私は1965年(昭和40)新潟大学に進学し、6年間盛岡⇆仙台⇆新潟と往復した。
当時、東北本線は蒸気機関車、磐越西線はディーゼル車で片道約10時間の行程であった。座面はクッション付きの布張りであったが背もたれは硬い木製、直角に固定されていて、長く座っていると身体が痛くなったものである。当然冷房などはなく夏場は大変であった。この辛かった移動の時だけ新潟大学に入ったことをしみじみ恨んだが、勉強不足の身では止むを得なかった。
この辛い往復の際の最大のオアシス、贅沢は本をたくさん読めることと駅で冷凍ミカンを購入して時間をかけて食べることであった。
ミカンは季節性の果物で冬から春頃にしか販売されていなかった。これを通年販売できる商品にしようと大洋漁業と鉄道弘済会の共同開発で冷凍ミカンが製造された。昭和30年-40年代が出荷のピークで、売り上げは年間1000万個にも達したという。
列車の中で冷凍みかんを味わったのはいま70-80代前後の人達だろう。
冷凍ミカンは、この世代の旅行のちょっとした楽しみのシンボルであった。
冷凍ミカンを思い出す時、当時の列車の様子がありありと甦ってくる。座席が確保できた場合はまだいいが、当時の列車は遅かった。列車が混雑すると人々は床に新聞紙を敷き座ったものである。
当時は駅弁は贅沢品で長旅の場合殆どがおにぎり持参であった。ペットボトルがなく車内の飲み物といえば、急須の形をした陶製の容器に入ったお茶だけだった。当時15円だった。
そうした中の、楽しみが冷凍ミカンだったのである。ガチガチに凍って直ぐには食べることができないが、やがて食べごろ時が来る。時々触っては食べごろを探るが冷凍ミカンは半解凍状態の「ショリショリ感」にあったが、美味しいシャーベット期は短かく、その後はただの冷たいミカンになってしまう。
冷凍ミカンって随分冷たかった。これは、美味しいか否かの基準を超越した、超貴重な味であった。だから、忘れられない。
私は今でも時々冷凍ミカンを作って当時を思い出し、楽しんでいる。
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