梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

花見とジェンカ

2021-03-31 11:01:24 | 雑記
昭和40年頃、江東区亀戸にあった日立製作所亀戸工場と言う所で働いていた、今は都営の亀戸中央公園となっている、
新聞の臨時工募集を見て静岡から応募し15歳の秋から19歳まで職工として働いた、
高度成長時代の始まり頃で給料は安かったが労働組合と会社は闘争を繰り返してはいたが深刻な闘争関係ではなく電機労連の関係で何度かストライキもあったが基本的には毎年昇給があり福利厚生は手厚かった、
「金の卵」の時代で今では考えられないが都内にも大きな製造工場もあって中卒の男女が寮生活をしながら働いていた、
厚生課では若い働き手の福利としてレクリエーションを推奨し組合でレクリーダーと呼ぶメンバーを選んで春夏秋冬色んな催しを推奨していた、
自分は結構こういう事が嫌いではなく組合から指名されて17歳頃から退職するまで活動をしていた、
亀戸の隣錦糸町には精工舎の工場が有って此処にはやはり多数の女性従業員がやはり寮生活をしていた、
日立の従業員は男性従業員が圧倒的に多く寮住まいは全員地方の男性だったので女性の多い精工舎の厚生課に連絡を取って合同で色んな事をやる、今風に言えば「合コン」の大規模な奴だ、
寮単位だが数棟が一緒になっているので数十人、ものによっては100人単位になってしまう事もあった、そんな大規模になったのが市川国府台公園での花見だ、
組合で寮生と言う範囲ではなく全従業員に募集し精工舎の方も同じ規模で募集したのだが予想以上に集まる事になった、
会社と組合から費用の補助をもらい、組合がデモに使う拡声器を借りてレコードプレーヤーを手配して公園管理事務所の許可を貰いバックグラウンド音楽を流す、
ちょうどこの時坂本九の「ジェンカ」と言う曲とダンスのが流行っていたので少しアルコールがまわった頃盛り上げようと流したら廻りの花見客が次々参加し輪がどんどん大きくなってしまった、
その内数百人がお濠の廻りをぐるりと回ってしまい大変なことになった、
仕掛けた自分達としては“やった!”と言う気分だったがこれからが大変だった、
何しろどんどん増えて行って大盛り上がりで止めるタイミングがつかめない、
延々と半日以上他人の花見に付き合う事になった、
最後は管理事務所に泣きついて解散してもらって機器を片付けたら暗く成りかかっていた
花の思い出だが花の景色は殆どない楽しい青春の思い出である