校生たちがぎっしり並んだ体育館に入り、保護者席に座って森田先生のお話を聴きます。
森田先生の略歴紹介に続いて、先ずはペンシルロケットの動画と糸川英夫先生の紹介。
森田先生の「ペンシルロケットって知ってる?」 の問いかけには、ものづくりを学ぶ工業高校生諸君には是非全校そろって「はい!勿論知ってます!!」と応えて欲しかったぞ(苦笑)
戦後すぐに太平洋横断ロケット飛行機を考えた糸川先生の独創性と、
「追いつけ追い越せ、ではなく最初から世界の先を行け」という日本の固体燃料ロケットの精神を紹介。
日本の固体ロケットは「運がいい」と言われるが、「運も実力のうち」であり「運こそ実力」である、ということ。
ロケットファン・宇宙ファンにはお馴染みの、痛快な宇宙研節が炸裂!
ペンシルからラムダ、ミューと小さなロケットから大きなロケットへと進化する日本の固体ロケット。
そして日本初の地球重力圏脱出ミッションとなるハレー彗星探査機「さきがけ」「すいせい」を宇宙へと送り出したM-3SII。
森田先生は大学院生時代に「さきがけ」で初めてロケット打上げに参加して、大感動!
これが後のイプシロンロケット開発の原動力となった。
「いちばん大事なのは、感動」
M-3SII初号機打上げに「ロケットを仕事にする」 と誓った。
…とここで、森田先生ファンにはお馴染みの
「ロケットも好きだけどタイガースも好きだぜ!トラキチ森田先生の阪神タイガース・ファントークコーナー」 に突入!
突然の展開にざわめく八代工業高校体育館!!(笑)
森田先生曰く「ロケットと野球には深い関係がある!」
その一例が1985年。阪神タイガースが21年ぶりに優勝を決めたこの年、M-3SIIロケット初号機が打上げ成功。
そして2003年。阪神タイガースがリーグ優勝したこの年、「はやぶさ」を打上げたM-Vロケット5号機で森田先生がプロジェクトマネージャを務めた。
「だから、野球の神様とロケットの神様は同じなのである!!」
(* ゜Д゜) な、なんだってー!?
ここまで語られたところで、再びロケット開発の話へ。
世界一になったM-Vロケット。
世界一を超えるイプシロンロケット。
50年前の糸川先生の「ロケット飛行機」構想こそ、未来のロケット(ロケット飛行機は未だ世界中で誰も開発に成功していない)。
イプシロンが目指す「簡単に打上げられるロケット」こそ、これである。
簡単に作れるロケットとは。
「ガンプラ方式」プラモデルのように小さな部品を一つにまとめてしまい、3Dプリンタでも作れるようにする。
固体燃料にも工夫をこらし、現行の職人が一発勝負でケーシングに一気に流し込んで焼き固める方式から、チョコレートのような半練り状の物として、製造工程でもやり直しが効く方式とする(熱を加えて固める、から熱を加えて溶かす、へ。発想の逆転)。
発展し続けるイプシロンロケット。
2号機以降では性能を30%アップ!
「アポロ方式」から「イプシロン方式」へ。
失敗したくないという考えは、失敗を恐れ何もしない事になる。
だからロケットの打上げ方式はアポロ計画の頃から50年間、何も変化がなかった。
大勢の人が集まって人力での確認作業を経て、クタクタに消耗しての打上げから、コンピュータが自己診断してノートパソコン数台で打ち上げる打上げへとイプシロンロケットは進化した。
「でも、僕自身はアポロ方式の、大勢でワイワイ大騒ぎで打上げる、お祭りみたいな打上げが大好きなんだけどね…
それでも、変えなければダメだと決断しました」
感動して夢が見つかったら、あとは「ねばり」が必要。
「イプシロンロケットは、夢を乗せて、希望を推進力にして、飛んでいった…らしい(笑)」

…以上、およそ1時間半にわたって優しい表現で、それでも熱く、時にユーモラスに、時にロケットとタイガースへの愛を感じさせながら語って下さいました。
明日の日本のものづくりを担う工業高校の生徒さんたちにも、きっと大いなる糧となったろうと思います。
森田先生、わざわざ八代で講演して下さってありがとうございました!
そして、講演を実現して下さり、部外者も快く招き入れて下さった八代工業高校さん、ありがとうございました。