福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

ベイカーベイカーパラドクス(baker-baker paradox)(2)ある初老夫婦の会話

2011年05月07日 11時52分23秒 | コラム、エッセイ
 私は認知症にそう詳しくないが、身体的に問題のある認知症の方々を多数受け持っている。
 認知症と言ってもそれは結果であって原因はいろいろある。最も有名で頻度も高く患者もよく口にするのはアルツハイマー型認知症である。原因疾患によって異なるが、診ていると、認知症によって失っていく知的分野、感情の分野にはある程度の順序があるように思える。固有名詞や家族を含む人間関係、清潔の概念、排泄などは人間の発達史の中では付け足し的な軽い分野なのかもしれない。

 健忘症と認知症の物忘れは違うものだと教科書には書いていて実生活上でそれほど実害がないのが健忘で、そうでないのが認知症による記銘力低下とされている。私も講演などではその違いを強調してご高齢の方達を安心させるのだが、心底では両者には共通の点も少なくないと思っている。

 家庭内では各人の行動パターンがほぼ同じであることと、日常生活を通じて家族同士が互いに物事の概念を共有しているから些細な表情やしぐさを交えて会話すれば特段固有名詞を用いなくとも会話は可能である。「ホレ、いつものアレを取ってくれ・・」で通じる。しかし、非日常的な分野、業務の範囲ではこれが通じないから記憶力の衰えは周囲も気づくし、本人は自信を喪失する。この様な経験をした方は物忘れを気にして早期に受診する様になってきた。検査しても殆ど異常が出ないのが通常であって「トシですね・・」と慰める。今後更に高齢化が進む。認知症についての知見が一層進み、早期診断、治療法の実現が望まれるところである。

 ある時、家内がTVでN響を振っているある指揮者を指して「アレ誰だっけ」と私に聞いてきた。いつもなら顔を見れば直ぐ分かるはずだがど忘れなのだろう、名前が出てこない。「元モントリオール響の常任で・・、今はフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督してて・・、元N響常任で今は名誉指揮者だよ。アルゲリッチの夫でもあったし、フランス音楽を得意としていて、私も何年か前にN響で実演を聴いたが、とても良かったね・・・」と、うろ覚えの知識を総動員して説明しながら、頭の中では必死に名前を思い出そうとしたが、ついに説明の種が切れた。「フーン、大したキャリアなんだ。で、名前は何て言うの?」とまた容赦ない。それほどこの分野に興味を持っているわけでないのに、今日は何かしつこい。
 そのうち思い出すよ、と話題を替えた。喉元まで出かかっているし、本で調べれば数分で分かることであるが、私自身の為にもならない、と意地張って考えて考えても出てこなかった。思い出すのに3日かかった。「あの指揮者はシャルル・デュトワだったよ、やっと思い出した」と喜びと共に告げたら「え、何のこと?」と彼女は話題にしたこと自体を忘れていた。

 マア、私共はまだ認知症レベルでは無かろうが、初老夫婦間で交わされる情けない会話の一コマである。
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1 コメント

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実にためになります (大江)
2013-12-10 16:10:36
偶然、ベイカーベイカーパラドクを検索して、たどり着きました。実に面白いですね。ただアーカイブから紐解くのには、あまりにも膨大!検索窓が必要ですね。

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