わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

盆器(盆栽鉢) 15(盆器の作家2)

2011-09-27 21:54:57 | 陶芸四方山話 (民藝、盆栽鉢、その他)
日本の盆器の中で、小盆栽愛好家に人気があり、評価の高い作家に、前回紹介した、平安東福寺が

います。その東福寺周辺には、同じ様な陶号を持つ、作家が幾人(いくにん)かいます。

即ち、平安香草、平安(稚松)愛草、平安万草、平安香山、永田健次郎、長友蓮葉、西口杉庵達で、

後世に伝わる、優れた鉢を作っている作家達です。

これらの人達は、河合蔦蔵と言う関西の老舗盆栽業者が主催する、盆栽鉢を作る「拈陶会(ねんとうかい)」

のメンバーです。昭和13年頃に始まります。東六香艸の箱書のある鉢は、河合が取り扱ったメンバーの

作品である事の、証明になります。

2) 河合蔦蔵(かわいつたぞう)1886~1962年

  香艸園初代園主である河合蔦蔵氏は、東本願寺大谷家と繋がりを持ち、22世法主の大谷光瑩

 (こうえい)師の、遺愛の盆栽管理に当っていました。当時、小盆栽用の鉢が少なかった為、自分達で

 作ろうとしました。 更に、作品が売れず苦境にあった会員達の作品を、東京などの盆栽愛好家への

 紹介や作品買取手として、経済的な援助をしています。又、形や意匠なども指導やアドバイスなども

 行っています。

3) 平安香草(こうそう)

 河合蔦蔵の別号で、戦前に制作された、陶器の小鉢や豆鉢に傑作が多いです。

 現在は3代目(河合稔夫氏)で、染付けや磁器へ変わり、清水焼の窯元、瑞光窯で制作されています。

 新作物も、「平安香草」ブランドで、人気を博しているとの事です。

4) 平安(稚松)愛草、

  稚松愛草(わかまつあいそう):河合蔦蔵の別号です。

  東本願寺近くの、稚松小学校付近に住む、鍋倉某氏に型、寸法、意匠を指定して作らせ、

  稚松愛草の落款銘で、全て香草園に納めさせ、販売された様です。

  作風は端正で、瑠璃釉や辰砂釉に優れた物が多く、登窯の高温焼成の為、やや歪みの有る物が

  多いのも愛草鉢の特徴です。 愛草の代表作品として「瑠璃釉外縁長方鉢」があります。

  作品は昔から、熱狂的な愛好家の間で、評価されていましたが、今日では小品盆栽界でその存在が、

  広く知られる様になりました。

 ・ 平安東福寺、平安香山などにも、制作依頼し、出来の良かった物を「稚松愛草」の落款を、

   使用したとも言われています。

5) 平安万草(まんそう): 本名 宮崎芳太郎 (宮崎万草園園主)

  「拈陶会」に入る前から、小盆栽、小鉢を作っていた様です。後に盆栽商に転進します。

  東福寺も最初はこの店で、作品を買い取って貰っていました。 
  
  作風は、粗い赤土に似た胎土で、鶏血釉が多く、形は正方形が多い様です。

  「平安万草」の落款の有る物は少なく、ほとんど無銘です。

6) 平安香山(こうざん): 本名 小池一雄 1905~1990年 

   平安東福寺と並び称される作家です。(東福寺とは親交がありました。)

   小鉢のみならず、中鉢や水盤も手掛けています。

   制作方法は、主にタタラ作りと紐作りの為、手間隙が掛り、作品点数も、東福寺よりも、

   格段に少ないです(40年間で約1万点以下)。轆轤は使わなかったそうです。

   反りや歪みの無い、端正な器形が特徴で、泥もの(紫泥、朱泥、白泥、黒泥、梨皮泥など)の他、

   辰砂釉、鶏血釉、緑釉、白釉、黄釉、瑠璃釉、蕎麦釉などや、染付、色絵、金銀彩も手掛け、

   更に、浮彫や透彫など、幅広い作品を作っています。

   戦前は登窯で、昭和39年以降は電気窯で焼成しました。

   昭和48年に二代香炉山に譲り、香翁を名乗ります。

7) 永田健太郎: 祇園町の御茶屋の主人、生没年不詳

  趣味(アマチュア)として、「拈陶会」に熱心に参加していた様です。

  残された作品は、少ないですが、形も多種類で変化に富み、瑠璃釉や蕎麦釉が主で、腕達者と

  言われています。

以下次回に続きます。


 参考資料 盆器大図鑑 (上、中、下巻) (株)近代出版
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