福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

究極の就活(11) 日本が抱える懸案事項(4) 高齢社会対策大綱

2024年11月17日 08時47分03秒 | コラム、エッセイ
 政府は令和6年9月13日今年度の高齢社会対策大綱を閣議決定した。

 その中では社会保障制度の不断の見直しが不可欠と強調。
 具体的構想として以下が骨子となっている。
●「働く高齢者」を増やす 
●後期高齢者医療の窓口負担3割の拡大 
●そのほか種々・・・・・

 はっきり言ってこれらの改革では我が国が抱える少子高齢化には焼石に水程度の効果しかない。 
 今回の衆院選で、与野党ともに意味ある改革案は提示がなく、ばら撒き案(支出)は各党も盛んに主張したが、国の収入増には言及なかった。収入増を考えない、あるいは経費削減案を考慮しないバラまき政策は日本の将来にとって片手落ちである。

 以下に今年度策定した高齢社会対策大綱を抜粋して掲載する。
-----------------------------------------------------------------------
(1)年齢に関わりなく希望に応じて活躍し続けられる経済社会の構築
(2)一人暮らしの高齢者の増加等の環境変化に適切に対応し、多世代が共に安心して暮らせる社会の構築
(3)加齢に伴う身体機能・認知機能の変化に対応したきめ細かな施策展開・社会システムの構築

就業・所得について
(1)年齢に関わりなく希望に応じて働くことができる環境の整備
① 高齢期を見据えたスキルアップやリ・スキリングの推進
② 企業等における高齢期の就業の促進
③ 高齢期のニーズに応じた多様な就業等の機会の提供

公的年金制度の安定的運営

(3)健康・福祉
① 生涯にわたる健康づくりの推進
② 介護予防の推進

(4)持続可能な介護保険制度と介護サービスの充実
① 地域包括ケアシステム構築の深化・推進
② 必要な介護サービスの確保
③ 介護サービスの質の向上
④ 仕事と介護の両立支援

(5)持続可能な高齢者医療制度の運営
(6)認知症施策の総合的かつ計画的な推進
(7)人生の最終段階における医療・ケアの体制整備
(8)身寄りのない高齢者への支援
(9)支援を必要とする高齢者等を地域で支える仕組みづくりの促進
・・・・・・・・
 これらの項目は確かに高齢者対策の要となるものであるが具体的方策を伴っていない。項目だけの施政方針のレベルを超えていない。

 2025年問題一つをとっても何か具体的対策をするのかよくわからない。
 




究極の就活(10) 日本が抱える懸案事項(3)  2025年問題

2024年11月16日 09時45分08秒 | コラム、エッセイ
 2025年は医療・介護問題で激震が起きる年である。
 人口の4分の1が後期高齢者になる年である。

●65歳以上の65~74歳の前期高齢者が→人口の約3.3人に1人
●75歳以上の高齢者→人口の約5.6人に1人
●認知症の増加。高齢者人口の20%にも
●介護施設不足や介護人材不足(37.8万人)、2040年介護人材57万人不足
●医療・介護保険費用費増大し国家経済を圧迫する。
●労働人口が減少し経済は一層厳しい状況に(老若戦争が起きるかも)
● 病院数の減少
● 在宅看護や地域医療のニーズ増大 介護浪人、在宅介護の時代に逆もどり。
 
  医療の2025年問題とは、高齢者の増加や医療の担い手の不足により、この年以降日本の医療体制・看護体制が維持困難になっていくことである。医療・介護を必要とする患者が増える一方で、医療従事者や医療施設、介護施設が減少していく。

 費用の高騰が懸念されているのは、医療だけではない。
 2025年問題では、介護にかかる費用も増加することが予想されている。財源が不足してしまうことが懸念されている。
 
 さらに、費用面での問題だけでなく介護を請け負う人材や設備が足りなくなり「介護難民」の発生や、高齢者同士が介護をする「老々介護」が増加することも懸念されている。

(厚労省資料による 某税理士法人の作図を借用した)

 この図を分数に例えるならば、厳しい将来像を解決するには、少子化で分母の増加が望めない以上、分子の高齢者を減らすことが肝心、ということになるが、これは不可能な妄想でしかない。




究極の就活(9) 日本が抱える懸案事項(2)

2024年11月15日 11時11分58秒 | 人権問題
■社会保障、医療
 医療・介護を含む社会保障は資金と、それを担う人材が必要な部分である。
 したがって、少子・高齢化、人口減によってモロに影響を受ける分野。現状での政府の方針からは将来像は全く見通せない。

 ●年金
 日本経済の低迷による資金難のため難しい。将来的に何とするのか。国には腹案があるのか??
 それすらわからない。

 ●医療・介護など
 日本の医療は国民皆保険のもと世界一という評価であった。その名の下に私は高齢者に対して無駄な医療がなされている、と思う。高齢者医療における各種検査、投薬など過剰である。

 高齢者に必要なのは介護>>医療である。高齢者福祉のためには、異論はあると思うが、私は医療部分を薄くし介護部分を厚くする必要がある。
 しかしながら、民間の介護業界、医療機関の経済基盤は極めて脆弱。特に、本年政府が通所訪問介護費用を低減したこともあって在宅介護事業所倒産が増えている。このままでは在宅介護は崩壊する。介護保険制度前のレベルに逆戻りする可能性が高い。行き場のない介護浪人が増え、家族の負担が増えていく。

■自然災害+人為的災害
 地震、温暖化、異常気象など懸案は並ぶ。
 地方は過疎化が進む。能登地震でも困難を極めている。被災者にはお気の毒であるが、過疎の状態で復旧しても生活再建が困難となる。これからは復旧でなく、新しい発想と将来を見越し、機能的な復興策がとられなければならない。

■防衛
 一言でいえば「日本は非力」である。自国を自分達で守れない。人口減、財政不足の中日本の防衛機能は低下する。
 中国軍の戦闘機数は日本の3.7倍、戦闘艦艇1.5倍と評価されている。
 第一は対話による外交、紛争防止であろう。防衛に関しては日米同盟を欠いては語れない。多国間の協調による防衛システムの確立だろう。アジア版NATO構想は現実味が乏しい。
 台湾海峡の安定は大事。米中がぶつかれば大戦争になる可能性が高い。

■国際関係 
 目指すは国際協調。
 自国主義の横行。日本の立場は経済力後退でより小さくなっていく。 
 
 トランプが返り咲き、日本に関税負担、防衛費負担を求めてくる可能性は大きい。
   
■そのほか教育など諸々・・・・

 とにかく、老人問題の解決で少しでも財力確保が必要である。
 このままでは若者の生活が破綻する。

究極の就活(8) 日本が抱える懸案事項(1)

2024年11月14日 05時37分38秒 | コラム、エッセイ
 日本が抱えている懸案事項も枚挙にいとまがない。
 ほぼ全ての事項は予算の裏付けを要する。経済が低迷していく中、どのように解決が図られていくのだろうか。

■少子化問題
 我が国の少子化は国の根幹を揺るがす超重要事項である。しかしながら、40歳以下の女性がここまで減少してしまい、若者たちの結婚意欲も乏しくなって婚姻率が大幅に低下した現在、もう不可逆レベルである。 
 しかしながら、子育て支援対策は重要である。従来、国が殆ど注目してこなかった分野であるが、健全な子供たちの育成、若い女性たちの社会参加のためにも重要課題であることは確かである。
 
■高齢者問題!!!! 
 高齢者対策、特に社会保障は今後の日本のあり方を左右する重要課題である。
 高齢化、高齢者数の今後もうなぎのぼりである。政治的対応、社会のあり方の検討は重要であるが、政治的判断は決して容易には進まない。
 私は高齢者ひとり一人の人生観・死生観の醸成なしではこの問題は解決しないと思っている。

■経済 
 政治的政策実行には必ず経済的裏付けが必要である。そうでなければ理想論だけにとどまる。
 我が国の社会の活性化のために必要な予算は毎年赤字国債発行(借金)によって賄われている。

 我が国の運営のために現状の行き方しかないのか、私にはコメントできないが、増大化する支出面の縮小を図ることも同時に検討することも必須と思われる。
 国債の発行残高は昨年の段階で約1200兆円、しかも年々増加している。日本のGDPは2位から4位に後退している。  
 
■食料危機
 国際的に食料は逼迫している。現在、食品は戦略物質化している。食料産出国も自国の国民の要求、需要に回す自国主義が台頭しつつある。今までは我が国は資金力を背景に食品を獲得できてきたが、今後は厳しくなる。

 現在39%の食料自給率の向上が必須。しかし、食料獲得を輸入に頼ってきたために食糧生産の現場は疲弊化している。今後の農業政策が問われていく。

■エネルギー問題
 2018年の日本のエネルギー自給率は11.8%(2010年20.3%)で低水準。化石燃料は輸入に頼り、依存度は85.5%。
 我が国の再生可能エネは開発当初は世界の先端を走っていたが、化石燃料が比較的安価に輸入できたことから十分産業化できずにすっかり後塵を拝した。殆どが中国製の機器に頼っているから発電コストは化石燃料より遥かに高い。一方、中国の再生可能エネルギーは飛躍的に伸びている。




究極の終活(7) 高齢者問題に経済問題を絡める

2024年11月13日 05時58分46秒 | コラム、エッセイ
 私の目から見て高齢者問題の要は経済問題を共に論じなければ片手落ちのように思われる。もし、日本が潤沢な税収があり高齢者に、社会保障に制限なく予算をつけられるのであれば別であるが、この数10年、日本経済は低迷し、国家予算は少ない原資の奪い合いで配分され、収入の不足分は国債の発行で何とか賄われている状態である。
 
 今回の衆議院選挙の論点でも高齢者対策、社会保障を真っ向から論じることはなかったし、林立する野党のどれからも重要な高齢者対策の案は提示されなかった。いやそれ以上に、収入源を考えないバラ撒き政策だけが提示された。政治家の考え方はズレているとしか言えない。

 下図は社会保障給付費の推移を示しているが、高齢化とともに右肩上がりに増加している。どこまで増えるのだろうか、どこまで増やしていくのであろうか。

(厚労省の資料による)

 下図は国家予算における社会保障費の割合を示している。黄色で示されているが社会保障費の国家の歳出で、37兆円、33.5%も占めている。ちなみに灰色で示されている国債の償還費用、主に利子の負担であるが27兆円、24.0%も占めている。
(上記は財務省の資料による)

 実際の社会保障給付費は加入者の保険料とかからも歳出されており、2023年の給付額は国家予算より多い138兆円にものぼっている。
 このままではこれがどんどん増えていく。

 将来、少子高齢化は一層進み、百寿者は20万人にも達する。この社会保障に関する費用の抑制なしでは我が国のあらゆる懸案事項が資金不足で立ち行かなくなる、と危惧する。

 この社会保障に関する費用の抑制の一方法の私案が表題の「究極の終活」の主眼である。


「究極の終活」(6) 百寿者について

2024年11月12日 05時04分15秒 | コラム、エッセイ
 厚労省は、100歳以上の長寿者(百寿者)に関する統計を毎年9月に発表している。2024年9月時点の住民基本台帳によると、百寿者人口は95.119人となった。女性が87%を占めている。百寿者は約8割近くが要介護状態、寝たきり状態にあると推定されている。

 私は長寿化は文化・文明のなせる技と思うが、決して人間にとっていいことばかりではない、と思っている。
 ここで一句
 ●寝たきりを今年も増やして世界一
 ●延命治療でいのち伸ばして世界一

100歳以上の人口の推移
(期間:1963年~2024年)
(厚労省の資料から引用)

 近年「百寿者」が急増し10万人規模に達しようとしている。
 驚くばかりの長寿化であるが、この数値は通過点に過ぎない。今後さらに「百寿者」が増えていく。

将来「百寿者」が当たり前の時代へ
 今年の百寿者人口がほぼ10万人になったことも驚きであるが、今後の百寿者の増加を考えると日本の社会がどうなっていくのだろうか?と一抹の不安のみならず深刻な不安を感じざるを得ない。
(厚労省の資料から引用)

 百寿者は2047年に53万人、2050年には66万人と推定されている。今年の5-6倍にも達してしまう。百寿者の問題だけではない。高齢化率は現在29.1%であるが2050年には37.1%になると予測されている。

 このような「百寿者」が当たり前の時代、高齢化が進んだ状態で日本の社会はどうなっていくのだろうか、先を見る力が乏しい私などには考えが及びもつかない状態である。

 社会構造のみならず国の経済状態も不安になる。
 なのに、社会は平穏である。政治的にも高齢者問題は主たる課題にはなっていない状況である。
 



「究極の終活」(5) 高齢者の特徴と最も欠けている点

2024年11月08日 04時16分08秒 | コラム、エッセイ
 高齢者は退化する。当然である。
 その特徴をざっとあげると、●鈍くなる、●ボケてくる、●緩くなる、●愚痴を言う、●淋しがる、●同情を引きたがる、●ケチになる、●身なりにかまわなくなる、●孫自慢に、病気自慢に、元気自慢・・・とても挙げきれない!!!

 私も十分高齢になったから上記の特徴をかなり備えているが、●愚痴を言う、●ケチになる、●孫自慢に、病気自慢、元気自慢・・・などはない、比較的的悪くない老い方をしている、と思っている。

 私が高齢者が最も抜けている点としてあげたいのは以下の点である。
 ●70年以上も生き、まもなくお迎えが来るのに、その時のことを全く考えていない。
 ●まもなくお迎えが来るのに心の準備すらしていない。
 ●自分がどこで死ぬのだろうか?? 一切考えていない。
 ●全て成り行き、人まかせ。
 ●終活もしていない。

 高齢者たちは長い人生を通じて生老病死に関する体験も少なくないはずである。
 家族の死、友人の死、ペットの死、東日本大震災などの自然災害による死などなど、悲嘆に暮れたことも少なくなかろう。

 それが自分の最期の場合にはどう処すべきなのかイメージもしていないのではないか、私の目から見てほとんど心の準備さえもしていない、ように見える。私は今も非力ながら高齢者医療の一翼を担っている。その立場から見ての感想である。

 児童文学者・吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、1937年初出版の日本の小説。コペルというあだ名の15歳の少年とその叔父が、精神的な成長、貧困、人間としての総合的な体験と向き合う姿を描く。戦後になって語彙を平易にするなどの変更が加えられ長年重版された。

 同書は2017年には羽賀翔一による漫画化『漫画 君たちはどう生きるか』がマガジンハウスから出版され、2018年3月には累計200万部を突破した。また、
2023年には宮崎駿監督の10年ぶりの最新映画もある。

 私はこの本を愛読者の一人である。
 この本は「子供たちに生き方や人生の意味を考えさせる」作品なのだが、この書名の問いは、むしろ今のシニア世代にも問われるべき、と思う。

 「高齢者よ、貴方達はどう生き、どう逝きたいのか!!!」と。

 一方では高齢者向きの終活まで含めた人生のガイドブック、講演会なども殆どないのも事実である。高齢者医療の現場、高齢者施設の実態なども知る機会がない。
 これは残念なことである。



「究極の終活」(4) 寿命について

2024年11月07日 06時37分43秒 | コラム、エッセイ
 日本は高齢化社会で寿命は長い。
 寿命については何といっても「平均寿命」が有名で誰でも知っている。

 寿命の指標には以下がある。
「平均寿命」は今年生まれた0歳児の「余命」のことで疫学的・統計学的指標で毎年発表される。国際的に比較しやすい指標であるが、関心を持っている方々に直接関連ある指標ではない。
(Yahooニュース「平均寿命」の誤解と「平均余命」を確認する(2023年公開版)より借用)

「平均余命」は、各年齢に達した人たちが、その後平均して何年生きられるかを示した年数です。高齢者に残っている寿命で、「平均寿命」よりは長い。まだまだ生きられるが、長命は必ずしも良いことだけではない。
(上記と同じ)

 ▼「健康寿命」は下図のブルーが示す期間で「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義され2000年にWHO(世界保健機関)が提唱した。「健康寿命」を如何に延ばすかに関心が高まってる。
(厚労省資料より借用)

「不健康寿命」は上図の緑線で示される「健康ではない期間」を意味する。「不健康寿命」は私が用いている仮称であるが、「自分だけでは生き難い状況で生活に介護を、いのち維持に医療を要する状態」を示す。 

 我が国の高齢化が急速に進む中、国民一人ひとりの生活の質を維持し、社会保障制度を持続可能なものとするためには、平均寿命の伸びを上回る健康寿命の延伸が重要である。加えて「延命治療」についての考え方が重要な鍵を握る、と私は思う。


「究極の終活」(3) 私の終活の進行状況(2)

2024年11月06日 04時24分13秒 | 近況・報告
(5)墓をどうする
 家内は「私と一緒の墓には入りたくない」との意向のようであった。私はその理由については恐ろしくて追及できない。今夏の墓参りの際、子供達を交えての話し合いで、「骨には霊魂は宿ってないのだから各所に分散するのは良くない・・」との説得の結果、私と同じ墓に入ることに同意してくれた。墓はしばらくは子供達が維持してくれることになったが、いずれは墓仕舞いすることになるだろう。

(6)相続、遺言作成
 秋田銀行の関連部門のスタッフと協議を重ねて来たが、複雑怪奇で何ともなり難い。最終的に税理士に依頼することになった。近々、遺言書も作成する予定で現在それ用の資料を集めている段階である。
 11月10日のゾンタの講演終了後に進める予定である。

(7)老後の資金の整理
 (6)とも関連して資料を検討中であるが、まだ現役で働いているからそう大きな問題は生じないと思われる。

(8)交友関係の整理
 2011年の現役引退後は自分自身の発言や行動を恥じて人間関係、人付き合いなどのほとんどを整理した。業務以外での他人との接触はほとんどない。

 項目とすれば、
 ●演奏会、講演会等、人が集まる集会には出ない。
 ●新潟学士会をはじめ不要と思われる会などから脱会した。まだ若干残っているが整理しつつある。
 ●日本血液学会など学術学会からの脱会。残っているのは日本内科学会のみ。 
   ●義理・人情など無視。冠婚葬祭などは全て無視
  近年お世話になった方々、教授の方々、諸先輩、後輩も含めて訃報に接することが多いが、全て失礼させていただいている。       
 ●誰かが困っていても頼まれなければ無視する
 ●他人に期待しない 
 ●などなど・・・・

(9)エンディングノートの作成
 2001年以降の綴ってきた当ブログが、まとまりは欠くがその代用となる。

(10)などなど
 内臓より運動機能、移動機能の維持を念頭に日常のスケジュールの中に歩行の機会を取り入れている。
 2020年9月、運転免許証を返納したがちょっと早まった決断であった。たとえ日常的には運転しなくとも、何かの際には運転できるという資格は保持しておくべきであった。早計であった。反省している。



「究極の終活」(2) 私の終活の進行状況(1)

2024年11月05日 03時27分14秒 | 近況・報告
 私の終活のきっかけは2011年の東日本大震災、2012年の脳梗塞罹患である。
 前者では被災地の瓦礫の状態から、私の物欲を反省して主としてハード面での整理を始め、後者ではソフト面の終活を開始した。

 死ぬ日が近々に迫っていれば急ぐのであるが、その日がいつなのか全くわからないので遅々として進んでいない。
 「究極の終活」(1) の項目に沿って私の現状をまとめたい。

(1)住居を含め、物品・持ち物の整理、デジタル遺産の整理
 今の住まいは1979年築のプレハブである。築後45年であるが、水回りを含め問題はない。まだまだ住めるのでこのまま朽ちさせるのは勿体無い。今回終活の一環として屋根・外壁の塗装を行なった。台所のリフォームは進行中である。

 物品・持ち物の整理としては書籍の整理、オーディオ関係の物品の廃棄が終了した。他も毎週毎週、時間を見つけては整理廃棄しているがまだまだである。

 デジタル遺産はないが、通帳やカードの整理、各種のパスワードの廃棄と整理を行なっている。

(2)医療や介護への意思表示
 延命治療拒否については各所で宣言済み。あとは家族たちの判断と医療関係者の判断に負うだけ。

(3)財産の管理・整理
 現在進行中。方法がよくわからないので思い切って税理士事務所に契約しようと思っていて、現在その下準備中である。

(4)葬式の希望
 自分としては葬式はなくても良いが、判断は家族であろう。多分病院とかで死ぬと思われるが契約した葬儀社の遺体安置場を借用して翌日の火葬、すなわち直葬がいい。後日、岩手の田舎の菩提寺で家族だけで弔う家族葬程度は容認する。葬儀に関して他人の参加は望まない。

 近々葬儀社に確認を取る予定である。棺桶は安物で、かつのぞき窓のないタイプ、または釘付けしたのがいい。私は極度の恥ずかしがりだから死顔など誰にも見られたくない。




「究極の終活」(1) 終活とは

2024年11月04日 06時13分13秒 | コラム、エッセイ
 終活が注目されるようになった背景には少子高齢化 、生活環境の変化、家族構成の変化などが関係している。

 自分の長い人生の蓄積が次世代の後継者たちに受け継がれない自己完結型が主流になってきている。自分の蓄積は、特に物品なども含め自分の人生そのものであるのだが、自分で処理していかねばならない時代になった。
 
 こうした状況から高齢者自らが自分の死後のために備える必要が あるという考えが増え、終活に関心が集まるようになった。 

 終活は、「遺された家族や周囲の人に苦労をかけない」ことも目的の一つであるが、それだけでなく「自分自身のために行う前向きな活動」でもある。終活はこれまでの人生、残りの人生をより充実させるためにも大切な活動である。

 この時代、終活を進めておかなければ自分の死後どう処理されるかわからない。だから、終活は「安心して死を迎える」ための準備ともなる。

 終活の代表的項目
(1)住居を含め、物品・持ち物の整理、デジタル遺産の整理
(2)医療や介護への意思表示
(3)財産の管理・整理
(4)葬式の希望
(5)墓をどうする
(6)相続、遺言作成
(7)老後の資金の整理
(8)交友関係の整理
(9)エンディングノートの作成、次世代に残したい意思・伝言などがあれば
(10)などなど

 生まれてきた時には掌には何んにも握っていなかったのに、長い人生の過程で多くのしがらみ、物品を得てしまったものだ、と思う。

講演会の依頼があった

2024年11月03日 06時52分29秒 | 近況・報告
 秋田ゾンタクラブから講演の依頼があった。
 まだ体調が捗々しくない9月の中旬頃、10月中旬頃に開催される「健康セミナー」??で講演をお願いしたいとの申し出であった。

 私はこのゾンタの会で講師を務めるのは、今回引き受けるとすれば恐らく4回目になる。一般的にこのような催しの際に講師の選択と依頼には難渋するというが、ゾンタでも同様であろう。そのために私に依頼が来るのだろう。はたして高齢の演者などの講演を聞きにくる方もいるのだろうか、と訝ってしまう。

 体調不良のおり、準備期間が1ヶ月もない状態での依頼でそのままの形でお引きするにはちょっと問題があった。私からは準備期間をもう少し欲しいこと、演題名としては「終活」で、内容的には「高齢者の終末期に行われる延命治療について考えよう」で良ければお引き受けします、と返答した。

 最近この分野で自分の考えをまとめつつあったが、この講演を機会に完結させようとズルく考えた。

 結果的に私の希望が通り、以下のごとく講演を行うことになった。


 今後、今までの記述と重複するが、このブログ上で改めて論旨を展開しようと思う。

当HP「これからの医療の在り方 徒然日記」24年目の雑感(2)

2024年11月02日 10時34分59秒 | 近況・報告
 昨年とほぼ同じだが・・・
   私は何故ロクに読まれもしない駄文を日記として綴り続けているのか?

 それには、私だけの事情がある。

 ■私の日常記録は、3回経験した警察の職務質問かがきっかけ。
 ■継続は力なり
 私はこの言葉が好きで、継続している第一の理由がこれ。今年は体調を含め周辺の事情から継続し難くなり一時更新をやめていた。が、これを完全にやめる時、私の人生が次の世界に移る時であろう、と思い直した。

 ■記録せねば記憶が保持できない
 私の記憶装置、すなわち「脳みそ」が劣化して記憶の蓄積や保持が困難になった。記録がないと直ぐに忘れる。忘れてしまえば、自分の過去は全て無になる。徒然日記は、私が生きて来た証しになっている。記録はハードディスクに蓄積する。その代わり頭は空っぽ。

 ■忘却防止のため
 思うだけ、考えるだけではすぐ霧散する。だから気になったことは文章化しておく。文章化することで考えが固定される。点を線に変え、さらに面に変える行為である。

 ■生活記録、ミニエッセイは自史的資料としても貴重
 私は日々の記録を蓄積するのが好きだ。文章、画像、音楽など、読後の感想など。覚えきれないからほぼ全てを電子的に蓄積する。

 ■自分だけの、毎日の小さな積み重ねを楽しむ
 今は嘱託医として細々と診療を続けている。読書などに使える時間が減った。読書量も減った。購入した図書はすぐに自炊するから書棚には並ばない。パソコン、iPadの電子書棚に並ぶ。

 ■家族達の動向を楽しみ、飼いネコたちとの日々を楽しみ、畑作や園芸を通じて自然現象の移ろいを味わう。

 ■興味の対象は、歴史、文化、政治・経済、国際問題、自然・・、と今でもまだ広がっていく。先人達の足跡は偉大である。それらに少しでも多く触れてみたい。新聞、文献、書籍を通じて味わう日々は最高。

 ■自分の弱気、意欲低下、体力低下に抗する毎日
 私は人と競争・抗争は好まない。対話も好まない。だから、引きこもり状態である。最近は意欲の低下からなんでも安易な方向に流れる傾向がある。もちろん、背景には老化による身体上の問題点、例えば下肢の衰え、バランス感覚の減弱も意識する。気力を維持できる時間も短くなった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 などなど。

 自分に残された時間はそう長くはないのではないか、と思う。

 このHPの更新はいつまで出来るか分からないが、私の気力、体力の総合的バロメーターである。

当HP「これからの医療の在り方 徒然日記」24年目の雑感(1)

2024年11月01日 08時55分03秒 | コラム、エッセイ
 当ホームページ「これからの医療の在り方」は、2001年11月1日に開設したので本日満23年を迎えた。
 最近更新が滞っているが、体調も改善したので再開を考えている。

 本日は24年目のスタート日。私にとってちょっとした記念日に当たる。
 抜粋版「雑記帳Blog」は満20年目である。
 
 24年目の雑感
 変化に乏しい日々の積み重ねであったが、体調不良が続いている。
 (1)一昨年10月「大腸憩室から出血」し入院。幸い大事に至らなかった。

 (2)昨年5月には「急性心不全による呼吸不全」で入院治療した。今度こそ遂にダメか??と覚悟したがこの時も幸い大事に至らなかった。心臓に負担をかけないようゆっくり行動することでほとんど自覚症状はない。

 (3)本年5月には強度の食欲不振で5Kgほど体重減少した。最終的には十二指腸潰瘍が見つかって潰瘍治療薬を服用し2ヶ月ほどで改善したが、主たる原因は不明であった。 

 (4)本年9月には急性気管支炎と喉頭炎で咳嗽に悩まされた。1.5ヶ月ほどかかって、最近やっと改善した。

 今回も、私はつくづく「運がいい」人間だと思う。過去の「脳梗塞」「腸閉塞」「頭部外傷」の時も覚悟したが無事であった。何かに庇護されているような気がしてならない。ご先祖様か、はたまた初代ネコのタロか・・・・。

 私が今日も習慣的に続けていた項目は以下の如く。
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 ■ ブログは本年4月以降は更新できない日が増えた。
「継続は力なり」を座右の銘にしていたが「高齢による気力の減退」、「業務量の増加」、「体調不良」が主たる理由であった。特に9月以降はほとんど更新はできなかった。
 11月に入って体調も改善したので再開の予定であるが先のことまでは何とも言えない。
 ■ 生活記録は50年以上、うち20年分は徒然として記述しているが、これは継続中である。
 ■ 早朝に起き出す。約30年超。最近起床は3:00前後と徐々に遅くなった。
 ■ 新聞・文献スクラップ蓄積は20年超。
 ■ ラジオ深夜便連日3時間録音蓄積は15年超。そのうち6割聴いている。
 ■ 岩手へ毎月復興資金寄付は12年。最近は5万円/月程度。しかし、本年4月から寄付をやめた。事務局側の対応に主客転倒を実感したからである。
 ■ 終活、特に高齢者の延命治療についてはまとめに入りたいと思っている。
 ■ 自身の過去を反省し、準引きこもり状態10年以上。
 ■ 徒歩通勤は健康上の問題で中止しバス通勤に。
 ■ 日常的に歩行を意識。伊能忠敬の足跡を追った日本一周は現在2周目で間も無く九州に到達予定。
 ■・・・などなど。
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 終活を兼ねた書籍や文献の廃棄が逆に読書欲に火をつけた。フリーの時間は少なくなったがほとんど自炊した書籍の読書に充てている。


お詫びとお知らせ(2)

2024年10月01日 05時12分41秒 | 近況・報告
 (9月20日の記載と同文です。)

 本ブログ休止に関していろいろコメントいただいております。
 ご心配いただきありがとうございます。

 9月中旬より気管支炎、喉頭炎を中心とする体調不良に陥りました。
 なかなか改善傾向が乏しいのですが、体調も徐々に戻ってきております。

 実質的に、相対的に日常の業務量が増え、時間の確保が困難になりつつあります。 
 具体的に業務には穴を開けておりませんが、責任ある仕事を任されている以上こちらを優先せざるを得ません。
 
 状況が変わるまで一時的にブログを休ませていただいております。
 先のことはなんとも言えませんが状況が改善したら再開したいと考えております。
 
 「延命治療」に関してはまだまだ中途半端です。なんとか完成させたいと考えております。
 
 また読んでいただける日を楽しみにしております。  
 
 ありがとうございました。