福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

現代人に必要な「いやし」(4) 国民病「健康追求病」

2018年03月18日 12時40分05秒 | 未分類
 人の多くは健康不安、ひいては死への不安を抱えながら生きている。
 不安を持つのは知能が高い人間の精神活動の特徴でもある。だから、不安のない人はいない。

 さらに、「人間は生まれながら身体的にも精神的にも好不調の波を繰り返しながら生きていく」のであり、常に万全という人はいない。多分いない。その一部の人が病気の状態にあると判断されるが、健康と病気との間には幅広いグレーゾーンがあり、両者は必ずしもクリアに線引きできるものではない。むしろ病気の方は少ない。病気としてもその範囲はピンからキリまであり、大部分の方は軽症である。

 その健康不安を前向きに考えて、自分で健康を保とうとする努力は評価しなければならない。その判断に最良の道具は、自分の五感、経験し積み重ねてきた健康観、人生の蓄積である。それによってかなり不安は回避されるだろう。ただ、座して健康になる方法などない。
 自立、自助を尽くした上で、それでも及ばなければ医師に相談するのがいい。
 最終的には医療が発達した現代、自分の健康状態の一部をより客観的に評価するために健診や人間ドックを受けるのも良いだろう。

 多くの不安は、無知から由来する。正しい健康情報を得て、それから学べば不安の解消に結びつく筈であるが、私の目から見て寧ろ逆効果になっている。健康をテーマにした記事、特集が新聞テレビで日々提供される。週刊誌、健康雑誌で毎号のように取り上げられる。あふれる健康情報がわが国の国民病「健康追求病」の背景になっている。

 その原因は
■健康情報・医療情報を提供する側の問題
  健康不安の時代、健康関連を取り上げると売れる。
  専門家、識者なるものが誰にでも当てはまるような一般論をとくとくと提供する。
  その際、提供うける側の理解力を理解していない。
  一般人を相手にしているから自信満々自説を展開する。
  その際、アドバイスとして多少脅しに繋がるような結果を示す。
  この様な情報提供が、不安醸成の因になっているとの自覚が無い。
  大学教授や医師はの情報やコメントは間違っていないのだろうが、一般人を対象とした情報として殆ど不適な場合がある。

◾️提供を受ける側の問題
  提供された情報を理解する医学知識がほぼ皆無。
  不安をベースに、わるい方向で解釈する。
  情報が不安と混じり合って一人歩きし、不安が増殖する。
  誤解した情報を矯正してくれるような相談者が無い。

 健康情報関連に登場する識者個人個人には責任が無いが、自分の提供する医療情報自体が健康不安を高める一翼を担っているのでは無いか?と考えないのだろうか。
 あふれる情報が人々の不安やストレスを育んでいる。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 嫌音権2018(6) ヘッドフォン... | トップ | 現代人に必要な「いやし」(5)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

未分類」カテゴリの最新記事