福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

現代日本人の死生観(3) 延命治療(1) どこから延命治療??

2024年08月28日 04時29分37秒 | コラム、エッセイ
 自分の最期は自分で決めたいと考える動きも出てきたというが、現実にはまだまだ。ほぼ皆無である。

 助かる見込みのない患者の治療の選択については、私は患者と十分に対話を繰り返す中で「患者本人の想いを最大限尊重」したいと思っている。しかしながら、「延命でなく苦痛の除去を中心とした治療を受けたい」と明確に意思を示した患者は10人に満たない。その様な場合でも家族の意向と一致せずいつも間で悩んでいるというのが現実である。

 多くの患者の場合、本人の意向が分からないまま延命治療が始められ、長期間維持されることが多い。

 「どこからが延命治療なのか」、私は自力で生きられない状態に至った患者に対する全ての医療行為が延命治療に相当する、と考えている。

 医療の中で救命措置とされるものがある。これは迫り来る患者の死を回避するために緊急的に行われる医療のことでこれも延命治療の一つである。これらは慢性的な病気の進行による衰弱などでは適応されない。
 具体的には以下を含む。
●心肺蘇生
●気道確保と人工呼吸器装着
● 点滴    人口透析療法、輸血 など
 
  一般的に延命治療は衰弱や病気などで生命の維持が難しくなった患者に対して、回復ではなく「延命」を目的に治療することを指す。
 具体的には以下を含む。
●栄養や薬品などの投与。
●酸素療法など含む呼吸のサポート、
●リハビリテーションや清潔保持など。訓練士や看護や介護で褥瘡予防や感染症予防、身体拘縮等を防ぐ。

 患者本人が明確な意思表示をしていることはむしろ稀で、その場合には家族が延命治療の選択を問われることになる。

 患者が元気なときに「延命治療を受けたくない」等と意思を示していても、いざその状況になると家族がためらい、延命治療が開始されることも少なくない
 多くは延命治療と延命措置とを混同している場合が多い。
 
 患者家族が自分や家族の死について予め考えていることは稀である。

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現代日本人の死生観(2) 家族が決める高齢者の人生の締めかた

2024年08月27日 10時21分47秒 | コラム、エッセイ
 長い闘病の果てに、あるいは突然の事故で、家族が生死の淵をさまよう。医師から「助かる見込みはありませんが、この先の治療をどうしますか?」と言われたとき、親として、子として、配偶者として、どんな判断ができるのだろう。
 平穏な日々には想像もつかなかった過酷な選択が求められる。 

 結論を出すために与えられた時間はそう長くはない。

 家族が延命治療をどう考えるか。自分自身の問題として最期を迎えたらどう生きるか。遠い先の話と思っていても、現実の問題として何時やってくるかは分からない。今日かもしれない。

 普段からこの問題を考えてこなかった本人、家族の反応はほぼ決まっている。「できるだけ長く生きたい、生きててほしい」に帰着する。多くの患者・家族たちはよくわからないまま延命治療を求めてくる。

 延命治療といっても色々なレベルの方法がある。それについては後述する。
 どれを選ぼうと延命治療の行末は一般的に悲惨である。

 延命治療がもたらす患者の変化(改訂版)

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  1. 延命治療開始とともに急性期病院の治療対象者から外れ、療養型病院、高齢者施設に転入院、転入所を勧められる
  2. 対象者の多くは生活機能が低下し、ベット上のほぼ寝たきり、全介助状態となる
  3. 栄養を注入するチューブ等を不用意に抜かれないためにベットに手足を縛られる
  4. その結果、全身の関節が拘縮し身体が縮む
  5. 体位返還もままならず、褥瘡ができやすくなり痛みが出る
  6. 自力で喀痰喀出ができなくなるために慢性の気管支炎が生じる
  7. 喀痰の吸引が頻回になり、時には気管切開を要する
  8. 誤嚥のために肺炎、気道感染症が生じやすい
  9. 呼吸機能が低下し酸素吸入が必要になる
  10. 気道感染、尿路感染、胆道感染で高熱を発し抗生剤療法が必要となる
  11. 各種抗生剤に耐性を示す耐性菌感染症で治療効果が乏しくなる
  12. 精神活動の一層の低下が生じる
  13. 認知症は一層悪化する
  14. 不適切抗利尿ホルモン分泌が生じ低Na症になり意識障害が進む
  15. 栄養状態が悪化し、免疫能低下状態となる
  16. 全身に浮腫が生じる
  17. などなど
--------------------------------------------------------------------
 延命治療を受けてよかった・・・・という患者もいるかもしれないが、多くは徐々にコミュニケーション能力低下するため、私はそのように述べた患者にあったことはない。
 延命治療を受けさせて良かった、という家族もいるが医師としては複雑な気持ちとなる。 
 
 延命治療の行く末はこの世の地獄(?)と思う。
 患者の側の気持ちは推定するしかないが、医師の立場から見れば多くの事例について必ずしもそう思えない。

 延命治療の行く末はこの世の地獄(?)と思う。



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現代日本人の死生観(1)  自分の人生の締めかたを考えよ

2024年08月26日 06時04分07秒 | コラム、エッセイ
 人は生まれてくる時は何もわからない。
 気付いたら人間に生まれていた・・ということ。しかも、多くは手厚い庇護の元に大切に育てられ、成長していく。この辺のことは千差万別であり十把一絡に論じることはできないが、あえて常識的な論旨で進める。

 「気が付いたら、自分はたまたま人間の子供であった。しかも日本で、いい親に恵まれた・・・」ということがいかに幸せなことなのか、そこまで考えている人はそれほど多くない、と思う。

 私は生きとし生けるものに命の尊さを感じとり、殺生はしない。空腹の動物たちには餌を与えるが、そのルーツはここにある。空腹を抱えている動物たち、今は旭川のコイ、千秋公園のコイ、ハト、スズメ、カラスが主たる対象であるがほぼ毎日餌を与えている。
 今我が家にいるネコ共は全て飢餓状態にあった野良の親子ネコで、見かねて家にあげたことで図らずも家ネコになった。

 『じゃんけんに負けてホタルに生まれたの』(池田澄子)は意味の深い句である。

 現代の日本人の平均寿命は男女とも男性81歳、女性87歳となっている。
 80年近く生きたのならば、しかもその半分の時間は死に向かって人生を重ねていくのであるが、その過程で自分の人生の後始末のことなど自分で考えておけばいいものをほとんどしていない・・・何なんだと私はいつも思っている。

 私は今「中通リハビリテーション病院の療養病棟」で、体力的に、知的に、一人で生きられないレベルの高齢者をお世話している。私自身が衰えてきて患者と間違われることもあるが、医師としての最後のご奉仕、になるだろうと捉えている。意義ある仕事ではあるがはっきり言って虚しい作業でもある。

 人は30数歳にして体力的に、知的にもピークを迎え、その後は体力的に、知的には徐々に衰退していく。ただ、知的には記憶力とかの流動性知能は落ちていくものの、情報処理能力とかの結晶性知能は大きくは落ちないだけで自覚はされないことが多い。

 そしてガンをはじめ各種疾患の有病率はこの頃から増加していく。

 誰しも感じていることなのだろうが、あえて真剣に考えようともしない。一般的には老化の話、死の話は日常の中では禁句とされてきた。

 最終的にはヒトは自力で食事と摂ることができなくなる。私はこの時点で人は生きる限界と考えており、これ以降いのちを繋ぐには医療・看護・介護その他の力を借りて延命治療を行わなければ早晩いのちは尽きることになる。

 このような事態に至ったらどう生きるのか、どう生きたいのかは各個人に委ねられた大きな命題である。なのに誰も考えない。それが現実の高齢者の姿である。








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8/15終戦記念日(4) 終戦前夜の空襲(2) 秋田市土崎空襲

2024年08月18日 15時03分06秒 | コラム、エッセイ
 1945年8月14日夜から15日未明にかけて、米軍はB29による最後の空襲を7都市で実行した。

 日本の降伏は確実だった中で、なぜ土崎は襲われたのか。

 私は過剰の兵器・武器を生産したことの世論調整のために大量の武器を投廃棄したものと考えていたが、秋田魁新報の元記者の西村修氏(88)は、その答えを探し続けてきた、という。今回、秋田魁新報の記事で氏の足跡の一部を知ることができた。

 氏が調査したきっかけは10年ほど前、東京の古書店で1冊の洋書を偶然見つけたことで、土崎空襲に加わった米軍の通信兵、J・スミス氏の手記だった、という。マリアナ諸島グアム基地で出撃直前に受けたブリーフィングの内容を、スミス氏は明かしていた。

 「日本降伏の通告を受け取り次第、『Apple』という暗号で伝える。その時は爆弾を海に投棄し帰還せよ。」との指示であった。だが、暗号まで用意されながら、中止命令は最後まで下されなかった。

 西村氏は2018年、同僚らと渡米。議会図書館などで発掘した米側資料をもとに、ドキュメンタリー番組 「『アップル』は届かず」に結実させる。見えてきたのは、終戦前夜の米軍内の緊迫した動きだった。

 天皇臨席の最高戦争指導会議で10日2時、いわゆる「聖断」が下され、3時からの閣議で正式に承認され、直ちにスエーデンとスイスに向けて送信された。

 8月14日日本時間午後2時44分、日本の国策通信社・同盟通信(同社は1945年解散し,共同通信社と時事通信社になった)が速報する。それには「ポツダム宣言受諾の詔書まもなく公表」とあった。

 御前会議の内容はグアムにも伝わった。
 秋田に向けて出撃せんばかりだったB29  140機が、一時待機を命じられた。だが約1時間後、B29は次々と離陸した。この間どんな判断が下されたかは、解明できていない。

 飛行を続けながら、スミス氏は「Apple」のモールス信号を聞き逃すまいと、無線に全神経を集中させていた。一方、グアムで指揮をとる戦略航空軍司令官スパーツ氏と、ワシントンにいた上官で陸軍航空軍総司令官のアーノルド氏らとの間では、通信のやり取りが続いていた。

 突き進むか、引き返すか。午後9時、スパーツ氏は念を押した。中止するなら午後10時が限度だ。しかし、副官アーノルド氏は「確実な命令がない限り、スケジュール通り」と、作戦継続が告げた。

 地元秋田の記録では、空襲は14日午後10時半に始まり15日未明まで続いた。 

 そして約10時間後、製油所がなおも燃え続ける中で、秋田の人々は玉音放送を聞いた。

 取材を重ねてきた西村氏は以下のごとく語る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●米陸軍の一組織だった航空軍であったアーノルド氏やスパーツ氏らは、独立した空軍に昇格させる野心を持っていた。そのため、最後に力を誇示したかったのではないか。 
●グアムと秋田との往復約6000KmはB29の最長飛行距離であった。
●B29には最新型のレーダーが装備されていた。
●8月9日以降、ソ連は旧満州、朝鮮、千島列島に侵攻し、北海道や東北をもうかがっていた。石油産出地の秋田を渡さないためにも土崎空襲は必要だった。
●終戦が1日早ければ土崎空襲はなかったと、秋田市民は思ってきた。本当は終戦目前だったからこそ、土崎は攻撃されたのではないか??
●・・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 終戦前夜の7都市への爆撃の影には、航空技術の進歩、軍人の野望、戦後の冷戦をにらんだ国際的駆け引きなどなど、戦争がもつ様々な「顔」が、いや応なしに見えている。

 私は不勉強にしてこういう視点で土崎空襲を捉えたことはなかった。

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8/15終戦記念日(3) 終戦前夜の空襲(1) 全国7都市に

2024年08月17日 07時54分30秒 | コラム、エッセイ
 秋田市土崎に14日夜の10時半にB29が2機飛来し照明弾を落とした。
 その後、15日未明まで計132機が飛来し爆撃を繰り返した。15日が終戦の日。降伏受諾の通知は14日午後11時だったという。

 数日早ければ、いや数時間早ければ死ななくてもよかった人が多数奪われた。

――――――――――――――――――――――

 私は土崎空襲が終戦の前日に行われたことを知っていた。
 日本石油の跡地近隣に住んでいながら、不勉強にしてこの日全国7地域に空襲がなされていたことを20年ほど前まで、知らなかった。秋田の地に心が根を張っていなかったからであろう。

 改めて調べてみると以下の地域で空襲がなされていた。

 昭和20年8月14日から15日にかけての空襲
■大阪府大阪市………8月14日12:30頃~午後  
■山口県岩国市………8月14日午前中~午後
■山口県光市…………8月14日13:20頃~14:20頃  
■秋田県秋田市土崎…8月14日22:30頃~翌15日3:30頃
■埼玉県熊谷市………8月14日23:30頃~翌15日1:30頃
■群馬県伊勢崎市……8月14日深夜~翌15日未明
■神奈川県小田原市…8月15日未明~明け方

 土崎空襲では250人以上が死亡,200人以上が負傷した。

 この頃、戦争終結について内外で対策が進められていた。

 8月9日ソビエトの満州侵攻を受けて、当時の鈴木貫太郎首相は同日の最高戦争指導会議の冒頭で「ポツダム宣言を受諾する他なくなった」と述べ、
 ●「国体の護持」、
 ●「自発的な武装解除」、
 ●「日本人の戦犯裁判への参加」
を条件に宣言の受諾の方針が優勢となった。

 議論は天皇臨席の最高戦争指導会議で10日2時、いわゆる「聖断」が下され、3時からの閣議で正式に承認され、直ちにスエーデンとスイスに向けて送信された。
 また受諾方針については15日の勅語の発表まで公表を行わないことにした。
 この間の時間の浪費が惜しまれる。

 米国はポツダム宣言受諾の電文を傍受した。
 しかしながら、日本がつけた受諾への条件に米国国内でも意見が別れ,連合国側との調整も必要であった。その連合国側の承諾の回答は11日正午にスイスに向けて打電され、12日午後0時45分に日本の外務省もこれを傍受した。
 
 米国側は日本が疲弊し切って戦争継続が不可能である事を知っていた。
 しかし、上記のごとくポツダム宣言受諾の玉音放送直前まで爆撃し続けた
 
 連合国の同意ができた11日正午の時点で米国は爆撃中止命令を出せたはずであるが、ぎりぎりの時点まで攻撃し続けた。

 私はつい先日まで、終戦直算の爆弾投下は、兵器・武器の過剰な生産の国内世論の調整するために、ギリギリまで日本の各地に投棄・廃棄した、と考えていた。それによって貴重な人命がかなり失われた非人道的行為のひとつ、と考えていた。

 しかし、今年地方紙の記事を介して必ずしもそうではなかったことを知った。
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8/15終戦記念日(2) A・B・C級戦争犯罪裁判

2024年08月16日 06時20分07秒 | コラム、エッセイ
 第2次大戦の最中、日本の社会はまるごと戦時体制となり、自由な言論は消え、あらゆる経済、文化活動が統制下に置かれた。国民の全てが程度の差こそあれ、影響を受け苦渋を舐めた

 政府・軍の無謀な国土拡大政策は日本の国際的な孤立を招き、諸外国に多大な苦しみを強いた

 国民の戦意をいかに効果的に鼓舞するか。
 公的機関はそこに傾注し、企業も同調した。国家の繁栄を求める国民の心理と共鳴し、戦争遂行への熱は高まっていった。
 政府・軍のみならず国民が、直接的、間接的に支えることなしには開戦もなかったし、続けることもできなかった。

 一方、報道機関は検閲下に置かれた。新聞も大本営発表を伝え続ける一方、戦況を正しく報じ、批判する責任を果たさなかった。

 人々には正しい情報が与えられなかった。だれも戦争を止められなかった。

 戦争は人を極限状態に置く。その状態では平時における倫理観、価値観を悉く変えてしまう。

 第2次大戦の戦犯裁判には「勝者の裁き」との批判がある。戦争という極限状況下で日本兵も残虐な行為に手を染めていったのは事実であろう。しかしながら、米国による無差別絨毯爆撃、原爆投下などの非人道的行為は裁判では一切取り上げられなかった。

 戦争を指導したA級戦犯を裁いた東京裁判は国際的に知られる。

 一方、BC級戦犯は、連合国によって布告された国際軍事裁判所条例及び極東国際軍事裁判条例における戦争犯罪類型B項「通例の戦争犯罪」またはC項「人道に対する罪」に該当するとされる罪状に問われた裁判の総称。
 日本のBC級戦犯は、GHQにより横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。被告人は約5700人で約1000人が死刑判決を受けた。

 だが、連合国の各国がそれぞれ自国民らの被害を扱ったBC級裁判で、唯一、日本国内で開かれた横浜裁判の全容すら詳細は分かっていない。横浜裁判では約1000人が起訴され、裁判で「上官の命令だった」との抗弁を許されず、最終的に8割強が有罪になり、50人余に絞首刑が執行された。ましてや連合国各国で開かれたBC級裁判は受刑者の記録すらないのが大部分である。

 日本政府は詳細がわからないBC級裁判の調査をすべきである。
 その様な姿勢を欠いたまま全国戦没者追悼式を行なっても犠牲者の霊は浮かばれない。

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8/15終戦記念日 (1) ポツダム宣言受諾日 国際的な正しい終戦日は9月2日 

2024年08月15日 06時05分44秒 | 人権問題
 太平洋戦争終結から本日で79年。
 国際的には9月2日が戦争終結日である。
 国内外の多くの犠牲者に哀悼の意を表し、平和の尊さを再確認し、反戦への誓いについて考えたい。

  79年前の夏。「戦争は二度とごめんだ!!!」この思いは我が国国民に共有され、平和国家のもとで歩み出す力の源泉となった。

 中国大陸からアジア太平洋地域まで戦争が広がった8年間に、あまりに多くの命が国の内外で奪われた。

  本日政府主催の全国戦没者追悼式が開かれ約4000人が出席。
 追悼の対象は「第二次世界大戦(日中戦争/支那事変・太平洋戦争/大東亜戦争)で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人」と、「空襲や原子爆弾等で死亡した一般市民約80万人」の、「日本人戦没者計約310万人」である。

 厚労省によると、式には全国から3055人の遺族が参列。参列予定者のうち、戦後生まれは遺族全体の44.1%と過去最多。戦争を知らない世代の増加が年々増加している。
 式では参列者全員で1分間の黙禱を捧げた後、天皇陛下が「おことば」で「深い反省」にふれ、「再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う」と述べた。

 1993年以降、歴代首相は、アジア諸国への加害責任として「深い反省」など言及してきた。だが、2013年の第2次安倍政権から文言が消え、今回の岸田首相の式辞にも入らなかった。

 第二次世界大戦の国別の戦死者数は、ソ連の1450万人、独の280万人、日本の230万人がこれに次ぐ。
 アジア・太平洋地域の軍民の犠牲者数は、フィリピン100万人、ベトナム200万人、中国1000万人以上・・・などとされる。

 日本人死者の9割が1944年以降の戦争末期に集中している。そのほとんどは戦闘死ではない。30万人は海没死した。軍の乏しい補給力を背景に考え難いほどの兵士が辛酸を舐め、餓死・病死で命を失った。また、特攻などの理不尽な作戦で命を失った。

 なぜ我が国の死者がこれほど多く非業の死を遂げたのか、国による分析はあるのだろうか。私は無学にして知らない。

 その検討や反省もなく、犠牲者達をまとめて追悼するのは死者の霊に失礼ではないか、と思っている。

 戦争に関連した一人一人の人間の死は悲劇だが、「日本人戦没者計約310万人」の死はもはや統計上の数値と化した。
 
 戦争は人間の死の重みを変える。
 個々の人間には固有の人生があったはず。残された記録があれば永久に大事にしたい。


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墓参り2024(4) 夫婦別々のお墓に入りたい場合にはどうする??

2024年08月14日 04時36分47秒 | コラム、エッセイ
 最近、寿命が延び、家族構成の変化、個人と社会の関係希薄化などを背景に、「夫婦別々のお墓に入りたい?」との希望が増えていると聞く。

 実際にどれくらいの割合の人がそう考えているのか。
 私には実態がわからないが、この話題に関連して板谷美雨著「夫の墓には入りません」(中公文庫)という小説を読んでみた。夫の死後婚家との関係を断ち切る「婚姻関係終了」手続きなどにも触れており、とても参考になった。
(板谷美雨著「夫の墓には入りません」表紙)

 この話題に関しては、某保険会社の調査結果もある。
 2016年お盆に帰省の予定がある30~60歳の既婚者500人(男性、女性それぞれ250名ずつ)に実施した「帰省やお墓・終活についてアンケート調査」によると、女性の3人に1人は夫と同じお墓に入りたくないと回答している。

 意外と多いものだと思った。

 理由としては、「義父母と一緒だから」、「死んでまで一緒は嫌」といった意見が上位を占め「散骨希望」、「実家のお墓に入りたい」という声が続いた。
 一方、男性は7人に1人が一緒に入りたくないと回答。その理由は「何となく、特にない」が半数を占め、「散骨希望」、「死んでまで一緒じゃなくてもいい」の順に多かったという。

 私は不勉強で、「夫婦は同じ墓に入るもの」と漫然と考えていたが、調べてみるとそういった決まりはなく、実家のお墓に入ったり、自分一人のお墓を建立することも可能という。ただ、この件は遺言書の対応外で、遺言書は一般的に財産に関するものが多く、お墓に関する指定は含まれない。だから遺言書に書いてもお墓についての希望を実現できるとは限らない、らしい。

 夫と同じ墓に入りたくないなら、生前に夫や夫の実家と話し合い、理解を求めておく必要がある。何も対応していなかったら社会通念に沿って夫のお墓に入れられてしまう。

 実家のお墓に入りたい場合、実家の「先祖の供養や法要についてとりまとめる責任者である祭祀主宰者」の許可と理解が必要、という。

 自分一人だけのお墓を建立して欲しい、友人と同じお墓に入りたい、樹木葬にしたい、散骨してほしい、永代供養にしてほしいなどの場合には、死後に手続きをしてくれる第三者を探し事務委任契約を締結しておく必要がある。
 弁護士や司法書士など、資格を持った専門家に依頼するのが親族間の感情的トラブル回避の方法という。

 「夫婦別姓」も取り沙汰されている。そのうちに「夫婦別墓」も大きな話題になるかもしれない。
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墓参り2024(2) 墓は単なる骨の集積場所なのだ 魂は「千の風」に歌われる様に自由

2024年08月13日 04時19分16秒 | 近況・報告
 数年前、何かのメモ用紙に書きつけた、「自分が死んだら盛岡郊外の福田の墓でなく秋田の生家の墓に入れてください」というメモを見つけ私はショックを受けた。家内の真意はわからないが、私は当然同じ墓に入るつもりでいた。しかしながら、私はあえてこれを話題にすることは避けてきた。背景に何を考えているのか分からず、怖くて話題に出来なかったからである。

 今回、墓参りの際、子供達と親子5人だけで話し合う機会が生まれた。主たる話の内容は相続のに関する内容であったが、子供たちから将来墓の管理をどうするか、親としてどう考えているのか??という話題にもなった。
 私自身は「盛岡郊外の墓に入るが、家内はなんと考えているか分からない。当人の希望は尊重してあげたい。しかし、墓は誰かが継承して管理しなければならない。墓をどうするかは家内と子供達の考えに任せたい・・・」、と述べた。

 家内の墓に関しては、どうしても望むなら秋田の生家の墓に入るのもよし、秋田に新しく墓を購入しても良し、と提案した。その過程で墓を維持するのは子供たちであり盛岡と秋田に分散するのは問題だろう。墓の選択は自分の好みだけでは済まないから慎重に考えてほしい、とも。

 その対話を経て家内も私と同じ墓に入ることを渋々承諾した。長い将来のことはわからないが、子供たちも当面今の墓を維持してくれるそうである。
 たまたま今回懸案事項の一件が落着した。

 ところで、墓とはなんだろうか
 墓は、遺体や遺骨を葬る場所と考えている。一般に、墓石などがあるが私が子供の頃は土を盛り上げて上に石を置いて印としていたのも少なくなかった。今は豪華な墓石が墓地を埋め尽くしている。

 我が家の墓石は1930年頃に私の祖父母によって建立されたのもので今の墓石に比較すれば極めて地味である。

 私は不遜な考えであるが、墓は先祖の遺体や遺骨の置き場、と思っている。骨に精神が宿るわけではないからあまりにも墓の意義を拡大解釈をしたくないし、豪華な墓石に価値を認めない。

 第二次世界大戦前までは、自分の所有地の一角などに墓を建てるケースも多かったが、戦後は私的な墓地は法で禁止されている。現在の日本では、火葬後に遺骨を墓に収納する方式が主であるが、土葬も法律上は妨げていない。墓地の経営には、都道府県知事の許可が必要。

 少子高齢化により、墓を継ぐ子や孫がいなかったり、疎遠だったりする家庭が増えている。このため、終活の一環として、無縁仏にならないよう「墓じまい」する人も少なくない。
 墓文化は今後大きく変化していくだろう。
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墓参り2024(1) お盆の墓参りの意義

2024年08月12日 10時25分28秒 | 近況・報告
 昨年はCOVID-19が5類に移行し行動制限もなくなった。横浜在住の長女一家も3年ぶりに来秋する事となった。それもあって昨年から2020年以降中断していた岩手にある菩提寺への墓参りを再開した。

 私は1983年(昭和58)の父親病没の数年前から我が家の代表者として墓参りを行ってきた。2015年実兄が死去した。それまではこの墓参りは年に一回の兄弟とその家族の親睦の場になっていた。兄が体力気力が衰えて死去の2-3年前からは参加する事は無くなり、兄弟間の親睦会は自然消滅した。

 それ以降は盆の墓参りは私どものだけの家族だけの行事となった。
 私どもは3人の子供に恵まれた。現在、私が家族と称するのはそれら3人と孫5人を含む12人のことを指す。長女一家3人は横浜在住でそのほかのメンバーは秋田在住である。

 本年の墓参りは私どもの勤務の関係でに8月11日盛岡市郊外のつなぎ温泉ホテル大観に集合する計画とし、翌12日墓参という計画を立てたが、おりしも台風5号が太平洋沿岸から岩手沖で急に進路を西にとるらしく直撃を受ける可能性があり、急遽菩提寺集合とした。

(気象庁のHPから借用)

 途中横浜の一家の車のタイヤにひび割れが見つかり交換したこともあって到着は夕方となった。そのため住職には会えず家族だけで墓に参った。

 その後、つなぎ温泉に移動した。
 この墓参とその前後のミニ家族旅行は、時を経るに従って先祖を偲ぶための墓参の意義は小さくなり、孫を中心とした家族親睦会にシフトしている。何しろ私の両親を知っているのは我々夫婦のみであり、子供たちも小学生で滅多に会うこともなかったから具体的思い出や記憶としてはないだろう。

 それでも家族一同は盆の墓参り行事には参加してくれる。

 幼い孫たちにとってこの盆の時期に家族全員が田舎にある寺に集まり、墓石をきれいにし、花を飾り、手をあわせる事は、その意義などはほとんど直接教えた事はないが、この家族12人がこの墓を中心に緩やかに結ばれていることを自覚していく過程になるのだろう。

 また、日本の宗教的文化の一隅に接しその雰囲気を味わっていくことになるだろうが、孫たちにとってこれは人生の中での重要な体験となるだろう。

 その意義は、今後の人生にとっての心の拠り所になるもの、と私は信じている。だた、私はそういう意味での宗教感はあるが、問われれば私はどの宗教にも帰依していない、どちらかと言えば無宗教なのだが、日本の宗教的行事には素直に沿っているだけ・・・、と答える不埒者の一人である。

 実際には、孫たちにとっては墓参り前後のミニ旅行の方が楽しいのは論を待たない。

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被爆79年目の夏(3)  長崎の平和式典 慰霊の主役は戦争被災者だが中東情勢の影響を受けたのは残念

2024年08月11日 08時55分41秒 | 政治・経済 国際関係
 長崎は9日、被爆から79回目の「原爆の日」を迎えた。

 毎年8月に広島と長崎で開かれる平和式典を通じて、「原爆の悲惨さを発信し、核保有国にその使用を思いとどまらせる」ことは、唯一の被爆国である日本の責務である。

 長崎市の平和祈念式典には、過去最多となる100の国・地域と欧州連合(EU)が出席した。

 今年の長崎の平和式典は国際的な対立に翻弄されてしまった。残念でならない。

 長崎市は今回、イスラエルを招待しなかった。長崎市長は「政治的理由ではなく、不測の事態が発生するリスクを考えた」と説明している。

 一方、イスラエルは6日の広島市での平和記念式典には招待され、駐日大使が出席した。2市で基準が異なるのは主催が被災都市だからやむを得ないだろうが、ちょっと異和を覚える。
 両市ともロシアとその同盟国のベラルーシを招待しなかった。これに関しても私は問題と思った。

 イスラエルを招待しなかった長崎市の平和式典に対し、日本を除いた先進7か国(G7)のうち6か国とEUは大使が欠席した。6か国は先月、市に書簡で「イスラエルをロシアと同列に置くことは誤解を招く」と伝えていたという。

 一方的にウクライナを侵略しているロシアと、ハマスのテロに対して自衛権を行使しているイスラエルを「同列」に扱うべきではない、という主張は理解できる。だが、ガザの死者は子供を含めて4万人近くに達し、イスラエルの反撃が自衛権行使の範囲を逸脱している。

 原爆で壊滅的な被害を受けた長崎の人々が、イスラエルの非人道的な行為に嫌悪感を抱き、平和の式典に招きたくない、という感情は理解できる。

 しかし、そうだろうか。

 ロシアとその同盟国のベラルーシ、イスラエル共に核保有国である。だからこそ式典には出席してほしかった、と私は思う。

 先の大戦では我が国は米国の非人道的な攻撃によって多数の犠牲を被った。その最たるものが広島・長崎への原爆投下であるが、そのほかにも無差別東京大空襲、頻回の機銃掃射攻撃、艦砲射撃、終戦間際の秋田を含む6都市への空襲など枚挙にいとまはない。その米国を許容していることの意義は小さくない。

 戦争で命を失った犠牲者にとっては手段が原爆であろうと通常爆弾、他であろうと大差はない。
 
 広島・長崎の平和式典は原爆被害者のためにだけあるのではない。全ての戦争犠牲者を悼む式典であり、世界へ警告を発信する式典ではなかろうか。
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被爆79年目の夏(2)  広島、長崎、そしてビキニ

2024年08月10日 18時20分49秒 | 政治・経済 国際関係
 ひとたび核が兵器として用いられれば、報復攻撃が行われ、人類の生存が脅かされる。4年前に発効した核兵器禁止条約は、そんな危機意識から生まれた。

 核環境が厳しさを増す中でいくら核兵器の禁止を唱えても、実効性はあるのか、といぶかる声がある。
 だが、これまで核禁条約に署名した国・地域は国連加盟国の約半数に及ぶ。近年、国際社会で存在感を増す新興・途上国、いわゆるグローバルサウスが多く名を連ねる。それらの国々は大国の論理で自分たちが左右されることを嫌っている。核問題こそ彼らにとっては迷惑千万の事項なのだ。

 いま必要なのは、危機への歯止めを強くすること。加盟国や市民社会の声で核禁条約参加を各国に促し、ほころびが目立つNPT体制を補完していくこと。
 「国家の安全保障」から、「人類の安全保障」へ、多角的な観点から核問題をとらえ直す発想が求められている。
 被爆国として今、日本がなすべきは、保有国に核の惨禍を説き、軍縮を促す外交だろう。

 今年は「ビキ環礁被曝事件」からも70年。米国の水爆実験で操業中の日本漁船が被曝した。
 広島・長崎への原爆投下による被爆、さらに核実験に伴う被曝と、日本は「3回の被曝」を経験している。

 米ソ冷戦下の1954年3月1日、米国の水爆実験で太平洋マーシャル諸島・ビキニ環礁は壊滅的な被害を受けた。破壊力は広島原爆の1000倍。巨大な「きのこ雲」が広がり、上空に吸い上げられた白いサンゴが放射性降下物となって降り注いだ。
 その時、この海域で操業していたのが、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」。船員23人は静岡県焼津市に帰港後、「死の灰」を浴びて被曝したことが確認された。半年後、久保山愛吉さんが40歳の若さで逝った。

 これを機に原水爆禁止を求める国民運動が起き、その訴えは半世紀以上をへて国際社会へ広がり、核兵器禁止条約を生んだ。歴史を顧みれば、ビキニ事件は「反核・非核運動の起点」だった。

 70年を刻む3月、思いを継ぐ遺族ら日本の市民が、現地の首都マジュロで追悼式典に集った。被曝した島民は健康被害に苦しみ、老いて多くが亡くなった。汚染された島々は、いまだ元に戻っていないと言う
 日本にも救済されないままの人たちがいる。ビキニ事件当時、同海域では第五福竜丸のほかにも延べ1000隻近くの漁船が操業していた。だが、政府は米側からの見舞金で政治決着を図り、被曝の影響を否定して健康調査もしなかった。高知県の元船員らが国に補償を求めて起こした裁判がいまも続く。

 すべての核被害者の先頭に立ち、核廃絶への道を切り開くのは被爆国・日本の使命である。

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被爆79年目の夏(1)

2024年08月09日 18時11分35秒 | 時事問題 社会問題
 広島は6日、長崎は9日被爆79年目の夏を迎えた。

 昨年末までの推計死者は広島で約14万人、長崎で約7.4万人。今なお多くの被爆者が放射能の影響による病気に苦しんでいる。
 広島市で6日、長崎市で9日に平和式典が開かれた。

 世界一の核弾頭数保有国のロシア、さらに核兵器を拡充しようとしている中国、北朝鮮などのトップは、簡単に言えば押し並べてバカだ、としか言いようがない。他の表現法はない。これらのバカには、核を持たない平和主義者達が理想論をいくら述べてもなんの影響も与えないのだろう。
 少なくとも今までの核禁止に関する歴史がそれを物語っている。

 ならば、この問題を乗り越えるための方策を探っていくことが大切だ。そのためには何が必要か??私は核の抑止力の力を借りるしかないと思う。

 核抑止は、報復用核兵器の保有が、対立する二国間関係において互いに核兵器の使用が躊躇される状況を作り出すという危険極まりない考え方であるが、他に方法はあるのだろうか??

 昨年のG7広島サミットではロシアの核威嚇、使用は許されないと断じた一方、G7参加国が持つ核兵器は「防衛目的の役割を果たし、侵略を抑止する力がある」と核兵器をの保持を正当化した。

 この矛盾に満ちた考え方は各方面から厳しい評価を受けているが、私は話が通用しないような国、バカな指導者がいる核保有国があるかぎり、核抑止力に頼らざるを得ないと思う。

 広島・長崎の平和式典は従来は被爆者たちが中心であったが、近年は若者たちの未来に向けての確個たる意思を示す式典に変わっている。これで息の長い反核運動につながっていく。

 「現役核弾頭」が現時点で9583発ある??という。
 核弾頭の総数は過去10年以上、減り続けてきたが「現役弾」は2018年から300発以上増えたという。

 核戦力を増強している中国で近年500発に倍増させた。
 バイデン政権は2年前、「核の先制不使用」を核政策の指針に盛り込むことを見送った。

 相互不信や緊張が高まるほど、ミスや誤算のリスクは増す。はびこる偽情報、人間が制御しきれないAIの導入が、不確実性に拍車をかける。
 核不拡散条約(NPT)が米ロ英仏中5カ国のみに核保有を認めたのは、それ以上の拡散を防ぐとともに、核軍縮への取り組みを定めているためだ。しかし、それらの国々が核軍拡しているので眼も当てられない
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米国大統領選(6) トランプの襲撃事件が選挙に与える影響は

2024年08月06日 08時10分05秒 | 政治・経済 国際関係
 米東部ペンシルベニア州バトラーで7月13日午後6時(日本時間14日午前7時)過
ぎ、大統領選に向けた集会で演説していたトランプ前大統領(78)が会場外から銃撃され、右耳を負傷した
 撃ったのは同州在住の男T・クルックス(20)で、大統領警護隊が射殺した。連邦捜査局(FBI)は暗殺未遂事件として捜査し、動機を調べている。発砲は複数回あり、集会参加者の男性1人が死亡、男性2人が重傷を負った。
 トランプ氏は右耳介大量に出血したが、命に別条はなかった。

 トランプは暗殺されなくて良かった。ホンノ数cm弾道がずれていたらトランプ自体も米国社会も大変な事態になっていただろう。

 私は十分な情報を得ていないが、狙撃犯は少なくとも民主党系人物ではなさそうで良かった、と思う。

 それにしてもトランプはその場から逃げることもせず、SPらに助け起こされた時に腕を上げ「ファイト、ファイト」と叫んだ、という。この時の映像は「強いトランプ」のイメージ作りにかなり有効であったと考えられる。
 何しろ、トランプのあの姿は米国人が求める「強い大統領」そのものだからである。ある意味ではトランプは偉大な演出家、役者なのかもしれない

 トランプ狙撃事件で共和党の結束は高まった。

 その後の党大会でトランプは、狙撃前に増してトランプ調の誇張した発言を繰り返している。

 このことから、トランプ狙撃は以外と民主党支持者には影響を与えなかったのではなかろうか。

 現職のバイデン大統領が撤退した民主党は、混乱なくハリス氏の一本化でまとまった。
 ハリス氏は今月の民主党大会が重要な政策表明の場となる。最近の発言では、医療・子育てなど中間層支援を重視する姿勢がうかがえるが、包括的な指針はまだ見えない。バイデン政権の何を引き継ぎ、何を変えるのか、明確に語ってもらいたい。 

 ハリス氏が妊娠中絶など女性の権利に力点を置くのは、女性初の大統領をめざす候補としての姿勢だろう。
 トランプ氏がの政策も言葉の割には本当のところはよくわからない

 今後は政策論争を中心に進めてほしいものである。

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米国大統領選(5) ハリス氏(3) ハリス氏でいいのか?(2)

2024年08月05日 11時09分41秒 | 政治・経済 国際関係
 先月26日のTV討論会はバイデン氏の劣勢だけが強調されているが、実際にはトランプも失態を犯してしまった

 トランプの発言は極端である。誇張も嘘も多い。彼の信奉者には心地よく届くだろうが、そのような有権者だけをターゲットにしているだけでは票が伸び悩む。TV討論会では中間層向けの、ソフトな口調での取り込みも計画されていたようであるが、トランプは終始極端な自説を展開してしまった。中間層の取り込みに失敗した、と評価されている。

 さらに、トランプは副大統領候補にバーンス氏を指名した。バーンス氏はミニトランプと揶揄されるような強硬な意見を展開する政治家である。中絶問題などについてはトランプ氏よりも遥かに強硬な意見を吐いている。
 バーンス氏の指名も結果的に中道派の取り込みに失敗する要因となりそうである。トランプvsバイデンの戦いなら差が歴然としていたからそれでもよかったであろうが、ハリス氏の登場で目算が狂った。穏健中間層の取り込み、女性票の獲得も難しくなった?? 
  
 一方では、ハリス氏は非白人であること、若いこと、移民の家系であること、女性であることから、彼女には語らずしても備わっている資質がある。「銃規制」、「人権問題」、「移民問題」、「人種問題」などが進展する可能性がある。

 いま人工妊娠中絶の権利をめぐるアメリカ国内の対立は、半世紀続いた規範を覆した最高裁判決を機に、女性がいきりたっている。共和党は中絶に厳しく対応しようとしている。共和党支持者の女性票をもハリスに流れる可能性がある。

 インフレを中心とする経済問題はハリスにとってバイデン政権から引き継ぐ負の遺産になりうるが、副大統領であった以上、バイデンの考えを否定することはできないし、前政権の問題を引き受けるしかない。

 最終的に、世界で最強の米軍の最高司令官として軍を統率できるのか問われるだろう。


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